「零れ落ちたもの(最終回)」奥主榮
この連載は、昨年終わった僕の朗読会の際にメモしたMCの内容を、大雑把にまとめたものです。開場で語り続けてしまうと、何時間かけても終わらないことがわかっていたので、事前に「これだけは語ろうかな」と思ってまとめた内容です。
今回は、半世紀以上前に小学生だった僕が、原子力について感じたことに触れています。当時は、原子力は無公害の理想的な「未来のエネルギー」という認識でした。でも、偶然読んだ子ども向けの本から、僕はそれに疑問を抱きました。
ちなみに、当日の朗読には、僕が小学生の頃に書いた、卒業記念の寄せ書きを持参しました。個人情報に抵触する可能性もあるので、いらしていただいたお客様の全てには公開しませんでしたが、共演の郡谷には、僕の「二十一世紀に原子力公害が起こる」という文言は確認してもらいました。これは、当日の動画(第三部)に記録されています。(youtubeの「大村好位置チャンネル」で公開されています。)
MC試案として考えていたこと、メモにはまとめきれなかったのですが、補足を書き足してもきりがないので、今回で最終回となります。
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MC 4 これは、郡谷さんとの共演パートの中で、やり取りの中で語りたいこと
関東大震災のときに、今でも余り話題にされない亀戸事件など、様々な「暴挙」が行われました。そうした中の、有名な話題として、大杉栄と伊藤野枝の虐殺があります。
この周辺の事情、余りにもドラマティックなので、メロドラマのように扱われることが多いです。でも、きちんと周囲の方々が書き残されている事実に着目すると、上っ面だけを見ているとしか思えないものがあることが理解できます。
九州から出奔した伊藤野枝は、東京の女学校の英語教師であった辻潤の下に身を寄せます。長男まことと、その弟を生みながら、大杉栄と知り合い、彼を信頼していきます。
女性の「貞操」というくだらない価値観が支配していた時代に、そうした行為は「奔放」というレッテルを貼られていきます。この辺りの事情、伊藤野枝全集を詳細に読んでいくと、けして「奔放」で片付けられるものではなく、極めて理知的な行為であったことが読み取れます。
伊藤野枝の辻潤との間に生まれた、まことについて、こんな記録があります。
大杉は、いわば辻の妻を奪った男という立ち位置なのです。しかし、子ども好きな大杉は、伊藤野枝の子のまことを可愛がっていました。連れて歩くこともあったようです。ただし、大杉には危険思想の持ち主として、常に尾行がついていました。市電という路面電車の車内から、まだ物心つかないまことをいきなり抱き上げ、飛び降りることがあったそうです。まだ幼い辻まことは、何だかそれが面白くて、はしゃいでしまう。野枝が大杉に、「子どもに変な楽しみを教えないで」と叱ったという話。
頭でっかちな「主義者」として受け止められかねない大杉と野枝の、人間くさい側面を見せてくれて、僕は好きなエピソードです。
伊藤野枝と大杉栄の間には、ルイズという子がいました。後に、るいと名前を改めます。
体制への反逆のシンボルのようにされてしまった二人。その子らは、ある意味では本人には不本意な象徴化をされてしまいます。そして、おそらく疲弊していきます。
るいは、父母とのふれあいの記憶が殆どありません。けれど、「逆賊の子」として育つ中で、戦後の人生の中で、さまざまな社会問題に関わっていきます。
そうした中に、米国による核爆弾投下によって、日本で被爆した韓国人への補償問題がありました。ただ、そうした問題に目が向けられるようになった一九七〇年前後には、韓国は激しい反共政策を採っていました。
日本人で、かつて併合された国の方の被爆を問題にしている方々。しかし、左翼的な立場にいると認定されると、肝心の被爆者が罪に問われる可能性さえ生まれました。
実は僕は、この時代に社会問題に関わった「活動家」の方々が苦手です。また、細かい事情を知るにつけ、政治的に黙殺されている被爆者に関わろうとした方々を支持しません。
ただし、自分の一方的な主張が、場合によったら相手の立場を陥れる可能性があるという想像力は、良いものだなと考えています。
高みに立ち、グローバリゼーションとか口にするのは、容易いです。相互理解とか、立場の違いを分かり合うことの美徳を口にすることも。ただ、僕にはそうした行為は、どこか白々しいのです。
高みに立つことで見失うことがあるという、そんな現実が僕にはとても怖いです。
僕の世代は、「誰かの話を聞くときには、相手の目をしっかりと見なさい」という価値観で育てられてきました。だから、例えばこの数年、若い方々と話しているときに、ときどきスマートフォンをいじっていることに抵抗をおぼえました。でも、世代の違う方々の価値観を否定したくない僕は、「こうゆう時代なんだな」と思っていたので、特にとがめだてはしませんでした
でも、すぐに気がつきました。こちらの話に興味を抱いているから、質問する以前に検索して、知らない知識を補填しようとしている。敬意を払ってくださるからこそ、正確な情報を得ようとしているのだなと、そんなことに気づかされました。
自分の中にある「偏見」について、老人の僕は鈍感だと思っています。でも、だからこそ今まで自分が見落としていたことについて、目を向けたいなと思っています。
自分の身近な場所で、自分が見落としていたことに意識を向ける。
郡谷さんの勤め先の映画館で、肩にタトゥーを入れているスタッフをみかけたことがあります。僕の世代にとっては、入れ墨は悪い印象が伴っています。でも、そうしたことが自分の中の「偏見」だなと感じた僕は、率直に尋ねてみました。「失礼な質問ですが、それ、本当の彫り物?」。
とても無礼な態度だとは、承知していました。ただ、迷うことなく「本物です」と口にした彼女に、僕は自分の友人たちが入れている墨について話しました。そうしたら、会話の相手は自分がタトゥーを入れている理由を話してくれました。個人情報に類する問題なので、その行為に対する詳細のようなことは語りませんが、理由を伺った瞬間、僕はその方をとても好きになりました。あくまでも個人情報に関わることなので、耳にした話の詳細は、ここでは語りません。
自分の日常と乖離したところで、頭でっかちなことを語ってはならないのだと、僕は思っています。自分の生活の中で、気がつかないままに抱いている偏見や差別意識。そうしたことに、目をつぶらないこと。まず、対等であるために語りかけること。
一見取りとめもないことかもしれません。
ただ、僕の戦争という話題に関する視点への奥底には、こうした思いがあります。
僕には、戦争を含めた社会問題というのは、観念的なものではなく、ここで述べたような自分の日常と密接に結び付いたものなのです。
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もう終えた自分の舞台に関して、蛇足そのものの文章ですが、公にしておきます。
2024年 10月 22日
大村好位置チャンネル
奥主榮+郡谷奈穂 朗読会「65×25」第三部
https://www.youtube.com/watch?v=1nToyszzC5c