「零れ落ちたもの(2)」奥主榮

2024年11月20日

 実際に、肉付けして話していくとかなりな長時間になる内容である。(一部の内容は、当日の朗読に反映されている。) 実は、当日に読む予定であった詩を(時間の関係で)省略したことなどもあり、話す内容を制限して正解であったのだろうと思う。



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 MC 2 奥主パート「俺の中の凶暴なもの」と「なしくずしの生」の間

 郡谷と同じ映画館で働いているスタッフに、男性の方でとても勉強熱心な方がおられます。彼が働き始めたばかりのとき、アキ・カウリスマキ監督の特集上映がありました。そのとき、おいでになったお客さんが、劇中で使われていた日本の楽曲の曲名を尋ねている方がおられました。まだ若い彼は知らなかったようですが、通りすがりの僕は「『竹田の子守唄』だと思います」と告げて、お手洗いに駆けこみました。すみません、高齢期なので。
 次にそのスタッフとお会いしたとき、自分から曲についての情報を調べていて、会話が始まりました。あるとき、その方と話していて、こんなことを言われました。
「僕の世代は、検索によって『点の知識』を得ることには巧みなのですが、それらを結び合う『線』を持っていないのです。
 彼は、僕にいろいろな質問をしてきます。僕も、承認願望を満足させたい一心で、それに返事をします。ただ、「点と線」という示唆は、僕にとっては重要でした。
 戦争について、65歳の僕が若い方々に語ることは、まかり間違えば「結論の押し付け」になりかねません。でも、それを避けるために、むしろ点と点をつなぐ線を呈示できたらということを、僕は考えています。

 ここまでのトークの中で、何度か話題になっている映画館のことがあります。共演者の郡谷も、その映画館のスタッフです。そこで複数回上映されて、とても好評だったけれど、僕が苦手な作品に「カムイのうた」という映画がありました。アイヌ・ユーカラを記録された知里幸恵さんを主人公にした映画なのですが、北方の先住民族の方々の生活を忠実に再現されているのを見るほどに、「まるで標本のように個々人を区分し、分類している映画だ」という感想を僕は持っています。
 一方で、「神々の謡」という一人芝居があります。
 こちらでは、知里さんのさまざまな葛藤が描かれるのですが、劇中で何度か「アイヌが滅びたら」という強迫観念がくり返されます。、この思い込みについて調べていくと、先住民族や少数民族を滅ぼしていくことで、その利権を奪っていくという百年ぐらい前にあちこちの国が選んだ「政策」が見えてきます。強迫観念ではなく、文字通りの恐怖感だったのです。
 こうした現実は、やはり郡谷の働く映画館で上映された、「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」に描かれています。百年前のものとして。
 しかし、そうした問題は過去のものなのでしょうか?
 例えば、沖縄の離島に自衛隊が派遣される。そこで住民投票が行われたときに、そこで生活してこられた方々の意見よりも、多数の票を集める自衛隊員の意見が反映される、
 これって、先住民を滅ぼすことによって利権を奪うということと、どう違うのだろうかと、僕は考えてしまうのです。

 もう一つ。
 1960年代の終わりから、1970年代にかけて、反戦歌としての「フォークソング」が大きなうねりを見せた時期がありました。
 そうした中で、レコ倫と呼ばれる自主規制組織に参加していない、今で言う「インディーズ」のはしりのようなURCという組織が生まれました。季刊誌として、「フォークリポート」という雑誌を刊行していました。反体制というスタイルがカッコ良いと思われていた時代。中高生にも定期購読者は大勢いました。で、この雑誌、ある号に掲載された小説が「猥褻文書」として摘発されることになるのです。
 十代の、社会意識もあり(当然親の世代との反目もあり)、自立した意識を持とうと考えている年齢の方々にとって、「お前の購読している雑誌は、猥褻文書なのだ」という決めつけは、耐えがたいものであったと思います。
 僕の友達に、山口勲という詩人がおられます。彼は、もう十年以上になると思うのですが、ガザの詩人の作品を翻訳し続けています。そうした彼の活動が、今年になって「現代詩手帖」という、出版部数は誇れない雑誌の増刷という業績を成し遂げました。
 山口のSNSには、しばしばイスラエル兵士による暴虐の映像が引用されます。それらは、暴力的な映像が不適切として削除されます。僕は、一度妻に問いかけたことがありました。「削除される理由は目に見えているのに、どうして彼は愚行をシェアし続けるのだろうか。」
 これは、僕の憶測でしかないのですが、そうしないと、自分がガザの方々を、良心的な詩(率直な思い)の紹介をしているに過ぎないのに、間接的に搾取しているという気持ちになるからだと思っています。
 しかし、削除される彼の映像に関して、あたかもそれが公にできない「猥褻画像」であったかのような注記が付されているのも見たことがあります。

 好まない情報を、まるで倫理的に低いもののように喧伝する視点。
 僕は、共通点を感じる以上に、ある意味ではいやらしさを感じています。

 誰かが真情から発した言葉を貶める発想。

 僕は、時代を超えて行われている愚劣な行為に、これからの時代を生きる若い方々が敏感さを失わずに生きていってくださればと、そんなことを思っています。

大村好位置チャンネル
奥主榮+郡谷奈穂 朗読会「65×25」プロローグ・第一部
https://www.youtube.com/watch?v=hWA9S9xb3Yg





奥主榮