「零れ落ちたもの(3)」奥主榮
この「零れ落ちたもの」という原稿ついて、改めて説明を加えておきます。(連載途中から読まれる方もおられると思うので。) ここのテキストは、既に終了してyoutube上の「大村好位置チャンネル」で公開されている「65×25」という朗読会の中のMCで、僕が事前に下書きを書いていたけれども、時間の関係で割愛した内容のメモを公けにしたものです。
次の話題は、妻との会話から生まれたものです。性的な内容を含んでいるので、不快感をおぼえる方がおられた場合は、申し訳ないと思っています。
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MC 3 この話はどこに入れようか? (この話を入れるために、朗読する詩作品を3作にしようか? 時間は長くなるけれど。)
僕が妻と結婚するときに、僕から申し出て約束したことがあります。男性がこうした話題をすることに不快感をおぼえる方がおられたら、予めお詫びするしかないです。
体調不良などで妻が買い物などに行けなくなったとき、必要であれば僕が生理用品を買いにいくからということです。この約束、結局は「あなたが買ってくるものは、あてにならない」という妻からの要望で、十年以上履行されませんでした。が、そうしたことも言っていられない状況になったときに、やっぱり履行して良かったと感じました。僕は、全然いろいろなことを理解できていないダメな男だと実感できたのです。生理用品を買うのに、最初は阿佐ヶ谷の西友三階の老人用おむつ売り場をうろうろしていました。それからどうも自分が探す場所を間違えているらしいと気がついて、ようやく生理用品の売り場を探し当てたのですが、細かい条件を満たす製品を見つけ出すのに、とても時間がかかりました。老眼ゆえの虫眼鏡を片手に、細かい注意書きを確認してようやく目的のものを見つけ出す。その間、恥ずかしくはないけれど、気にしていたのはまだ感性のやわらかい世代の子が、爺さんが食い入るように生理用品を見ているからと、何だか怖くなり近付け無くならないかといった、そんなことでした。
若い世代に、可哀そうなことはしたくないな~とか思いながら、内心では必死な思いで選んでいました。
そんな僕は、結婚して同居し始めてから、調理や食器洗い、洗濯を仕事の傍らすることに抵抗が一切ありませんでした。むしろ、結婚前に妻以外の女性との二股騒動(最低の行為である)もあり、その際にもう一人の相手の女性の部屋を訪れるたびに、作ってくださる料理が嬉しくて、お礼に洗い物の一切を引き受けていたぐらいで。いや、こうした話はさておき。
洗濯物を小物干しに吊るしていくとき、妻の他人には見られたくないだろう衣類は、どうやったら隠せるかとかを考えるのが、とても楽しかったのを覚えています。
戦争に関係ない話ではないです。
最近になって、妻と話しているときに、妻からこんな情報を聞かされました。ガザでイスラエルの兵士が瓦礫を漁る。そこから掘り出した女性の下着を動画に収めて公開する。「あいつら、敬虔なイスラム教徒と言い張りながら、こんなお洒落な(=淫らなもの)を身に着けているんだ」。そう決めつけ、辱める対象とするために。
この話を聞いたときに、真っ先に感じたのは、そうした行為は下品で卑しいものだということです。
妻との対話の中で知った「点」の情報を、もう少し別な点と結んで見ます。
性別を問わず、人が身だしなみという点で非難されるいわれはないと、僕は思っています。
禁欲性を尊ぶ価値観というのは、確かに存在します。しかし、お互いを戒めあうそうした発想を、僕はとても怖いと思っています。僕がハイティーンになった頃に話題になった児童図書がありました。僕自身は読んではいないし、題名も覚えていません。ただ、テレビドラマ化されたときの一回だけを見て、こんなエピソードが記憶に残っています。十五年戦争中(いわゆる日中戦争から太平洋戦争に至る過程)の日本での生活を描いた作品です。
女性の小学生が来ていた服に、綺麗にも思える飾りが付いていた。そのことを学校の教師が、「みんなが我慢をしなければならない時代に、なんでそんな派手なものを身につけているのか」と非難する。しかし、小学生の母親は、物資不足でぼろぼろになった子どもの服を修繕するときに、我が子が恥ずかしい思いをしないようにと、ささやかな飾りを付ける修復をした。
つつましさは、僕も大好きです。けれど、禁欲を他人に強いるという行為は、それとは別のものだと思っています。
また、別の点と結んでみたいと思います。
ホロコーストを描いた作品。その中には、「ナチ収容所の素敵な生活」といった作品を含めて、憤りを感じさせずにはいられないものです。けれど、同じ映画を見たときに、「だからこそイスラエルを守るための暴力は許される」という、洗脳作用(あえてそう言います)を生み出す可能性もある。
日本が核爆弾の洗礼を受けたのは、そもそも日本が核武装をしていなかったからだ。と考える方々も、二つの被爆地におられたという話を聞いたことがあります。
また、原子力という桁違いのエネルギー源を、平和の為に利用したいという意識は、戦後の日本に根強くありました。戦後六年を経て発表された手塚治虫の「鉄腕アトム」へと至る作品などがその代表例でしょう。昭和のヒーローには、「ドラえもん」も含めて原子力をエネルギー源としたロボットが多いです。ちなみに、文字通りの放射線の平和利用として、医療用のRIというのも存在します。RIというのは、放射線を出す物質で医療用に使われます。よく話題になるのは、癌治療のための利用です。
また、新しい点とつないでみます。
一九八〇年代の半ばに、旅客機が長野に墜落する事件がありました。現在でも、さまざまに取り沙汰されている事件です。ただ、このときに、事故が起こった直後だけ伝えられた情報がありました。
「旅客機が、医療用RIを搭載していた」というものです。当時、僕がいた職場にバイトで来ていた方が、「RIって、そんなに安直に扱われるの?」と驚いていたのを覚えています。詳細は語れませんが、僕は「現場感覚だよ」と答えたのを覚えています。ただ、このRI関連の報道は、短時間でなくなりました。
さらに、別な点とつないでいきます。
東日本大震災の折、やはり報道の途中から消えていった話題がありました。
日本最初の公害事件である、足尾銅山鉱毒事件です。
垂れ流しにされた鉱毒は、処理されるのではなく、集積地に集められた。しかし、その未処理のままの集積物が、地震で崩壊していった。
その後の報道はありません。僕も、ここで話題にした二つの例を追い続けるほどの時間はありませんでした。
晶文社からだったか、「世の途中から隠されていたこと」という本が出ていたと思うのですが、「途中から隠されること」というのが、確かに世界には存在しています。
もう少し、こうした点と点をつなぐ話題を続けます。
僕は、子どもの頃に理科が大好きな子でした。まだ小学校に通う前から、家にある「竹を燃やすと、どうして大きな音がするの」といった話題を取り上げた理科の本を読むのが大好きでした。
小学校六年生のとき、学校の図書室から借りてきたアインシュタインの伝記を読みました。「相対性理論」をまとめた偉い科学者という認識しか、読み始める前にはありませんでした。しかし、その巻末に付された「原子力」に関する解説文を読んで、慄然としました。
当時は、無公害エネルギー源として喧伝されていた「原子力」が、未来に公害を押し付けるものとしか感じられなかったのです。でも、当時は原子力賛美の教育がされていた時代。その危険性について語った僕は、小学校で、異端視されました。
一九八〇年代、一九九〇年代、もう大学を卒業していた僕は、デモのような「自分を一方的に正しい」という活動には参加できませんでした。ただ、報道で知る、原発について考える集まりとか、原発について意見を交す会には参加していました。
そうした集まりには必ずといってよいほど、「産業の乏しい地方の現状など、都会の人間は理解していないのだろう」といった意見を述べにする方々がおられました。(今では、本当に現地の方々であったのか、疑問なのですが。)
「原子力発電の是非」という問題に対して、自分が真摯に向かい合おうとすればするほど、そうした方々の意見は強く感じられました。
自分が語っているのは、結局は机上の空論そのものなのだという思いに囚われていったのです。僕の想像に過ぎませんが、当時こうした集まりに参加された方々の中で、同じように自分の意識を疲弊させていった方々はおられなのではないかと思う。少しずつ、僕もまた打ちのめされていった。
僕はやがて、自分の良心に蓋をしました。
二一世紀になり、十年が過ぎ、東日本大震災が起こったとき、僕は自分が自身の良心を封じ込めたことを後悔しました。
僕は、福島原発で、というか実質的には東京電力の都合で引き起こされた被爆は、都市生活者が面倒な部分を別な地域に押し付けた結果だと思っています。僕が東京で生活していることは、僕が臆面もなく加害者で在り続けたことの証でもあるのです。
当時、僕が思いをぶちまけた友だちには、こう言われました。
まだ、そうした思いは語らないで。あなたの自責の念は、あまりに強すぎる。だからこと、同じような問題意識を抱くことができる人たちを、自死に追いやりかねない。
その気持ちを、自分の罪悪感に誰かを巻き込むような形ではなく口にできるようになったときに、きちんと伝えてほしい。
僕は今、自分の過ちについて語っています。けれど、絶望を語るつもりはありません。
間違いを犯した人間だからこそ、たった一言、どんな時代の中でも、「考えることを放棄しないで」と言いたいなと、そんなことを思っています。
どんな思想信条であろうとも構わない。どんな立ち位置であろうとも構わない。
ただ、その居場所の中で、考えることだけは放棄しないでいてくれたら嬉しいなと、そう思っています。
僕は、自分の結論を「これが絶対」とか言って、誰かに押し付ける気はありません。
ただ、点と点を結ぶことから、やがては「面」を生み出す力を見いだしてくださること。さらにそれが、僕が出した結論とは異なる、一人ひとりの「思索」を導き出していくことができればと、そう思い上がっているのです。
大村好位置チャンネル
奥主榮+郡谷奈穂 朗読会「65×25」プロローグ・第一部
https://www.youtube.com/watch?v=hWA9S9xb3Yg