「顔・手・作品・アイデンティティー/エゴン・シーレ、自画像について思う事」/ヒラノ

2023年04月24日

1907年
「僕には才能がありますか?」シーレ
「才能がある?それどころか有り過ぎる!」クリムト

1914年
「新しい芸術家はごくわずかしかいない、それは選ばれし者、他ならない」シーレ

「接吻/分離」
https://poetry2021.webnode.jp/l/%e3%80%8c%e6%8e%a5%e5%90%bb-%e5%88%86%e9%9b%a2%e3%80%8d%e3%83%92%e3%83%a9%e3%83%8e/

「彼から最早、教えてもらうことはない」そう言い放ち、あれだけ世話になったクリムトを蹴飛ばす様にウイーン芸術アカデミーを飛び出し、反目していたエゴン・シーレ

彼の短い人生で、その自画像の多さは少々異常だ
絵描きであり詩人でもあった彼の死

死までの間、200枚以上の自画像を描き遺した
彼の自画像は利き手であろう右手が本人の顔より前に出る様に描かれているのものが多数ある

俺の右手、お前の両眼

見ろ

売春婦をモデルにデッサンする
売春婦を買えない画家はどうするか?

鏡に映る自分を描く

サンドバッグを殴りつける様に、殴り続けるようにキャンバスに自分を投影した
必死に、銭になるように、感覚を研磨した

買った画材より、家賃より、プラスになるように、パトロンに出会えるように、皆に認めてもらえるように

願い、祈り、筆を握った
描くとはある種の信仰だ

もし、作家の利き手の手首から先が無くなったらどうなってしまうのだろう?反対側の手で描くのか、どっちも無くなったら筆を口で咥えるのか?

顔には個性が宿る、それを眼が、視覚が、記憶が、それまでの生活が、バーコードスキャナーの様にそれらを認知する

電子マネーの新しい決済方法の様に

あるいは音や言葉、音色やクセから見出す事も可能だ
新しい情報、ノックの音
「あなたは誰なんだ?」

父の顔、母の顔、家族の顔、友人の顔、友人と呼ぶには少し足りない知人の顔、あるいは不愉快な印象を呼び醒ます顔、そして私の顔

手、利き手、右手、顔を描く手

見て

バーコード、顔、認知した結果データや記号として変換するアウトプット、文体、語調、表情それらもバーコード、あなたは誰なんだ?ネットの向こう、モニター越しの顔、ステレオ、知らない人

知らない人に知ってもらう私の感情

漂流する個人情報

ピンポイントで現場にはいなかった人、無名の邪魔な嫉妬、全くもって無駄な質問


誰よりも有能、誰よりも重症、走っても振り切るなんて不可能、影のようにつきまとう誹謗中傷

受けて立つ
描いてやる

作品という二次元に封じ込める作業

詩であれ絵画であれ、筆を執り平面に落し込む工程、当てていく照明と見せたい情景、私が見た光景

下から上を見下す不思議なそれ、プライド

この社会、行く所まで行けば個人の識別は数字の羅列となる
家族から頂いたその文字の配列も漢字の日本語の、という記号でしかない囚人番号
それらは数式に置き換える事が可能で、01の二進数で、記録され、記憶される
携帯番号、口座番号、暗証番号、マイナンバーカード、それが社会のルール、スタンダード

脳か心臓か、または腸などの別の臓器か?はたまた身体の外のどこか?シナプス細胞と心霊現象、社会の働きを真剣に考える

原爆投下から70年以上経った今、
21世紀の今、子供にすらスマートフォンが普及した今、

それでも解明されていない心の在り処、何百年も放ったらかしだ、教えてくれないか?何処にあるのか
無いのかもしれない、ではこの気持ちは何と呼べば良いのか?

遭難者を乗せた盗難車とその傍観者、共犯者は誰か?「あなたは誰なんだ?」
鏡を前に手が、雄弁に語りだす
「俺だ!」

もしかしたら描き手の心の在り処は利き手なのかもしれない、という新しい考察

その利き手を振ってみて、

そう、
うん!
そんな感じ、もう一度

「バイバイ」

エゴン・シーレ、享年28歳




ヒラノ