「2022/07/01 Interview with MIMI-san」稀月真皓
2022/07/01 Interview with MIMI-san (元 南青山O'jas Lounge代表。三人の母でもある)
M=MIMI-san
み=稀月真皓
EVERYNESS(エブリネス)=O'jas Loungeで開催されていたオープン・マイク
み:こんにちは。ご無沙汰しております。今日はよろしくお願いします。
M:よろしくお願いします。
み:ミミさんはご自身の仕事としては、メインは今何なんですか?
M:私いろいろですよ。企画相変わらずやっていたり。コンサルとか論文の校正とかできることをやっている感じですかね。企画とコンサルが一番多いかな。
み:ご自分で会社やってってことですか?
M:SHEEDSHIPっていう小さいお店があるので、表立ってはやらないですけどそこの企画とか。
あと娘の会社があるので、そこに在籍しながら、娘が個人的にやりたい仕事のサポートとか、個人事業主の会社の方々のコンサルとか。
み:SHEEDSHIPはメインで土屋さんがされてますが、MIMIさんがお店に立つことはないんですか?
M:お店にはいかないですね。狭いので(笑)企画には携わっています。Zoomで、とかね。配信に移行していた時にこうしたらいいんじゃないか、とかは言ってました。
み:ライブハウスとかは人集まるな、と言われたら世知辛い。
M:特に地下のお店はきついですね。うちはまだ換気できるからましですけど。スタッフ集まって配信、とかできましたし。大きい会場でできる方も、ライブハウスとかでやるかたも同じことおっしゃるんですけど、配信はもう廃れているって。やっぱりライブができるようになったら見るほうもやるほうもライブに戻っていくよね。
み:O'jas Loungeでお世話になっていたのって、もう約20年も前だったんだなと。
M:ぎょっとする。でもあの辺何も変わってないんですよ。変わんないですよ、あの前の道とか。お店は変わっているけど、ビルは変わってないし。あの人通りのなさとか。
み:今もライブハウスですか?
M:いや、RED SHOESですよ。そこが移ってきたんですよね。あそこでできることってお店によっても違うから。あんなに無駄な時間は他のお店ではできなかったかもしれない。あれはもうほんと薄利多売ではなく、全く利益を追わない感覚でやらないとできないとできなかったと思うので。よくやっていたな、と思いますよ。
み:O'jas Loungeはいつ開店したんですか。
M:あれいつだったかなあ、長男が生まれて、生まれたばかりの長男を抱っこしながら物件をさがして始めて、長男の一歳の誕生日の前後位にEVERYNESSを始めているので、長男が今26なので 25年くらい前。
み:へぇ。じゃあ割とお店と同時にEVERYNESS始まっているってことですか
M:あの場所って人通りがある場所じゃないから、何しようね、っていう。当時からカオリンとかロバート・ハリスさんとかと親交が若干あったので、ポエトリー系やろうか、みたいな。音がそんなに出ないじゃないですか。ふたを開けてみたら叫ぶ人とかもいたんですけど、まあドラムはいって、とかではないので、やりやすかったんじゃないかな。ちょうどポエトリー文化 ニューヨリカン・ポエツカフェとか、アメリカン・ブック・ジャムとかが刊行されている頃だったと思うので。実は、カオリン・タウミが現役バリバリだったころはアポロっていうクラブに出ていたので、(EVERYNESSが始まったのは)もうだいぶ後、彼がヨレヨレになった頃なんですよね。だからどこかクラブみたいなところでやりたいけど場所がないねって言っている頃にできたのがO'jas Lounge。
み:では、もともとは音をガンガン出さずに人が集える場としてポエトリーを始めたということですか。
M:どうしたってライブは音が通りますからね。ああいうお店は周辺の住民の方々との折り合いが地味な取り組みになるので。週末はほぼクラブ営業で、ライブばかりもつまらないし、平日の五日間の真ん中なにやろうかってなったときに、諸々な複数の要素を加味するとポエトリー・リーディングが浮上とした、というか。なんかそれも、全部が同時進行でなんかただよっていて、基本的にはカオリンが電話してきたことがはじまり。
み:え、そうだったんですね。じゃあカオリンさんがそこでやりたい、と。
M:誰が電話してきたの?って感じ。こんなことやりたいと思っているんですけど、っていう話でした。
み:え?カオリンさんとの出会いはいつですか。
M:覚えてない。その電話です。だから、だれ?って、どなたさまですか?って感じでした。
み:なんで彼はO'jas Loungeに電話してきたのでしょう?
M:もうそのときすでに彼は多発性硬化症を患っていたので、理由もきっかけも私には全然わかんないですね。彼の周りから人がいなくなり始めたころだった。ただ、主人はアポロにいたので彼を知っていました。アポロにいた頃のカオリンはあまり人とも話さず、ザ・カリスマみたいな人だったから、主人としてもなんでかな、という感じだったんじゃないかなと思いますよ。
み:さっきMIMIさんもヨレヨレのカオリンだった、みたいなフレーズをおっしゃってましたけど、私も結局最後にお会いしたのってO'jas Loungeで、カオリンさんがぼそぼそっと2,3詩を読んだのを聞けたのが、ぎりぎり彼の伝説の終わりのほうに遭遇できたという感じだったんです。そのピークのとき、そのカリスマ性がバリバリでっていうステージを見られてないのがすごい残念で。
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M:うん、それはそういう人って多いのかなと思う。なんていうのかな、あがく姿って人はなかなか見せないじゃないですか。彼はすごいそれを見せていたので、ああいう風に生きている人はあまりいないと思うから。すごく語弊があるかもしれないのだけど、ストリートから生まれたものが定番になっていく、いい意味で。例えばスケボーがオリンピック種目になったりとか。すごい喜ばしいことだと思うし、それは、そうなったらいいなと思って努力してきた人達の数知れない積み重ねだと思うんですよ。でも、それと同時に失くなったものってあると思うんです。手放したもの、そこで生きられなくなった人たち。そこでだったら生きられたかもしれないって思う人々が、あ、ここも僕たちには門を閉ざしたんだって、目の前で崩されたような気持でとぼとぼと去っていく人がいると思うんですよね。だからポエトリーも、まあラップとかフリースタイルダンジョンとか今あるけど。私はもうずっとそれは一貫して反体制で。高校生のフリースタイルバトルの審査員をされている方が、この間ラジオで話されてたんですけど、高校生がこうするといいよ、ってアドバイスもらってるのは、いいことだなって思いつつ、習うことじゃないよね、って言ってて(笑)。
み:そうなんですよ!難しいとこですよね、それ!!
M:アドバイスしあうのはいいけど、習うことじゃないよなっていう。私の中にはずっとその気持ちはある(笑)だってなんか成功するとか、のし上がっていくとか、この職業で食べていくっていう意味が違うというか。ポイント稼ぎみたいになっちゃってて。でもなんか大なり小なり資本が入らないとどんな仕事もやっていけない。精神的にはきついものになっていくのが芸術の常なので、そうなのかなと思うけど。そういう意味ではカオリンの人生を語り継ぐ、というか、表現し続ける人がいないまま彼がこの世を去ってしまったのはもったいなかったなと思います。
み:実はこのO'jas Loungeを後世につたえるべく、このインタビューを...
M:それはいいー。(笑)
み:サイト「抒情詩の惑星」でアーカイブを作ろうって馬野ミキさんから話がきたとき、日本のポエトリーリーディングをたどったときにカオリン・タウミさんは避けられないので、彼について書いてほしいってきたんです、ホントは。申し訳ないけど私も伝説の最後のほうにピッとお会いしただけなんで全然詳しくないですって言って、じゃあ私が書けるのはO'jasかなってなったんです。
M:そうねえ、私も彼については詳しいっていうか...
み:ミミさんは彼のアポロでのステージは見ました?何回かご覧になってます?
M:見ましたよ。見ましたけど、それはすごいというより、なんていうかな。雰囲気としては俳優の窪塚洋介さんとかオダギリジョーさんみたいなかっこよさだったんですよね。その外見も相まってこの人自分が才能に恵まれていることをわかってやっているよね、っていう感じの人でした。私の印象は。NYのニューヨリカン・ポエツカフェでやって、いろんなことをやって、俺はこれからいろいろやれるはずって思っていたはず。そのあとの彼は考えるだけで本当に気の毒。本当に惜しいなと思う。その後の彼のほうがたくさんの人に見てほしかったなあという感じはあるけど。あれなんでなんだろうね、人って自分を大切にしたいんでしょうね。本当に彼の周りから人が減っちゃって。だから私のところによく電話がかかってきて、ここにいるからさあって、俺何も食べてないし、どうしたらいいからわからないって言われて迎えに行っていたカフェが、ついこないだまで渋谷で取り壊されずに建っていた。亡くなって何年も経っているけど、場所はあるのにカオリンはいないんだなと思って。私の中で、この世の中に生きていてほしかった人トップ3に入る人。親入れれば。親、親、カオリンみたいな感じ。すごく彼に救われたので。私は。話もたくさんしたし。もう話もできないくらいになってたのに「言葉」を方法としていたのが、一番詩人っぽかった。詩人ぽいってなんだと思いますけど(笑)詩人を見てるんだな、自分、って感じましたよ。だからあれは、言葉で思い出して記述するものではなくて、やれるとしたらもう一回同じようなことをして、その中でしか語れないものなのかなと思いますね。街もどんどん変わりますしね。カオリンがいた、くだを巻いていた下北沢の駅前もきれいになったし。
み:渋谷も変わりましたしね。
M:そうですよ。もしカオリンがお化けで出てきたらすんごい迷うと思います、ここどこ?!って。
み:いや、ホント町は変わりますね。
M:変わりましたよ、ホントに。ま、うちの子たちはカオリンにおむつ変えてもらってて(笑)
み:そんな一面もあったんですね。
M: やっぱり息子さんがいたので慣れていましたよ。すごくいい時間も過ごせたし。うちの子たちの中でカオリンっていうのは、不思議な遠い星みたいな感じ。どれくらい離れているかわかんないけど輝いているキレイな星をちっちゃいころ見たよね、みたいな感じでずっと残っていて。『バウハウト』っていう雑誌に、カオリンが連載が決まったって喜んで、連載前に亡くなっちゃったんですけど。
み:そうなんですね。
M:そのバウハウトっていう雑誌の編集部がうちのSHEEDSHIPの同じビルの一番上にあるんですけど、
み:あ!はい。
M:偶然にね。
み:つながりますね。
M:そのバウハウトの編集部さんもカオリンを覚えていて。
み:その、誰かと一緒に同じ人を想い出す、は供養ですよね。やっぱり。
M:まあ供養ですよね。彼としてみれば形にできない言葉たちがいっぱいいたまま亡くなったと思うので。私もカオリンが亡くなったということを乗り越えきれてない部分がある。私も。EVERYNESSは止まったんじゃなくて、できなくなったんですよね。
み:私てっきり、お店の移転の話があったから終わったんだと思っていました。カオリンさんが亡くなったから?
M:私とカオリンが二人で主催していたから。カオリンがその場にいなくても両輪だったから。カオリンがなんでEVERYNESSに来てたのかというとお客さんじゃなくて主催だったからなので。
み:わかってなかった、私そこ。そうなんですね。
M:彼が主催でした。どうしていないことが多かったかというと、彼は多発性硬化症が発症して脳に影響が出てきている中で時間の感覚もおかしくなっちゃったりしていたから。彼は離婚もしてたと思うし。各種手続きをちゃんとできないから行政からもお金をもらえない。そういう事情もあって彼はお金を全然持ってなかった。たかる人ではなかったけど、たからないけど、やっぱり頼りたいじゃない?食べるものもないし寒いし。だからうちが水曜日夜あけてればカオリンが来られる。そのときにお金が渡せるし。渡せるって言っても恵むわけではないですよ、ギャラを渡せる。それになんかあればその時に訊けるだろうと思って、私一人でも水曜夜のEVERYNESSは開けていた。彼は主催者なんです。二人で主催していたから、一人が亡くなってもしばらくやっていたんだけど、EVERYNESSを運営にするにあたって、彼がそれまでに残してきてくれた言葉が私の中でどんどん深くなって。かたや、やっぱりそのバトル形式のものとか、詩のボクシングとか、詩に優劣をつけることで、メジャーにしていくっていう動きのほうが主流になっていったときに、私はその動きには乗れないと思った。乗れないけどこれっておかしいよね、って唱えるほどのパワーもない。なぜかっていうとその時子どもを育てていたのでやはりそっちにパワーを注がなきゃならないじゃないですか。やっぱり一つの文化が変化していくときに違うよね、っていう声を上げ続けることはできないし、たぶんカオリンもそれあんまり好きじゃないっていうと思うから。EVERYNESSをやっていても参加される方々のギラギラさが変わってきた。盛り上げるために、とか。そういう感じになってきたので。盛り上がらなくていいのが詩だと思っていたから、盛り上げなきゃいけなくなるとちょっと違うなという感じもあって。自分の中で本質とこれは違うと思うんだけど、という意思のバランスが取れなくなった結果やめた。いや、やめてはないんですよ、休止。主催者求む、みたいな。だからあの頃のフリースタイルみたいなものを、今若いアーティストさんが普通に音楽に取り入れているのを聴くと、あぁカオリンに聴かせてあげたいな、とか思う。
み:EVERYNESSは何年間ぐらい続いてましたっけ?
M:全然覚えてないんですよ、私。忘れちゃった。O'jasの歴史とともに終わっています。結構長かったと思いますよ。
み:10年弱くらいですか?
M:そこまでではないけれど5年以上はあったと思います。
み:後半は私もお邪魔していましたが、第一回EVERYNESSは覚えてますか?どんな様子でした?
M:いや、おんなじです。真皓ちゃんが来ていた頃とおんなじですよ。もっと人が少なかったんじゃないかな。二人とか三人とか。あのエントリーノートに書いてもらって、読んだらすぐ順番が終わっちゃうんで、みんなでしょうがないから遊んでた。(笑)しょうがないねぇ、とかいって。後はカオリンが延々なんか言ってるとか。そんな感じでした。
み:参加人数が最近増えてきたなあって思ったときはいつ頃ですか?
M:Ben'sとかとリンクしてたんじゃないかな。
み:はい、そのころ私もBen's行ってO'jas行って、あっちいってこっちいってってしてました。どこ行っても大体同じ顔を見るなあって思いながら、自分もその一人だなあって感じで通ってましたね。
M:ま、同じくらいのペースだったんじゃないですかね、みなさん。で、その時にカオリンが俺これ違うと思うんだよね、って言いながら病状が悪化していった感じ。
み:あー、違うと思うって口にされていたんですね。
M:それは何て言ったらいいんだろう。ああいう人、異彩を放つ人って人と違うから異彩を放つわけですから、みんなが同じ方向を向くと才能の嗅ぎ分け方として、才能がこっちじゃないというかぎ分け方だったのかもしれないし、天邪鬼的にちがーうってことかもしれないし。こうじゃない、これじゃダメな気がするとは言っていましたね。そうはいってもニューヨリカン・ポエツカフェも優劣つけるスラム形式ですから。
み:ポイントつけますからね。私もあそこには一度行きましたけど、今夜の優勝はだれ、っていう風に決めていましたから。
M:そうなんですよね。だけど優劣というものの受け取り方が違うんだと思う。日本人と、何かが。何が違うんだろうな。真皓ちゃんはアメリカ本土に暮らしたことある?
み:残念ながらないです。ニューヨリカン・ポエツカフェに出たくてNY旅行行って、一週間だけ。
M:そっか。私はボストンとサンディエゴに研修で一か月間ずつだけですけど滞在して。すごいんですよね、差別が。これは絶対しないでくださいね、とかこれは日本の感覚とは違いますよとか注意をきかされるんだけど。良い腕時計はしないでください、腕時計だけを盗るのではなく、あなたの腕ごと切り落としますとか。そういう話を聞いて、その中での優劣っていうのはホントに心からの余興なんだと思うんですよね。おそらく。わー、お前すごかったな、みたいな。やー、楽しかったよ、って。良くも悪くもその場限りの最高の盛り上がり。日本人ってなんか積み重ねたがるじゃないですか。第何回優勝とか何連覇みたいな。
み:過去の実績がずっと付きまといますしね。
M:勝つってことに対する楽しみ方が重いんだと思うんですよね、日本人は。
み:はい。(笑)
M:だから形だけスラムで今日の優勝は君、って言っても、伝える側も受け取る側も重くなりがちになっちゃうので。あの辺からEVERYNESSも変わっちゃった気がして。それをカオリンとなんかこういうんじゃなくて、って途中いろんなすごい変なことやったんですよね。今日はポエトリーリーディングやらないで、延々キャンドルを回す日にしようとか。なんか抜け道を作りたかったのかな。なんにも生みませんでしたけど。そういう日を作ったりしてました。今週は、こういう日って。そのなかで言葉が浮かんだらつないでいこうよ、って。
み:実験的ですね。
M:でもそうするとみんな受け狙いというか、自分はいい言葉を出してやるぞとか思うから全然いい詩にならないの。(笑)
み:(笑)
M:すごくしゃっちょこばっちゃてるね、みんなみたいな。(笑)
み:はい、はい。(笑)気合空回りな感じ。
M:みんないーよ、それそうじゃなくてって。(笑)あれはあれで面白かったなと思いますけど。
み:面白いですね、それはそれで。(笑)
M:なんかそんなことをやったりしてました。
み:カオリンさんが来ない日もEVERYNESSをやっていて、一見さんが来たり、顔なじみさんが来たりしたわけですが、MIMIさんの中で思い出のパフォーマーはいますか。
M:いますよ、おじさまで。眼鏡かけてらして。ちょっとお名前出てこないんですけど今。たぶんBen'sにもいかれてたと思います。自分の人生はローンを払い続けて、払い終わったら自分の人生も終わってたっていう詩。
み:せつないですね。
M:ほんとに普通のおじさまなんですよ。サラリーマンで会社帰りに来るので、残業がある日は来られませんでした、と。でも結構コンスタントに来られていて。カオリンはそれつまんないよ、面白くないよとかいうんですけど。私はすごく好きでした。支払いの紙がポストに来るわけですよ、何月何日引き落としされますよって。それが終わったなと思ったら自分の人生もほぼほぼ終わってた。で、私はそれをローンの支払いをするたびに思い出すわけです。
み:私もそれもう覚えちゃったな。支払いしたらよぎるな。
M:でしょ?だから彼は、詩人ですよ。詩人ってこういうことなんだって思う。名もお金も残らないけど言葉が残る。一個ローンが終わると私は心の中で、私も頑張ったよって、なんか報告しながら。
み:うん、うん!
M:ご存命だとは思うんですけど、あの当時何十年ローンが終わってたっていうなら、確率としてはご存命かどうかわからない。
み:きわどいところですね。男性の平均寿命くらいですよね。
M:もしかしたら、もうカオリンと会っているかもしれない。
み:そうですね、雲の上でご一緒かもしれない。
M:その詩がすごい思い出深いです。それは強烈に覚えている。なんかそのカオリンみたいにパフォーマンス、フリースタイルのイメージが入ってきて、皆さんがどう聞かせるかということを考えるようになっている中で、彼はほんとにずっと自分に起こってきたことを言葉に置き換えて、それを僕は出したいんだよね、っていう本能を持ってボソッと。彼にとってEVERYNESSは排泄場だったかもしれない。
み:ポエトリーリーディングは私自身にとってもそうなんですけど、精神衛生上必要な排泄行為ではあるんですよね。ただ、人前で排泄するからには見るに堪える状態で出しますよっていうのが私の中にはあるけども、でもやっぱりデトックスですよね、絶対。まあ他のアートもそうかもしれませんけど。
M:なんかね、純粋というか。彼の人生にのっとったものだと思うんですよね。お寿司のシャリの上にネタがのっているように、彼の人生の上にそった表現がのっていたんだろうなって思って。それが私にとっては面白かったんだろうな、と。ほかの方はパフォーマンスの仕方とか表情は覚えているんですけど、言葉は覚えてないんですよ。だから面白いなって。文字に残して素敵な方もいるじゃないですか。村田さんとか真皓ちゃんとか。
み:ありがとうございます。
M:彼は文字に残ることも想定してなさそうな方でした。新橋に飲みに行かなくていいの?みたいな。
み:(笑)
M:その方は記憶に残っています。
み:MIMIさんが即興をやり始めた理由は何かあるんですか?
M:子育てで忙しかったからです。忙しくて準備できなくて、エントリーする人が少なかったのでじゃあ、即興でやりまーすって感じ。
み:即興はやってみないとできるかどうかわからないじゃないですか、前準備というか、即興の前準備って変ですけど、そういうのもなく舞台でいきなりですか。
M:だって今しゃべっているの、即興でしょ?
み:はい。
M:だから、これと同じです。でも今はO'jasとかカオリンについて話してくださいって言うテーマをいただいたのでそれに沿って話していますけど。で、詩って大体タイトルがついていて、たとえば「雨」とか。雨なら雨に対する詩が流れる。ほんとに即興で言いたいこと言ったら普通にしゃべっている人になってしまうので、それじゃだめだなって思ってタイトル下さいって言っていただけです。だから今と全く一緒です。だからタイトルをもらう行為自体が詩でしたね。この人どんなタイトルくれるんだろうって思うじゃないですか。例えば、「バイク」という言葉、この人の頭の中にはバイクっていう言葉があって、この人がそれを言った瞬間、もうそれが詩だ、という感じ。
み:はい。
M:だからそのたった一言のバイクという詩のあとの、そのふわふわっとした影を追っかけるだけっていう。子育てが忙しくなかったらなんか一生懸命準備していたかもしれない。(笑)
み:私はMIMIさんの即興を見てシビれて、まねしたんですよね。いまだに即興はやらせてもらいます。
M:えぇ、そうなの。
み:そうなんです。MIMIさんが即興を見せてくれなかったら私即興始めてないです。
M:知らなかった。
み:あれ?いったことあると思いますけど。(笑)MIMIさんの即興をO'jasで見て、「何、これかっこいい!」って思って。先ほど詩人のみんながパフォーマンスに気を遣いはじめて、どう見せるか、どう聞かせるかを探り始めたのが何か違うと思うよねという話出ていましたけれど、あんなにはっきり言って飛び道具的に耳をわしづかみにする方法他にないって思って。少なくとも「バイク」って言った人は絶対聞いてくれるじゃないですか。それもかなり真剣に聞いてくれると思うんです。
M:うん、うん。
み:で、これかっこいい、この手があるのか、と思って、MIMIさんの聴いてからずっと即興やらせてもらっています。
M:えー。でも、なんか普通にしゃべっているだけですよね。(笑)
み:(笑)
M:私なんか整えないし。なんかあの子どもを叱っていると、即興みたいになりますよ。
み:ホントですか?!なんて高度な𠮟り方!聞いてみたい・・・
M:なんか、そうですね割とそういう感じになるかな。だから同じだともう。たぶんそういうところがカオリンと気が合っていたのかもしれないです。
み:MIMIさん自身はO'jasでのEVERYNESSの前に、幼いころから詩集に慣れ親しんだとか、詩の朗読を聞く機会があったとか、そういう風に詩に触れることはあったんですか。
M:全然ないです。
み:あ、そうなんですね⁉
M:ただ、家に大正文学とかの文学集があって、私はひとりっこで体が弱かったのでそれを読んだりしていました。それがまた旧仮名遣いだったのでなんじゃこりゃ、という感じでしたけど。
み:難易度高いですね・・・
M:そう、難易度高かったけど。そのおかげで言葉を言葉としてだけじゃなくて、映像にするという習慣はあったかもしれないですね。
み:じゃあ特別その...
M:詩、したことないですね。私変なこと言うようですけど国語の勉強したことないんですよ。ちょっと自慢ですけど、高校の模試、全国一位だったことあるんです。
み:すごいじゃないですか!それは自慢していいと思います。
M:ま、何の役にも立ってないですけど。言葉は好きなのかもしれないです、もともとね。
み:うん、うん、そうですね。
M:だから、そういう切り口はあったかもしれないけど、詩っていうのはEVERYNESSで初めて、ですかね。それまではどっちかっていうと、否定的だったかもしれないですね。でも、後にどうして否定的だったのか分かったんですよ。
み:はい。
M:私、谷川俊太郎さんの詩を見て、否定的だったんですよ。そしたら、谷川さんが、「僕は職業詩人だから、計算して書いているから」って言っていたんですよ。
み:あ、そうですね。スタンス反対ですね。
M:そうそうそう、だからその書かざるを得なくて書いたんだ、というような、芥川さんとかのほうの文章が好きだったから。なんか整えて自慢げな文章が苦手だったので。そうじゃない詩って読む機会がなかったから。EVERYNESSを始めてから、そうじゃない詩にも触れるようになった。
み:うん、うん。少し泥臭い、俗っぽい話になりますけど、EVERYNESSをやっていておもしろかったエピソード、事件とかはありますか。
M:あるけど、言えないです。
み:Oh,言えないレベルですね。
M:そうなんですよ。ああいうお仕事をしていると、本当にいろんな人が来るし、いろんなことが起こるんですよ。今俗世間でガーシー*さんって方いらっしゃるのご存じですか?
み:いえ(汗)
*東谷義和氏 Youtubeで芸能人の暴露話をしている。国会議員。2022年7月NHK党から出馬し当選
M:あの、芸能人のいろんなこと暴露していて、今度政治に参入しようかなって、方がいるんですけど。(本インタビューは2022年7月1日)その方の話す芸能人の裏事情、プライベートはわかります。ああですもの。私たちは逆に、お店では安心してくださいね、ってするのが仕事ですから。公には言えないようなことが面白かった。それが日常でした。あそこに毎日来てあそこで結婚したよ、とか。あそこで起こることは日常なので思い出に残るようなことは何もない。あ、でもひとつレキシっていうユニットね、
み:はい。
M:あれは、O'jasのクリスマス・イベントで生まれたよっていうのは(言える話では)面白いかもしれない。
み:うわ、そうなんですか?!
M:そうなんですよ。歴史が好きなんですよね、あの方。
み:うん、それはにじみ出てますよね。
M:で、歴史をテーマにして歌って、すごい面白いねってなって、気づいたらちゃんとしたユニットになってメジャーデビューしていた。
み:うんうん、そうなんですね。へぇ。
M:そうなの。今でも覚えています。O'jasってステージが段降りる感じになってたじゃないですか。その段にみんな座ってて。
み:はい。
M:で、クリスマス・イベントでその段真ん中ですっごい楽しそうにレキシの方が歴史テーマの曲を演奏していて。みんな笑って...たら、で気づいたらレキシっていうユニットで出てきたから「ウソでしょ?!」って。
み:へええ、そうなんですね。
M:だから結構いろんなものが生まれているなと思いますね。言われてみれば。でも私はあんなことがあった、こんなことがあった、って覚えないように、数えないようにして来たから、結構忘れているかもしれない。
み:それは何でですか?
M:前しか見たくないから。
み:なるほど。
M:やっぱり前を向いて進むにはそのための情報収集を全力で前向いてやらなきゃコケちゃうじゃないですか。
み:はい。
M:ライブイベントのお店って別に会社があって税金対策で作っているお店とかあるけど、あるいはちゃんとした財源があるとかね。
み:はい。
M:うち、たばこ屋さんと一緒だもん。
み:たばこ屋さん!(脳内でおばあちゃんが店番をする古き良き町のたばこ屋さんイメージ展開)
M:超零細家庭内企業ですもん。だって、クラブを家でやっている人いないよ?!
み:うん、あんまりないかもですね。
M:だって有限会社ですもん。資本金すごい少ない。そして家賃と教育費と家のローン払いながらやって。だから数えないんですよ、私。目の前にあるやることは全力で稼ぐことと節約すること。全力で節約してればなんとかなるから。で、全力で営業して全力で子育をする。そうして全力で、ってやってると後ろなんて向けなくて。
み:うん、うん。
M:だから、前向くために後ろを向かないようにしていたから、忘れていることがたくさんあるかも。
み:いやぁ、そもそもなぜ、O'jas Loungeをやろう、ってなったんですか?その、お店をやろう、は?
M:私もともとはクラシック・ピアノをやっていて、話すと長くなるんですけど、まあいろいろあってアメリカに研修に行って、そこで救われたんです。すごいぼろぼろの状態で私行ったんですよ。で、ZZ TOPっていうグループがサンディエゴの海浜公園でライブをやってたんです。
み:はい、ひげの長―いおじいちゃん二人組です?
M:そう。その当時もひげの長ーいおじいちゃんでした。(笑)その人が、私が目の前にいるのを見て、多分楽しそうに聞いてたんでしょうね、アジアの女の子が楽しそうに踊っているなあって思ったんでしょうね。ステージにあげてくれて。
み:えぇ?!
M:ピアノのコードは引ける?て聞かれて。ZZ Topって来日すると東京ドームとかでやるようなグループなんですけど、その海浜公園ではめちゃ揺る~いかんじでやってて。その体験がすごく楽しくて。帰り際にギターの形のバッジをもらって、「すごく楽しかったね、君の人生はこれから良く変わるよ。」って言われて。で、そういう体験とともに、ボストンとかサンディエゴに行くと地下鉄のコンコースとかですごいいい演奏をやっている人たちがいる。ストリートだと雨が降るからなのかわからないですけど。そういう人たちはストリート・ミュージシャンなんだけどレベルがちがうんですよね。で、ホームパーティーとかでもキーボード持ってきてちょっとセッションやろうよ、みたいな。それが普通の家庭で行われるのを見ていて。日本って、なんかクラッシックだったら外のコンクールだ何だで入賞しないと世に出ていけないけど、そういうところでは、空気を吸うように自然に楽しくやっていて、音楽をね。その感じを、どうしてそういう感じになるんだろうなんておもって。多分ステージが少ないんですよ、日本は。ストリートにしてもなんにしてもステージがないじゃないですか。だから誰かがパフォーマンをしているときに黙って聞かなきゃいけないようなお店にはしたくないと思っていて。だからあのお店では実はオペラやったりもしてたんですけど、クラシックのライブとか。そういうなんでもありのをやりたいんだけど、たまたま日本ではクラブになっただけ。クラブ、をやりたかったわけではない。ピアノだってどっか原宿の廃品ピアノ。どこか建物を取り壊すときにもういりません、っていうピアノをもらって。そうやって家具とかもそろえて作ったのがあのお店。だから建物なんだけど、感覚としてはストリートなんですよ。
み:はい。
M:そういう感じで作ったお店ですが。いろんな人に音楽で楽しんで欲しいな、と思って作ったお店。
み:そういえば、土屋さんから、Blue Noteがそんなに遠くなかったのでそこでコンサートやったミュージシャンがその余韻そのままO'jas lougeに来て演奏することがある、なんて話聞いてましたが、それはまさに狙い通りって感じですか?
M:うんうん。狙い通りってっていうか、それってOjasでもJazzの日ってやっていて、その日に来てた人たちが自然にやったことなので、おもしろいねーって。で、うちのピアノってBlue noteに用意されているようなものではなくて、ホントに幼稚園かどっかのぼろぼろのアップライトだったんですけど、この音いいねぇ、ってめちゃめちゃ評判良かった。出ないキーがあるのに、この音いいねぇって言ってくれて。やっぱり違うんだな、と向こうの人の感覚ってなにか自由というか、違うんだなって思いましたね。だから、まあストリートをお店にしたかったというのが動機かな。お金全部なくなっちゃいましたけどね。(笑)
み:世知辛い(苦笑)
M:世知辛いですよ、大変ですよ。
み:ストリートゆえに儲けづらいところですかねぇ。
M:なんで儲けられないかわかりますけどね。ストリートとかでやる人って、お金もなくてお客さんもついてないからストリートでやるわけじゃないですか。
み:はい。
M:だからお客さんがいないってことは、お店にお金落とす人はいないわけじゃないですか。
み:はい。
M:で、みなさん、事務所がついてお金落とす人が来るようになるとO'jasみたいなところではやんないわけじゃないですか。みんな旅立っていくので。なので、お金は儲けらんないんですよ。
み:うーん、確かにそれじゃ儲けるのは難しいですね。
M:まあ仕方がないねぇって感じですかね。
み:それでもご家族の生計を支えられるだけ稼いでたわけですから。
M:いやいやいや、他に副業をしていたのでなんとか毎週赤字になりながらなんとか。私の体力が尽きるのが先か店の営業が終わるのが先かって状態でした。貯金とか生命保険とか崩したりしながら。
み:そんな状態であの場を作って下さってたんですね。
M:いや、よくできてたなと思いますよ。奇跡だったなと。
み:そうだったんだぁ。
M:そうそうそう、ほんとに。今でも思い出しますもん。子どもがマック食べたいって言ったときに財布に小銭が50円とかしかなくて、マック買えないのよ、ごめんねって言ったこと。当時ほんとに貧乏さんだったんですよ、うち。
み:いやー、聞けば聞くほど、出させてもらっていた身としては有難さしかない。
M:ああ、そうですか?今あらためて思うのは、子どもたちよく大きくなったなと。一番大事なことは子どもたちが病気しないことだったので。早寝早起きとか徹底して。で、まあ何とかなったよって感じ。
み:一回か二回、息子さん娘さんにお店でお会いしたんですけど、ペコって挨拶してくれて。でも普段はお子さんたちはお店には来てなかったんですか。
M:寝てましたよ。
み:そうですよね、子どもは寝る時間ですよね、ライブとかコンサートとかって大体。
M:その日はベビーシッターさんにお願いしていました。また、高いんですよ、それが。だからマイナスですよね。
み:先ほど、EVERYNESSは休止中っておっしゃいましたけど、なにか企みとしては、たとえば毎週一回だと大変だけどいつか単発で、なんて実は温めていたりしますか?
M:全然ないです(笑)
み:休止しっぱなし?!
M:全然ないです、ほんとに。私すごいいい加減な人なんですよ(笑)
み:いやいやいや(笑)
M:いやもう、ほんといい加減な人で。これやっちゃいけない、とかあんまりボーダーがなくて。だから数えずに前だけを向いてきたんだと思うんだけど。やめてないから休止中っていうだけで。なんかやっぱりEVERYNESSはカオリンのものだから、名前も命名もそうだから。その志みたいなものを受け継げそうな人がもし現れたら、やってみない?って声をかけるかもしれない。
み:なるほどですね。
M:でも日本が今EVERYNESSを求めているかなって思うと、コロナもあるし難しいと思いますし。なんかね、やっぱりあれは一人で主催をしてなかった理由はいろんな視点があったほうがいいっていうのもあって。まあ志というか感覚としてなんか面白そうな方がいたらオンラインとかでやるかもしれないし、実際にやるかもしれないし、その方に託すかもしれない。まあ出会いがあればあるんだろうなっていう感じです。
み:そういう方がいるかもしれないから終わりにはしないで何となく冬眠させておく、みたいな?
M:ふんわりおいている感じです。
み:いつか誰かがその包みを開けてくれるのをちょっと期待しています。
M:ねー、ほんとに。なんか今若い人言葉に対する感覚が自由になってきているので。自由を保障されすぎることに対して、一周回って不自由を感じている人が、逆にこれってほんとにそうなの?という不自由を感じている人がどっかにいたらいいな。
み:あー。
M:なんかこう信じているものが目の前に在って、ずっとこういう風にしようああいうしようって思った挙句に、これって本当にそうなの?って思ったあたりの人に出会えたらいいな。
み:あー。(二度目)いそうです。いるんだと思うんですよね、そういうひとどっかに。
M:私は、今ほとんど人と会う機会ないんですけど(笑)
み:それだけお忙しかったら、なかなか新しい出会いは難しいですよね。
M:でも、ほんとに私にとって詩って、今やんなよって言われたらできるようなことでもあるから自分ができることっていうのは言ってみれば自分のフィルターを通したものだと思うので、他のフィルターを持っている人と一緒にやるのが面白かったんだなと思う。EVERYNESSにとってはそれがカオリンだったし、まあ彼が言い出しっぺでもあったし。EVERYNESSはまだ生きてはいる。
み:今私の頭の中でEVERYNESSはスリーピング・ビューティーです。めっちゃ美しい人が寝てるー!美しすぎて死体なのか生きてるかわかんないけどキスしちゃうーっていう王子様がどこかに!?
M:ねー、だれかいませんかー?(笑)どうですかね、こればっかりは。なんでEVERYNESSってつけたのかっていうのもちゃんと聞けてないんですよね。
み:そうなんですか?
M:いや、一度訊いたんですけど、「EVERYNESSだからだよ」って言われたんですよ。
み:「なんでもあり」ってことですか?「EVERYONE」じゃないですもんね。ちょっと面白いなと思いました、これ。
M:「EVERYNESSだからだよ」って言われて、会話成り立ってない。これって造ってるじゃないですか、言葉として。
み:造語だと思います。
M:だから「EVERYNESS」っていう感覚でまた始められたらいいのかな。わかんないですね、こればっかりは一年後にEVERYNESSっていうお店ができてるかもしれないし、配信してるかもしれないし。
み:今、何かを楽しみにしていてよさそうな予感をもらえてうれしいです。
M:それが始まったからと言って楽しいとは限らないですけどね。
み:物事はじまるときってそうかも。前夜祭です、前夜祭。始まったら苦しいだけかも。
M:美化してる部分あるじゃないですか?
み:正直あるかも(笑)
M:どうすんのこれ、っていう日いっぱいありましたもん。しょうがないからゴキブリの駆除でもしようかっていうときもあった。
み:(笑)
M:ほんとにいつかなにかとは思います。皆さんが楽しいことしたいなって思っているうちに。世界に今いつ何が起きるかわからないので、いつ何が起きてもいいように楽しく生きていく中で、またEVERYNESSが目を開けて、またみんな楽しく遊ばない?っていうときは、来るのかなと思います。
み:その時には一緒に遊びたいと思います!
M:ぜひぜひ! その時はご参加ください
み:私に何かできることはやりますので。今日は長々とありがとうございました。