「T-theater reboot projectへのPre企画」奥主榮
T-theater再起動の計画をぶち上げたのは良いものの、組織作りの宛てはなし。顔見知りの若い方に、マネージメントなどが出来る人を紹介していただこうと、相談を持ちかけた。このとき、実は相手がマネージメントとかをやってみたいと言い出してくれないかなという下心があったことも明記しておこう。しかし、話し始めてすぐに、相手の方はバックステージを勤めるよりも、表現者として表舞台に立つことの方が相性が良いのだと気がついた。さらに、二年後の舞台の手伝いへの確約はできないという。
その瞬間、僕は口にしていた。
「実は九月にPre企画を予定しているのですが、一緒に共演しませんか?」以前の舞台で周囲のメンバーがさんざん悩まされた、奥主の思いつき発言である。
そもそも九月の公演というのは、次のような主旨から開催を決めたものである。
「17年も前に解散した朗読を中心とした舞台集団のことなど、今さら知る者も数少ないであろう。だとしたら、やりなれた単独朗読会という形式で、過去のTの公演で取り上げた作品を朗読する企画をやれば、準備に手間もかからず、今度こそ楽にライブができる。(我ながら不純な動機が混じっていることは認めざるを得ない。)」
しかし、過去作の中からベストのものを選ぶというスタイルで始めた、よるのひるね(夜の午睡)での単独朗読会、この何年かはほとんど書き下ろし作品を中心としたものになっている。毎回、「今回こそ楽をしようと思った」とぼやきながら、「抒情詩の惑星」の原稿も書き進めつつ、新しい作品を描きつづけているのである。(以前は、詩誌の原稿執筆もあったが、この春に関係を断ったので、そちらはもうない。)
口実を付けて準備が楽な舞台をやるなどという浅ましい下心は、最初から覆る運命にあったとしか思えない。
「この方は、創作者だ」と直感した相手は、すぐに快諾してくださった。不思議である。どうして胡散臭い爺が持ち出した企画に乗ったのであろう。しかも、次に相手の方は、こちらが「どんなテーマで舞台を統一しましょうか?」という問いかけに、あっさりと「戦争」と口にしたのである。
初対面同然のときに、演劇をやっているという話を伺ったとき、「どんな内容」と訊ねたら、家族とかを描いた舞台をやっていると話していた記憶がある。(うろ覚えなのだけれど、そんな印象を受けた。) その後いただいたプロフィールでも、それほど深刻なテーマを扱ったものを演じてこられた方という印象はなかった。
何度か文章に書いてきたことなのだけれど、僕の家は敗戦までは「職業軍人」の家系であった。子どもの頃のあるとき、自分の頭を撫でている父の手が、かつては戦場で誰かの生命を奪ったのだと気がついた。とても苦しかった。この気持ちを、同じ世代であれば同じ気持ちを抱いて育った人も多いはずと、そんな声をかけてくださった方もいた。しかし、僕はより、個絶した思いを味わった。職業軍人は、徴兵されて戦闘に参加したのではなく、自ら「軍人」という職業を選んだのである。さらに、敗戦前の日本では、そうした判断は疑うことなく賞賛された。
「戦争」というテーマを持ち出してきた理由を尋ねたとき、僕の中の何かが動いた。
戦争についての話題を、家庭では(テレビのニュース等を見ながら)普通にしていた。でも、そうした話題を避ける方、黙殺する方も家庭以外の社会では、周囲におられた。
そんな話を聞いたとき、脳裏を子どもの頃の記憶がよぎった。僕は、周囲の子らにコミュニケーションを拒まれるような存在であった。「お前、何ややこしいこと言ってんだよ。馬鹿じゃねぇのか?」そんなふうに周囲の子たちに責められながら、おろおろとしながら口ごもっていた。簡単に善悪を二分することが出来ず、「でも、でも、でも」としつこく異論を言葉にする子だったのである。周囲からは、鬱陶しいだけの存在でしかなかったかもしれない。
「周囲とのコミュニケーション」に価値を見いだす良識とやらも存在する。けれど、自分の言いたいことを、どれだけ時間をかけてでも伝えようとする、効率の悪い非生産的な個人も確実に存在する。僕はそんな子どもであった。だからこそ主張する。
一人ひとりの個人の存在には、けして社会と調和することのできない違和感というものが、とても大切なのである。
「この方と、共演できるのは、とても嬉しいな」と、そう思った。相手の方もまた、周囲との齟齬とに対して、真摯に向かい合いたいのだろうなと感じた。僕の勝手な思い込みかもしれないけれど、一人でいることの辛さが分かっているからこそ、誰かと共演できる方なのだなと、そう思った。
共演が決まったとき、新しいフライヤー(宣伝素材)を作り直した。公演までの日程の折り合いもあり、最初は急いで僕一人で勝手に作り込んだのだけれど、すぐに反省した。これでは、共同企画の意味がないではないか。自分の独走を、相手の方に謝罪するしかなかった。そうして、新しいフライヤーを作り直した。少し時間はかかったが、それに僕はとても満足している。
少し共演者について、プライベートな情報も含めて記しておく。
その方は、僕が良く行く映画館のスタッフ。フライヤーには明記されているが、郡谷奈穂さんという方である。僕と、ちょうど40歳の年齢差がある。
彼女と、初めて出会った頃に、こんな話をした。
創作という場は、対等な関係が築ける場所である。肩書きもキャリアも問題にならない。ただ、受け手の心に届くものを描いた人はリスペクトされる。同意してくれたときの笑顔が、とても眩しかった。そんな会話をきっかけに、楽に実現できるはずであった僕の企画は、新しい色付けをされていった。
結局、新しい描き下ろし作品と向かい合うことになった。戦争というテーマは、今までさんざん描いてきたので、だからこそ新しい視点から取り組むことになった。
最初の朗読会のタイトルは、「Starting Point(はじまりは…)」であった。新生T-theaterの出発点としての朗読会にするつもりであった。そこに新たに、「奥主榮+郡谷奈穂 朗読会 65×25」と付け加えた。
このタイトルに、全ての思いをこめた。
九月二九日、阿佐ヶ谷よるのひるね(夜の午睡)。一三時四五分開場、一四時開演。
予約料金は千五百円(飲物代含)
当日料金は千八百円(飲物代含)
二十年以上前から変えていない料金設定である。
朗読会の主旨や経緯に興味を持たれた方においでいただけると、とても嬉しいと思っている。
二〇二四年 七月 一〇日