「イエス, アイムカミング(7)」荒木田慧
Lは赤ん坊のような声を立ててけらけらと笑った。濃い褐色のまつげの下で、Lの瞳の表面はシャボン玉のようにゆらゆらひかっていた。目を離したら今にもはじけて、壊れてしまいそうだった。
部屋には朝も夜もなかった。日付も曜日もなかった。Lは深夜でも構わずスピーカーから音楽を鳴らしたし、窓や玄関の扉を開け放っては空気を入れ換えた。気候のよい10月のはずだったがやたらと寒く、私とRはがたがた震えていた。じわじわと肘や膝の先から浸み出し落ちるような重力だけがあった。私たちはその適切さに圧さえつけられるようにして、薄い布団の上にじっとうずくまっていた。
この部屋には鏡がないのだとLは言った。たしかに風呂場にも狭い居室にも、どこにも鏡はないようだった。「あるのはこれだけ」とLが見せたのは、印鑑ケースの蓋の内側についた小さな小さな鏡だった。「そういえばどうして印鑑ケースなんかに鏡がついているんだろう」とLが不思議がったので、「判をつく前に、本当にいいのか?って自分の目をみて確かめるためにだよ」と出まかせを答えた。なるほどきっとそうだ、とLは感心していたが、今考えてみるとあれは口紅のケースだったんじゃないだろうか。
玄関脇の小さな冷蔵庫にはコンビニから貰ってきた廃棄食品が入っていて、腹が減れば自由に食べてよかった。口に入れてみて、おかしな味がすれば吐き出して捨てた。RもLもひっきりなしに酒を飲んでタバコを吸ったが、どちらもあまりうまくはなさそうだった。酒やタバコが切れれば外へ買いに行った。金がなくなれば道で拾って帰った。
Lは小さなバスタブに湯を張ると、仰々しい仕草で私に勧めた。またどこかから盗んできたのだろう、蒸気の底にはピンクのアンスリウムが何本も沈んでいた。風呂から上がると、Rは私の濡れた髪をクシでといた。LとRは同じ布団で寝た。私はひとり対岸の布団で寝た。もし私が男だったら、もっとLとRの近くへ行けたのかもしれないと思った。でももし私が男だったら、LとRの興味を惹くことさえなかったのかもしれないとも思った。そう思うと嬉しくて悲しかった。
LはRのことを「R様」と呼んで崇めていた。しかしLがいないところでRは、俺はLが大嫌いなのだと言っていた。Rは誰に対してもそうで、他人に悪口を言いふらして人を孤立させ、当人の前では自分だけが理解者であるよう振る舞って、他人を自分に依存させようとする癖があった。それがあまりにも邪悪であからさまで、馬鹿馬鹿しくてかえって無邪気なので、人には割と好かれているようだった。
あるときRは私の持っていた「オン・ザ・ロード」の文庫をみて、ケルアックが好きだと言った。道で寝起きしている人間が言うと説得力があったが、お前はこっちだろうと私は「人間失格」を渡した。Rはすぐにそれをなくした。
LとRは二人とも40代後半で、その年代であれば仕事や家庭を持っていてもいいはずだった。よく言われるような言葉で言えば、いい歳をとっくに通り越してもまだふらふらしている。つまり子供のような、痛い大人だった。モラトリアムにぶら下がり続ける大人は醜いはずである。しかし私は二人から、そういう類の醜悪さを感じることはなかった。二人ともあまりに子供じみていて、痛さや醜悪さなどとっくに通り過ぎているのだった。あまりに真剣で切実でむき出しで、誰からの審判も必要としていなかった。二人とも病的な嘘つきで、それはむしろ自分自身に対して誠実であり正直だった。二人に比べれば私はよほど巧妙な嘘つきで、そのぶん不純であり性質が悪いのだった。
Lは自転車にぬいぐるみのキーチェーンを下げていて、そのコレクションのなかの二匹のクマを、LとRからといって私にくれた。「この2つだけは目がビーズなんだよ」と並べてみせたが、確かに他のぬいぐるみは目の部分が刺繍で、二匹のクマだけは瞳に光があった。ぬいぐるみの目がビーズかどうかなんて、私は気にも留めたことがなかった。仏像をつくる技法で、水晶を瞳にはめて光らせる「玉眼」という技があることを後で知った。二匹のクマは玉眼だった。
二人が代々木公園沿いの道脇に布団を二組敷いて、眠っているのを見たことがある。それは道脇の石ころと同じだった。なんの露悪的なところも、怒りも悲しみもなかった。アイデンティティなど必要としないまっすぐな実存だけがあった。それは私の知る限り最も美しい降伏のポーズだった。
Rは眠ると死んだようだった。Lの瞳の底は深淵みたいな色をしていた。
むき出しの痛みだけがそこにあって、それはそのままでとてもきれいだった。