寺西幹仁が遺したもの ■孤独な誰かへのテスタメント 安孫子正浩
寺西幹仁が生前一冊だけ遺した詩集はタイトルを『副題 太陽の花』といい、「FYYO」等に発表されたものも含め19編が収められている。1999年8月、発行は詩学社。
詩学の最後の編集長となり廃業の場に居合わせた寺西さんを世間の人はどう見ているのだろうか。
彼ほど「詩」のことを想い、憂いていた人を僕は知らない。「詩を書く」人の多くは実は「詩」という表現形態が好きなのではなく「自分」が好きなのだと僕は思っている(あくまで個人の感想ですよ)。表現の手段が他にあれば「詩」でなくてもよいのではないか。「いやいや失礼な。わたしは自分の作品に限らず詩が好きなんだ」という人にしても、詩の窮地を敏感に察しどうにかしないと、とまで思ってはいない。無論いまもネットや個人的な詩誌は巷にあるので、ある意味寺西さんは杞の国の住人であり、プロメテウスだ。
寺西さんは自分の詩や詩人ではなく、ただ「詩」が好きな人だった。もしかすればある時期自分が「詩」に救われ、いつかまた自分同様に「詩」に救われる孤独な誰かが現れるかもしれず、そのまだ見ぬ誰かに寄り添うよすがとしての「詩」を失くしてはいけない、と思われていたのではないか。詩を信頼し、それをもっと人の手に届く場所へ置かなければならない、という使命感のようなものがその背中にはあった。
だから、「一冊だけ詩集を遺している」と書いたが、ある時期の寺西さんを見ていた僕にはその一冊さえ編まれたことが不思議なのだ。詩人なら詩集を編む、といった当たり前が通用しないところが寺西さんの振る舞いにはあった。自己犠牲的、といっていいかと迷うのは、どんな文脈のなかでだかは忘れたがいつか寺西さんが「誰かが犠牲になるなんてことがあってはならない」といったことを覚えているからだ。
東京に行く前の寺西さんが、「詩マーケット」という夢のように壮大で無謀な試みを継続的に行っていたことを知る人もいまでは少ない。人が集まるとちょっとした問題も起こる。直接「詩マーケット」が引き起こしたものではないが、その交流のなかで「他人の作品を勝手に自分のHPに掲載する」人が現れた。「その作品がよくてもっと世間に広めてあげたい」というのだが、なかには興味のある異性の作品をアップすることでお近づきになろうとする輩もいた。大半は純粋に「自分が好きな作品」としての紹介目的だったが、それでも「これは権利を侵害しているのではないか」という違和感が僕や寺西さんや周囲の数名の知人にはあった。自分のではない作品を勝手にか承諾を得てかは様々だが自身のHPに掲載するいう行為が横行していた。法律を詳しく調べ、「批評や感想といった目的で引用が許されるのは、その批評全体のなかでこれこれの割合までで、...」と教えてくれた人もいたが、寺西さんが過敏だったのは、これが「作品としての詩の権利」に関わる問題だったからだろう。
以前にそういったことがあったので、ミキさんが『抒情詩の惑星』に寺西さんの作品をアップしたときに僕は「やめてほしい」と伝えた。寺西さんのことを多くの人に知ってほしいというミキさんの気持ちは判る。ただ権利についての経緯があったことを知る者としては「勝手に寺西さんの作品をアップすること」に異議を唱えずにはいられなかった。
最近はたと「詩の権利はいったいどこに属するのだろう」と考えたのは、詩誌やインディーズ出版物を扱うナイスなお店に月に一度寄せてもらうようになり、そこで「この人、『寺西さんの詩』好きかも」と思うことがたびたびあったからだ(寺西さんの詩を読んでほしい、と思う人が何人かいた)。寺西さんの詩集を置いてもらえれば、違和感なく溶け込みきっと売れるという気がした。
それでミキさんと古溝真一郎さんに「在庫はあるか。売ることはできないか」の旨お訊ねしたのだが、在庫はなく、よしんばあったとしても権利の問題があるので販売するのは難しい、と返答をいただいた次第。
詩の権利の問題というのはいったいどうなっているのだろう。
小説は出版社と作家の関係により条件は異なるが、原則出版社が保有する。音楽も同様にレコード会社が保有する。レコード会社を移籍し自身の曲が使えなくなったアーティストがいる。勝手に再編集盤を出されても止められない。一見窮屈に思えるが、それだけお金が動くからだと思えば、納得はいかなくとも理解はできる。
詩はどうか。
「詩学」のバックナンバーを開くと、他社刊行の詩集に掲載されていた作品が載っている。「詩人〇〇特集」と銘打たれ、その詩人の過去詩集から「抄」として作品が掲載されているのだが、このとき詩学社はその出版社に話を通していたのだろうか。詩人本人が了解し済まされているのではないかという気がしなくもない。刊行の際に費用を詩人本人が負担することで、「では作品の権利はご本人に」と取り決めがあったのかもしれない。この点については詩集を刊行した詩人に訊ねれば明らかになる。
寺西さんの詩の権利は、ではどうなっているのか。
ご本人に訊ねることはできず、出版社もない(かつてSMSというレコード会社があり、そこが倒産してしまったがために初期の吉川晃司の楽曲のオリジナル音源が大変入手しにくくなっているのを思い出す)。権利を法的に引き継がれた誰かが判ればいいが、それも宙に浮いている。
先の芳しくない返答を受け取った僕は、それでもいま寺西さんの詩を知ってもらいたいと思う。寺西さんを知るものたちが草の根的にリーディングの場で読み続けていくのもひとつの手だが。
『抒情詩の惑星』に作品を掲載することが正解だとも効果的だとも思えないというのが本音だが、何であれ何かをしなければ、という気持ちが消えない。「コンビニエンスストアでも詩誌が買える」という寺西さんの願いを僕らは叶えることができなかったが、せめて遺された詩群について誰もが手に取れるようにしたい。いつか街の片隅で、会社帰りの孤独な誰かが手に取り、救われるかもしれないのだから。