追悼・京都の詩人へ 鐘勢
故ちょりと初めて会った日のことはぼんやりながら妙にはっきりと覚えている。あれはいつやったか忘れたけど、どっかの喫茶店?喫茶室?紅茶を飲む感じのスペースで開催された詩のワークショップだった。たしか森下朝子氏もいた。森下氏の「地元の花火大会の話」は、めちゃくちゃ笑えたので、いまだに面白い話かどうかの自分の中の物差しにしてるんやけど、もしかしたらこの日に聞いたのかもしれない。話が逸れたが、そこで初めて同志社の付属の制服姿で参加していた高校生のちょりと出会ったんである。詳細はわからないが、彼には、SPみたいなかっこいい女性が一人ついていて、話しかけにくい雰囲気があり、なんか知らんけどとてつもない大会社の御曹司なんかなあ?とか思ったりした。さて、作品発表の場面で、みんな自作の詩を朗読するんやけど、ちょりは、ギター弾き語りでもいいすか?とか言って、突然自作の歌を歌い始めたんである。この時の曲が、まあ乱暴に言ってしまうと、すごく、くるりっぽい曲なんだけど、そのシーンはなぜか強烈にはっきりと覚えているんである。そして率直に、(すごい!)と思った。なぜか?それはぼくの高校時代などは、ギターをはじめた場合、まずボウイとかストーンズといった王道ロックを練習するのが普通だった。だから当時のぼくの学友の初オリジナル曲「ブラックシュガー」は、ストーンズの「ブラウンシュガー」の歌詞の中の「ブラウン」を「ブラック」に変えただけというスライダーズなんかより相当いかつい仕様だったので、ちょりが作ったくるりっぽい曲は、はっきりいってブラックシュガーより純粋にすごいっ!と思ったんである。そんな感じで、ギター弾いたりため口きいたり、孤独な詩人を真面目な顔で演じてた君を憶えてる。そこからは要所でたまに出会う感じだったので、急に死んだとかいわれてもどうしても制服を着た高校生の姿しか想像できない。
だから自分としては、もうちょっと年上として…とか思ったり、恥じたりしている次第である。ひとことだけ言わせてください。はったみさとさん、まだ会ったことないけどいつか絶対に2杯おごります。