連載:これも愛やろ、知らんけど ⑨in my shoes 河野宏子

2024年09月03日

詩を書くことは感覚を記録することだと思っている。
書かれている内容を事実か否かと聞かれるときに、いつもそう答える
(あんまり好きな質問ではないけど)。

読んでくれる人は同じような気持ちになるかな?
あなたとわたし、肉体は別々の容れ物になってるけど、
わたしの感覚を詩で追体験してみてどうですか?
みたいな視点で書いている。
自分をわかってほしいのとは似てるようで違う。

詩の中では透明のただの視点になりたい。
別の視点から世界に触れる、
詩を読む楽しさはそこにあると信じて、世間に送り出す。

写真家はカメラを使うし絵描きは絵の具と筆を使う。
詩人は言葉を駆使してこの世界を別の視点でナビゲートするガイドにすぎない。

書き始めた二十代の頃から基本的な姿勢は変わってなくて、
昔書いたものをたまに読み返すと若い頃の自分が愛おしい。
今よりも視野が狭くて無駄に真面目だから
味わう必要のない苦しみにあっぷあっぷしていたりする。
そしてそれを読む今の自分が
「いやその苦しみには先がある、生きていけばいずれわかる」と
親のような先輩のような感覚を持ったりする。
マトリョーシカのように、螺旋階段のように、わたしの眼差しは育っている。

もしも詩を書いていなかったら、
過去の自分が感じていた瑣末なあれこれを、きっとすっかり忘れていた。
そして思い出すこともないだろう。
息子が生まれた11年前に慢性的な睡眠不足に打ち勝って書いた育児の詩、
父が亡くなった3年前、コロナ禍で家に籠り目を泣き腫らして書いた看取りの詩。

先月出した詩集を、未来のわたしが読んだら何というかな。
笑うだろうか。それとも泣く?
この年齢になって頼まれてもいないのに恋愛の詩をたくさん書くとは思ってもみなかった。
二十代・三十代のひたむきさとはまた違う種類の、
でも鮮やかな感情を記録できたと思っている。
面白そうなのでキンドルダイレクト出版というので作ってみた。
Amazonで河野宏子と検索すると出てきます。どうぞよろしく。





河野宏子