連載:これも愛やろ、知らんけど 12 かたつむり依存 河野宏子
元来、虫の類は好きではないので、台所で見つけたときは恐る恐る菜箸で摘んでいたのが、名前をつけ食卓に置いたジャムの空き瓶の中で過ごすさまを見ているうちに愛着が湧いてきてしまい、最近は挨拶をしたり絵に描いたりしている。餌にするための小松菜やにんじんは値のはる有機栽培のものを選ぶようになったし、料理に使った鶏卵の殻は洗って瓶の中に入れる(かたつむりは殻の硬度を保つために鶏卵の殻などからカルシウムを摂取する)。
このところとんでもなく忙しく(まぁ自分で忙しくしているので自業自得ではあるのだけれど)、遠方でイベントの主催をして帰りに乗った終電で喧嘩があり、同じ車両に乗り合わせた数十人のネガティブな感情の動きに浸かってなんとも言えない澱みをまとわり付かせて帰った日があった。疲れがピークだったので喧嘩をしていた当事者や他の乗客をジャッジしたくない気持ちが強く、頭から消えてくれないので寝床に入っても怒号や野次を思い出して、疲れているのに眠れなかった。いつもは深夜に帰宅すると自室で夜食をとったり寝酒を飲んで眠気が来るのを待つのだけど眠るのが難しそうな気配だったので、暗い食卓の上のかたつむりをしばらく眺めた。鶏卵の殻の上で、少しだけ角を出してじっとしていた。
意思の疎通のできないエイリアンのような見た目のこの小さな生き物と、もう4ヶ月もいる。食べたいだけ食べ、眠くなれば葉っぱや鶏卵の殻に隠れて眠り、時々テレビの派手なフラッシュに驚いて縮み上がったりもしつつ、瓶の中を這いまわりながら、食べたものと同じ色の細長い糞をする。ただ生きているだけ、そこにいるだけ。それでもわたしはこいつがいると嬉しい。安らかな気持ちになる。人間の赤ん坊もそうだよなと、息子の新生児時代を振り返って思う。
かたつむりを愛でたところで良い詩が書けるわけでもイベントの動員が増えるわけもなく、ただひたすら泥臭く、目の前のできることをしてもがく。前進してるのかどうかもわからない日々。なんでこんなにしているのに結果が出ないのだろうなとSNSを見ていると思う。インスタで人気らしいロシアの美女ダンサーは22歳で医学部で勉学に励む傍らオンラインで世界中の生徒にダンスを教えている。Facebookで再会した旧友はよくわからんビジネスで成功して、関西の自宅とは別に東京のマンションを買い高級エステに行き週末は二十代の愛人と二重生活をしている。わたしは地方都市の団地に住み働き口は不向きな事務の時給労働しかなく睡眠時間を削って売れない詩を書きイベントの運営に苦戦……何をしているのだろうな。黒霧島お湯割のおかわりを飲みながら、薄暗いリビングで、小さなかたつむりを眺めている。「ゆっくりのやつにしか、見えへんものもあるで」とかなんとか、かたつむりの声色(そんなものない)で都合のいいせりふをアテレコしたら、にゅうっと角を伸ばして、こちらをみつめ返している気がした。