連載:これも愛やろ、知らんけど 14 Puja(プジャ)と食洗機 河野宏子
台所でカレーを煮込みながらつま先立ちで食器を洗いつつ息子に宿題の進捗を尋ね、頭の中では今回の連載のことを考えていた。電子レンジの中ではサラダにするためのかぼちゃがぐるぐる回って甘く柔らかくなっている最中。カレーとかぼちゃサラダはダンスのために家を空ける向こう三日間の昼食兼夕食、つま先立ちはダンスのための足の鍛錬、今回の連載は天職について書こうと考えていた。食洗機がほしい。
教師になりたい夢を長年の努力の末に叶えた友人がいて、わたしのことをあれこれやっていてすごいと時々褒めてくれる。勤めに行き家庭をまわし詩を書きイベントをし時々人前で踊る。その中で詩とダンスは世間的には「別にやらなくてもいいこと」である。お金になっているわけではないから。比べて、友人は教師になるのがまさに天職、という人物で、彼女の教え子たちは幸せだろうと心から思う。だって彼女に褒められるとこんなにも嬉しい。わたしはいつも情けない笑い顔で、わたしもやりたいことが仕事になってたらこんな落ち着きのない生活してないよー、と、間違っても嫌味にならないように伝える。心の底からの声として。
詩を書くことが職業であったなら。
天職というのは、本人がやりたいことで尚且つ周囲を幸せにできる仕事のことだろう。周りが幸せになるから、その成果としてお金が入ってくる。生活が潤って、食洗機を買ったり家事代行を頼んだりタクシーに乗ったりして時間を作り、ますますその天職に心血を注げる。時間つまり命を賭けられる。天職で生きている人はその循環があるから美しい。美しくなっていく。
ダンスはそもそも全く仕事になる気配などないが、
うんと昔に、始めるきっかけになる会話があった。
詩人になって間もない二十代の頃に通っていた場所でよく顔を合わせたベリーダンサーの女の子。二人組のユニットを組んで界隈のイベントによく出演していて、中東のどこかの言葉で「光」を意味するお名前だったはずだが思い出せないのでヒカリさんとしよう。ヒカリさんたちのダンスは、見ていてとても心が温かくなる、嬉しくなるものだったので、わたしは当時なるべく観に行くようにしていた。良いダンスと聞くと激しくキレキレでテクニカルなものを想像するかもしれないけれど、彼女たちのはそういうのではなかった。厳しくて有名な先生の元で研鑽を積んでいたからもちろん技術はしっかりしていたけれど、動き自体は至ってオーソドックスで、なのに、ずっと観ていたくなる。どうしてなのか知りたくてショウに足繁く通っていたある日、彼女とゆっくりお話をする機会があった。会話の中で彼女が
「相方とは喧嘩もするし色々あるけど、
踊る時はいつも『あんたと踊れてハッピーよ!』て思って踊ってるねん」
と言った。あぁ、だからなのか。彼女たちのダンスの放つ温度の秘密が解けた気がした。ありきたりな言い方をすれば、一期一会。振り付けの決まったダンスでも、同じパートナーでも同じ衣装音楽場所でも、全く同じダンスは二度とない。その中で踊れることを毎回噛み締めているから、あんなにも愛おしさが溢れているのだ。ピンで詩人をやっていこうと決めたばかりの若いわたしは、自分の選んだ表現になんの躊躇もなかったけれど、ずっと憧れていた。ヒカリさんはもう随分前にダンスを辞めてしまったらしいが、わたしはチームに入って踊っている。なかなか思うようには上達しなくてまだビギナークラスにいるけれど、毎日つま先立ちをしていたら足裏が柔らかくなり土踏まずができた。群舞を選んだのは紛れもなくヒカリさんのあの言葉が記憶にあったからで、踊る前にはチーム全員でPujaというお祈りをする。特定の宗教とは関係なく、今日ここで踊れることを噛み締めみんなで同じ動きをする。仲間や音楽、お客様、家族、自らのルーツなどなど自分を取り巻くあらゆる存在に手を合わせる。踊っているとき、緊張で震えながらも仲間やお客様の顔をみるのがわたしはとても好きだ。ちょっとでもなんかいいもの持って帰ってね。除霊の効果があるとかいうマツケンサンバほどではなくても、華やかな衣装と音楽と踊りは少しぐらいの憂鬱は吹き飛ばせる気がする。少なくともその気で踊る。衣装が足首までずり落ちて赤っ恥をかいても本番十分前に階段から落ちて骨折してもニカっと笑って踊れるのはしあわせである。天職ってなんだろ、食洗機があってもなくてもわたしは詩とダンスをやめない。ヒカリさんは今、郊外に移り住んでお野菜を作っているらしい。きっと美味しい、とびきりきれいな野菜だろう。