「零れ落ちたもの(1)」奥主榮

2024年10月28日

 2024年9月29日、僕と郡谷奈穂の共同企画である朗読会が、阿佐ヶ谷の「よるのひるね(夜の午睡)」で行われた。僕にとっては大きなテーマであった「戦争」に関して、僕はメールと数回の対話で、郡谷に対していろいろと語った。(多分、熱情を込めて語る爺は、いい迷惑であったろうと思う。)
 その際、詩の朗読の合間での語りについても、いくつかの試案を送った。
 しかし、予定時間二時間前後の朗読会の中で、その内容を全て語り伝えることには無理があった。当日、試案に基づいて語った。(youtubeの「大村好位置チャンネル」に、動画が投稿されており、内容を確認することができる。) しかし、語り損ねた部分も多い。
「抒情詩の惑星」の湯原さんには、朗読会当日にお願いして、試案としての部分を、文書ファイルとして掲載していただく許可を得た。
 以下に、断片的に綴るのは、本来構想していた「戦争」についての語りを、より詳細に残しておくための原稿である。



------------


MC 1 奥主パート導入部分(作品「俺の中の凶暴なモノを」の前説として)

 僕は1996年から2007年にかけて、T-theaterという詩の朗読の舞台集団をやってきました。止めたのは、端的に言えば、赤字です。参加者でお金を積み立てていき、劇場のレンタル料にするといった形式で続けていたのですが、毎回必ず大きな赤字が出ます。その分を僕の貯金とかから補填して運営していたのですが、11年続けて、これ以上は無理という状態になりました。
ところが、数年前から「またやらないのですか」といった質問を、昔観客としておいでになられた方々から受けるようになりました。で、最初は「高齢なので、もう無理」とかかわしていたのですが、舞台に関わった人間には、なんというか、莫迦、としか言いようのない側面がございまして。
 僕は、けして売れている詩人ではないです。詩集を出すときにも持ち出し、家には在庫の山という状態です。最近は、持ち出すための金もなく、詩集も出版できません。ただ、六十を過ぎてから、こんなことを考え、口にするようになっていました。
「売れたとしても、売れているからと作品を読んだ野次馬に無責任な感想を言われるより、売れなくてもじっくり読んでくれる方がおられて、真摯に受け止めてくださることは、とても嬉しい」と。ただ、そんなときに、僕の数えるほどしかいない詩の世界の友人、馬野ミキさんが、こんなことを書いているのを読みました。正確な文言ではないのですが、表現活動を続けてきた以上、きちんと評価されたいといった内容だったと思います。それを読んだとき、自分の考え方が、どこか守りにまわっている気がしてきたのです。作家は守りに回ったらお終いだ、と僕は思っています。
 しかも、この近所にある行きつけの映画館が、いろいろと表現活動の舞台裏みたいな映画をかける。「私が私である場所」とか「在りのままで進め」、「ある役者たちの風景」。特に最後の一作は、こたえた。コロナで活動場所を奪われた役者たちが、自分たちが演じるということの意味に向かい合わされる。そうした中で、何とか自分たちが創作を続ける場を作りだそうとする。
 僕も、コロナが流行り始めた初期の頃、急激に「小屋」が失われていった時期、この「よるのひるね」で「無観客ライブ」を行ったことがあります。お店自体が閉店の可能性も考えていて、全く収入は見込めない公演だったのですが、表現場所が欲しいという参加希望者が半日足らずで申し込んできたので、慌てて申込み打ち切りをしました。こちらの動画は、youtubeに「ビフォー&アフター」のタイトルで上がっているので、興味があればご参照ください。
 話が逸れてしまったのですが、「また舞台をやりたい」という気持ちに憑りつかれた僕は、今年の初夏からT-theater再開の準備を始めました。最初の公園から30年目にあたる、2026年を目処に。
 以前のT-theaterの最大の反省点は、マネージメントを担当する人間が不在に近かったこと。だから、再開させるにはまず、バックステージの方々と出会いたい。赤字の舞台集団に参加することになど、何のメリットもありません。ましてや、詩の朗読の舞台なんて、参加者にとって何の「実績」にもなりません。主旨に同意してくださる方を探すしかないです。
取りあえず、あちこちで「再開宣言」だけはぶちまけました。しかし、こんな「理念に共感できてくれたら参加して」みたいな、阿呆丸出しなことに参加して下さる方がおられるのだろうか、という不安ばかり。
 先に話した、この近所の映画館のスタッフの何人かが、演劇に携わっているということを知り、その一人が今日の共演者の郡谷でした。僕は、誰かバックステージのことをやってくださる方を紹介してもらえたらと思って、妻と一緒に相談したのです。ただ、彼女自身は、公演が行われる二年後までの約束はできないと口にしている。僕は、何だかこの方は根っからの「表現者」なのだなと感じたのです。
 で、元々はT-theater再開の布石と思って企画していた、今日の朗読会にお誘いしたのです。それまで郡谷の活動について、ご本人から伺っている限りは、なんだか軽そうなものでした。しかし、共同作成ということが決定した後で、郡谷が提案したのは予想外に重たい「戦争」というテーマでした。
 僕は、第一詩集を出版するとき、自分の家系が職業軍人であるということを、改めて向かい合いました。結果、「日本はいま戦争をしている」という一冊をまとめました。そうしたこともあり、戦争に関する夥しい詩を描いています。過去作に頼れば、あまり作品の準備も必要がない朗読会ができる。そんな「楽がしたい」という気持ちが脳内をよぎる僕に、彼女は無慈悲にも言いました。
「新作でやりましょう。」

 けれど、これは僕にとっては、ありがたいアドバイスでした。

 戦争について語ったつもりになっている僕。けれど、果たして本当にそうなのか。
 ちなみに、僕は今年の春の朗読会でも話した、「社会問題を語ることは、ともすれば『私はこんな問題意識を持っている人間です』という自己賛美」につながりかねないと、そんなことを感じていたのです。

 僕は、今まで戦争について、自分が加害者であるという視点からの詩は書いてこなかったです。そうしたとき、誰かが加害の側に回るということは、見失ってはならないことだと思っています。
 これから読む詩は、戦争とは関係ない、そんな詩ですが、僕自身の中の凶悪なもの、暴力を生み出すものについて書いた詩です。
 自分の中にだって、加害者となる凶暴性があるということと向かい合いたいと思って書いた詩です。



大村好位置チャンネル
奥主榮+郡谷奈穂 朗読会「65×25」プロローグ・第一部
https://www.youtube.com/watch?v=hWA9S9xb3Yg






奥主榮