過去の記事

小さな痛みがアリの意識を呼び覚ます。
拡散された苦痛がアリの裸体をむさぼりだす。皮膚を焼きつける灼熱の陽光、手足が燃えているような感覚。耳鳴り、渇いた喉、頭痛、顎がちぎれそうなほど痛い。
朦朧とした意識の中で、アリは吊橋に張られたロープの産毛に噛みついてぶら下がっていることに気づく。
ロープの上に這いあがるアリは、自分の身体が徐々にマッシュルームによる呪縛から解放されていくのを感じる。
静かに息を吐き、呼吸をととのえる。空は目が眩むほどに晴れ渡っている。アリは暑さをしのぐためにロープの裏側に回り込む。
ちょっとした日陰なのに、そこは冷んやりとした空気に包まれている。逆さまになったアリの頭上には、むき出しの裸岩、巨大な弓形の岩山、峡谷が大きな屋根のようにそびえている。
...

私をくいとめて
死にかけのよぼよぼを
今だけは介護してくれ
PS5pro級の優しさをプレゼントしてくれよ
そうしたら私が元気になったとき
あなたがよぼよぼなら
私はソフトもつけて
PS5proを送りつける
あなたが元気になったとき
一緒にプレイしよう
全てのゲームはここに集まる
ほとんどの人が手に入れられない
世界で1番楽しいゲーム機
最新のゲームを協力プレイしよう

この「零れ落ちたもの」という原稿ついて、改めて説明を加えておきます。(連載途中から読まれる方もおられると思うので。) ここのテキストは、既に終了してyoutube上の「大村好位置チャンネル」で公開されている「65×25」という朗読会の中のMCで、僕が事前に下書きを書いていたけれども、時間の関係で割愛した内容のメモを公けにしたものです。
次の話題は、妻との会話から生まれたものです。性的な内容を含んでいるので、不快感をおぼえる方がおられた場合は、申し訳ないと思っています。



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MC 3 この話はどこに入れようか? (この話を入れるために、朗読する詩作品を3作にしようか? 時間は長くなるけれど。)

一つ全国の良い子に大切な事を教えて上げるね?

「サンタさんっているの?」

いるよ

あのね、この人口増加でサンタさんとトナカイは数十年にも渡って慢性的な人手不足に悩まされていたの

そこで今の一万円札の渋沢栄一にそっくりの竹中平蔵がサンタさんから業務委託してもらってパパやママと契約してプレゼントを君にとどけているんだ

これが現実

パパやママは守秘義務の書類に判子を押しているから、家族とはいえ君には本当の事が言えないんだよ


おじさんには子供がいないからパソナとは契約していないんだ

だから守秘義務は無い

サンタさんは存在しているよ、本当に

いるんだよ

手を胸にあててみてごらん?




難しいのは
セックスできる人は無限にいても
注意深く選ばなくてはならないこと

恋の延長線上だったり
愛の対角線上だったり
そのどちらでもないほうがよかったりすること

眠る時に見る夢と
起きてる時に見る夢は
似て非なるものであること

まぐあいと交わりと交尾と
性行と姦淫と強姦とセックスの中に
同じ動作が含まれること

善と悪の線引きがされてしまうこと

それを自分で選べないこと

意識は真実を捻じ曲げてしまうこと

生理現象の中に感情が入り混じること

ananのセックス特集を
あたしは見たことがない

そこに苦悩があること
苦悩があるという思い違いがあったこと
あたしの苦悩は誰にも見つけてもらえなかったこと
あまりに普遍的すぎて

それでも脳みそが壊れて
魂の時間が止まってしまった

ほらめんどくさい...

僕がまだ十代だった昭和の頃には、欧米に存在するような重層的な大作は日本人には作れないという言説が横行していた。スポーツ界での例となるが、例えば短距離走の世界では、ある時期まで、日本人の体形では百メートルを十秒未満で走ることは不可能だと言われていたのと同じような根拠である。(この神話は、精神論的な肉体鍛錬手段を廃し、合理的なトレーニングを採りいれることで崩壊した。) 創作の世界では、日本人が生み出す作品というのは、短歌や俳句のような一行詩の韻文や、周辺五十センチの世界を描く私小説、あるいは掌編小説的な短い物語が適しているといった発想だったのである。
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学校の教科書の記述のような類型的な分類で恐縮なのだけれど、詩は大きく分けて「抒情詩」、「叙景詩」、「叙事詩」の三つに大別できるという考え方がある。そうした見解への異論は、ここでは述べない。
いうまでもないことだけれど、抒情詩は人間の心の動きを詩として謳いあげたもの、叙景詩はそうした個人の主観は排して目の前に見えるものだけを描写したもの、叙事詩は歴史的な事件などを場合によればとてつもない長さで描いたものとされる。

満身創痍で駆けずり回るようにあれやこれややっていた頃。どこへ行っても3ヶ月経った頃に初めてそれまでのやり方が全部間違えていた事に気付かされた。実力なし。コンマ以下。暫くそうやって静かに激怒されながら、やっていた。ちょっと重たいものを仕分けただけで、ギックリ腰。歩いてバス停に行くだけで瀕死の状態。戦力外。大分痩せ細っていて、寝違えるだけで、勘弁してという位痛い。朝、起きなきゃと思って、調子に乗ってよっこらせ、と身を思いっきり捩って起き上がるだけで、体がボキボキボキッと肋骨が折れて心臓か肺にぶっ刺さって、即死しそうな日もありました。
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奇妙な揺れ方をする吊橋の上で、アリの意識は揺らぎはじめる。
頭が何倍にも膨れ上がり、恐ろしいほど比重の軽い液体で満たされたような感覚。今朝食べたマッシュルームのせいかもしれない。
茎がひょろ長く傘の小さな黒いキノコ。紫色を帯びた胞子。橋のたもとで夜を明かした髭づらの男は、それを聖なるマッシュルームだと言った。彼はアリのために小さなキノコオムレツを作ってくれた。
「一日の始まりはこれに限る」そう言って彼は、青く澄んだ空に太陽が顔を出すのを待っていた。

病院を退院した昼間、長閑な田舎の
喫茶店で、マスターからメダカを 20匹貰った。
僕はそのメダカを大切に育てた。
一匹も死なせなければ、自分の病も、再発は無いのだと信じようとした。
しかし、すぐ数日後その中の一匹が弱って、僕は死を認めたくないので、それを川に放した。
メダカは弱ったまま川の流れにただ流されて行った。
僕はそのメダカが下流の池で、元気に生きているに違いないと思う事にした。
その後、夏の暑さで、何匹かのメダカが死んで、水に浮かんでいた。
魚が死んだ水槽の臭いもした。
僕はそれをまた川に流した。
まだ生きかえると信じてみた。
何年かが、経過して僕は無事に何でもなく暮らした。
その間に、メダカは卵を産んで画期的に増えて行った。
今朝、冬の澄んだ水槽の水の底に一匹沈んでいた。
...

風が吹きすさむ峡谷。
壊れかけた大きな吊橋、所々踏み板が抜け落ちている。そこはかつて名声を受けた人々の足跡が化石として発見されている名所でもある。
一匹のアリが吊橋を渡りはじめる。触角で足場を確認しながら、ほつれかかったロープの上を歩きだす。
数多の者たちがこの吊橋に魅せられた。アリはこの橋を渡ったことがあるという男のことを思い出す。
「向こう岸か、懐かしいな」その男はアリの触角を見つめながら言った。
「お前の気持ちはよく分かる。でも止めたほうがいい」
アリに朝食を振る舞った後、男はふらつきりながら森の奥に消えていった。
アリは前方を見つめ、ロープの上を歩きつづける。まだ何も起こっていないということに対する不安が、アリの小さな胃袋を締め付ける。
...

描くこともない
なんも

なんか あったらいいかも
あるといい
動きだせる故

ひたいを、
強く照らすひかり
まぶしくていやだ
めざめだと言われる
寝てたいのに
でもなんかあるといい
あったらいい
そうやって
うまれてきたがする

なんも いうことがない
歌うこともない
ほんとうは
どっちでもいい
ただ
あの
なにもなさが 耐えられなかったのよ

ぼくが宇宙自身でいたころー

医者と病気と病院を信じていない。小学生の時に病院で医師と看護師と母親に押さえつけられ号泣するなか治療を受けたことがトラウマになっている私は病を一切信じるつもりがない。当時どういう病だったのか、怪我だったのか、思い出したくないから書かない。私は病に罹ったとは絶対に思わないようにしている。近年の◯◯◯症候群だとかあるいは精神病の類い、または発達障害などという医師と病院の人らの仕分けコンベアには絶対に乗らない。虫歯だったらペンチを使って自分で歯を抜くし、風邪やなんやらで発熱してもバハリンで済ませる。昔はバハリンしかなかったけれども近年ではもっと効く市販薬があるから助かる。不眠?鬱?カウンセラー?なんなら最悪、マリファナでどうにかなるだろう。

市営プールのジャグジーでサボってたら

男の子が入って来ていきなり
「あなた何人?」と変なイントネーションで聞く。
「日本人かな」と答えると
またしばらくして「お母さんいる?どんな人?」
と聞かれた。
僕が考えていると
「お母さん何色?」
と言う。

毒々しい絵 血の池地獄 スマフォの光
目に毒な物ばかり見ている。
僕の中に知らず知らず育てあげているモンスター。
二兎を追わざらなければ二兎を得ず。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
そして青葉が茂る頃にはまたあの道を歩いて行く。
今は秋桜がもう終わりかな?
母も秋桜が一番好きだと言っていたけど、きれいな花だよねぇ。その頃には今がときめき、何はなくとも君が走れば僕も走る。
木漏れ陽と青葉。そして気持ちいい風に吹かれて木々の揺らぐ影が道にうつる。
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良い子、は僕はだいぶ前に引退した

記憶が曖昧なのだが僕が一時期通っていた「よいこの幼稚園」は年小さん、年中さん、年長さんと4歳から6歳の子を扱っていたと記憶している

毎月、学年の垣根を越えその月に誕生日が来る良い子達はステージに上げられる

みんなからのバースデーソング歌ってもらい何か…
何か謎の金メダルっぽいのをもらった気がする

折り紙の金のやつで何かを、なんか厚紙を包んだメダルを首に掛けてもらう

そういったある種の儀式、セレモニーがあったと記憶している


「5歳になった!」


僕は世界の中の王子様になった気分だった

「5歳! 5歳!5歳!5歳!ごっさいぃぃっ!」
おっさんになった今の僕にとっては5歳児程度では地球にやって来て間もない宇宙人と同じだと思っている

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