過去の記事

僕がまだ十代だった昭和の頃には、欧米に存在するような重層的な大作は日本人には作れないという言説が横行していた。スポーツ界での例となるが、例えば短距離走の世界では、ある時期まで、日本人の体形では百メートルを十秒未満で走ることは不可能だと言われていたのと同じような根拠である。(この神話は、精神論的な肉体鍛錬手段を廃し、合理的なトレーニングを採りいれることで崩壊した。) 創作の世界では、日本人が生み出す作品というのは、短歌や俳句のような一行詩の韻文や、周辺五十センチの世界を描く私小説、あるいは掌編小説的な短い物語が適しているといった発想だったのである。
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学校の教科書の記述のような類型的な分類で恐縮なのだけれど、詩は大きく分けて「抒情詩」、「叙景詩」、「叙事詩」の三つに大別できるという考え方がある。そうした見解への異論は、ここでは述べない。
いうまでもないことだけれど、抒情詩は人間の心の動きを詩として謳いあげたもの、叙景詩はそうした個人の主観は排して目の前に見えるものだけを描写したもの、叙事詩は歴史的な事件などを場合によればとてつもない長さで描いたものとされる。

満身創痍で駆けずり回るようにあれやこれややっていた頃。どこへ行っても3ヶ月経った頃に初めてそれまでのやり方が全部間違えていた事に気付かされた。実力なし。コンマ以下。暫くそうやって静かに激怒されながら、やっていた。ちょっと重たいものを仕分けただけで、ギックリ腰。歩いてバス停に行くだけで瀕死の状態。戦力外。大分痩せ細っていて、寝違えるだけで、勘弁してという位痛い。朝、起きなきゃと思って、調子に乗ってよっこらせ、と身を思いっきり捩って起き上がるだけで、体がボキボキボキッと肋骨が折れて心臓か肺にぶっ刺さって、即死しそうな日もありました。
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奇妙な揺れ方をする吊橋の上で、アリの意識は揺らぎはじめる。
頭が何倍にも膨れ上がり、恐ろしいほど比重の軽い液体で満たされたような感覚。今朝食べたマッシュルームのせいかもしれない。
茎がひょろ長く傘の小さな黒いキノコ。紫色を帯びた胞子。橋のたもとで夜を明かした髭づらの男は、それを聖なるマッシュルームだと言った。彼はアリのために小さなキノコオムレツを作ってくれた。
「一日の始まりはこれに限る」そう言って彼は、青く澄んだ空に太陽が顔を出すのを待っていた。

病院を退院した昼間、長閑な田舎の
喫茶店で、マスターからメダカを 20匹貰った。
僕はそのメダカを大切に育てた。
一匹も死なせなければ、自分の病も、再発は無いのだと信じようとした。
しかし、すぐ数日後その中の一匹が弱って、僕は死を認めたくないので、それを川に放した。
メダカは弱ったまま川の流れにただ流されて行った。
僕はそのメダカが下流の池で、元気に生きているに違いないと思う事にした。
その後、夏の暑さで、何匹かのメダカが死んで、水に浮かんでいた。
魚が死んだ水槽の臭いもした。
僕はそれをまた川に流した。
まだ生きかえると信じてみた。
何年かが、経過して僕は無事に何でもなく暮らした。
その間に、メダカは卵を産んで画期的に増えて行った。
今朝、冬の澄んだ水槽の水の底に一匹沈んでいた。
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風が吹きすさむ峡谷。
壊れかけた大きな吊橋、所々踏み板が抜け落ちている。そこはかつて名声を受けた人々の足跡が化石として発見されている名所でもある。
一匹のアリが吊橋を渡りはじめる。触角で足場を確認しながら、ほつれかかったロープの上を歩きだす。
数多の者たちがこの吊橋に魅せられた。アリはこの橋を渡ったことがあるという男のことを思い出す。
「向こう岸か、懐かしいな」その男はアリの触角を見つめながら言った。
「お前の気持ちはよく分かる。でも止めたほうがいい」
アリに朝食を振る舞った後、男はふらつきりながら森の奥に消えていった。
アリは前方を見つめ、ロープの上を歩きつづける。まだ何も起こっていないということに対する不安が、アリの小さな胃袋を締め付ける。
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描くこともない
なんも

なんか あったらいいかも
あるといい
動きだせる故

ひたいを、
強く照らすひかり
まぶしくていやだ
めざめだと言われる
寝てたいのに
でもなんかあるといい
あったらいい
そうやって
うまれてきたがする

なんも いうことがない
歌うこともない
ほんとうは
どっちでもいい
ただ
あの
なにもなさが 耐えられなかったのよ

ぼくが宇宙自身でいたころー

医者と病気と病院を信じていない。小学生の時に病院で医師と看護師と母親に押さえつけられ号泣するなか治療を受けたことがトラウマになっている私は病を一切信じるつもりがない。当時どういう病だったのか、怪我だったのか、思い出したくないから書かない。私は病に罹ったとは絶対に思わないようにしている。近年の◯◯◯症候群だとかあるいは精神病の類い、または発達障害などという医師と病院の人らの仕分けコンベアには絶対に乗らない。虫歯だったらペンチを使って自分で歯を抜くし、風邪やなんやらで発熱してもバハリンで済ませる。昔はバハリンしかなかったけれども近年ではもっと効く市販薬があるから助かる。不眠?鬱?カウンセラー?なんなら最悪、マリファナでどうにかなるだろう。

市営プールのジャグジーでサボってたら

男の子が入って来ていきなり
「あなた何人?」と変なイントネーションで聞く。
「日本人かな」と答えると
またしばらくして「お母さんいる?どんな人?」
と聞かれた。
僕が考えていると
「お母さん何色?」
と言う。

毒々しい絵 血の池地獄 スマフォの光
目に毒な物ばかり見ている。
僕の中に知らず知らず育てあげているモンスター。
二兎を追わざらなければ二兎を得ず。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
そして青葉が茂る頃にはまたあの道を歩いて行く。
今は秋桜がもう終わりかな?
母も秋桜が一番好きだと言っていたけど、きれいな花だよねぇ。その頃には今がときめき、何はなくとも君が走れば僕も走る。
木漏れ陽と青葉。そして気持ちいい風に吹かれて木々の揺らぐ影が道にうつる。
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良い子、は僕はだいぶ前に引退した

記憶が曖昧なのだが僕が一時期通っていた「よいこの幼稚園」は年小さん、年中さん、年長さんと4歳から6歳の子を扱っていたと記憶している

毎月、学年の垣根を越えその月に誕生日が来る良い子達はステージに上げられる

みんなからのバースデーソング歌ってもらい何か…
何か謎の金メダルっぽいのをもらった気がする

折り紙の金のやつで何かを、なんか厚紙を包んだメダルを首に掛けてもらう

そういったある種の儀式、セレモニーがあったと記憶している


「5歳になった!」


僕は世界の中の王子様になった気分だった

「5歳! 5歳!5歳!5歳!ごっさいぃぃっ!」
おっさんになった今の僕にとっては5歳児程度では地球にやって来て間もない宇宙人と同じだと思っている

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元来、虫の類は好きではないので、台所で見つけたときは恐る恐る菜箸で摘んでいたのが、名前をつけ食卓に置いたジャムの空き瓶の中で過ごすさまを見ているうちに愛着が湧いてきてしまい、最近は挨拶をしたり絵に描いたりしている。餌にするための小松菜やにんじんは値のはる有機栽培のものを選ぶようになったし、料理に使った鶏卵の殻は洗って瓶の中に入れる(かたつむりは殻の硬度を保つために鶏卵の殻などからカルシウムを摂取する)。

誰かが小さい咳を一つしただけで、遠くのどこかでミステリーサークルが起きるという。僕はその話、あると思う派。最近早寝早起きをモットーとしていて、それなら夜食に大金擦ってドカ食いしないで済む。夜中トイレに起きると、煙草を吸って噎せる。ゲホゲホ大きな咳をする。すると、隣近所が目を覚ましてしまう。ごめんなさい。そんなしながら、すぐ済むゲームをスマフォで弄って、眠らなきゃとまた暖かい布団へもぐりこむ。いやー、コンビニも知らないうちに大分AI化していて、便利すぎてねぇ。感謝感謝。十円玉五円玉一円玉を投入して、恥ずかしくもなくかえちゃうよ。一円もバカに出来ない。それでお店へ利益にいくんだから、確かに便利になった。誰かが僕を憎んでいる気がする。弱いヤツ、とか何にも出来ないくせに、とか。でも今のところ過...

実際に、肉付けして話していくとかなりな長時間になる内容である。(一部の内容は、当日の朗読に反映されている。) 実は、当日に読む予定であった詩を(時間の関係で)省略したことなどもあり、話す内容を制限して正解であったのだろうと思う。



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MC 2 奥主パート「俺の中の凶暴なもの」と「なしくずしの生」の間