「現代詩が滅びるとき」 POGE
ランナウェイ淘汰(runaway sexual selection)とは、生物の性選択(sexual selection)の一形態で、ある性的特徴が、「異性に選択される」という理由だけでどんどん極端に進化し、生存に不利でも残っていく現象のことだ。
ランナウェイ淘汰(runaway sexual selection)とは、生物の性選択(sexual selection)の一形態で、ある性的特徴が、「異性に選択される」という理由だけでどんどん極端に進化し、生存に不利でも残っていく現象のことだ。
二十歳の頃、住んでいた家に屋根裏部屋があった。天井に格納されている梯子を下ろして上がると、座ってなら作業できる程度の、本来はおそらく物置として利用する想定で作られたスペースがあった。その頃はまだ詩を書くには至っておらず、行きたかった美大にもいけなかったわたしは写真を撮っていて、そこを暗室として使っていた。夏はとにかく暑くて、いつも薬剤の匂いがこもっていた。
昔のマイホームタウンを見に行った。僕が住んでいた家屋は駐車場になっていた。李の木だ。向日葵だ。糸瓜だ。苦瓜だ。甘蕉の木だ。小豆梨だ。田圃が泥濘んでいる。小雨だ。何だろう。スタジオのような建物だ。ちょっと見物したいな。建物の側面から入っていった。少し音楽が聞こえる。あ、此処人の家の庭だ。ステージのようにガラス張りになっている。あ、またシンセサイザーの音がなっている。いい曲だな。聞いたこと無いような曲だけど。あ、奥に人がいる。入口に行ってインターフォンを鳴らした。すみません、ここ、スタジオですか?そうですよ。音楽が聞けますか?はい。ドアが開いた。失礼します。そして僕は音楽を聞いた。犯罪なんじゃないかと言う程の良い音楽だった。こんなことも初めてだ。少しお金払います。じゃあ500円で良いよ。は...
ひとは人が好きか?わたしは人よりもねこのたましいが好き 生きてる間
ねこという生き物は人を狂い悩まし、そして癒すために生まれてきたといって過言ではない 神様からの贈り物である
愛のあるきまぐれで私を悩ます狂わすそして癒す 猫は美しく強いそれなのにどこか抜けている間抜けである
愛しさ故笑うそれでもねこはどこ吹く風である ホントの所凄く気にしている 失敗したら直ぐさま毛繕いして誤魔化す。
弱っている時は近付いてきて傍でねむってくれる柔らかなからだを私に撫でてもいいよと投げ出してくれる。
今、私はほとんど家の中にいてほとんど外出しない、家に来るのは訪問看護の方かヘルパーさんだ主人を亡くして精神を患って10年診て貰ってる、いや甘えているかもしれない。それでいいよ。といってくれる
...
面白いこともあるもので僕の家系は左側が弱い。
祖父は生まれつき左足が動かず、
父は生まれつき左肺が小さい。
そして僕は左膝を折り、
左瞼の上を縫い、
今回、左足に帯状疱疹が出た。
血のつながりを感じるし、
その中に自分もいると思う。
会ったことのない曾祖父は自分と似ていただろうか。
曾祖父のそのまた父は、生涯の中で一度でも、好きな人と付き合えただろうか。
その物語の先端にいて、
もしかしたら僕がこの物語の終点である。
いずれにしろ俺たちは左半身から復讐する。
足の動かなかった祖父の恨みをはらすかのように、トラック運転手になり全国を走った父のように。
「わが地名論」連載にあたって
詩の中に地名を書くこと。その意味を探ること。これは僕自身の詩集に関わりながら展開する「わが地名論」。この連載を通して〈地名とは何か〉〈詩とは何か〉を考えてゆく。
あなたが書いた
宛名のない手紙に
わたしの名前を
書き加えてもいいですか?
そうしたら
手紙の中で風に揺れる
貴方の言葉は
真っ白に冷たくなって
やがて溶けていくのでしょう
春になっても何も変わらない
土の上を歩いて
わたし今すぐあなたに会いたい
あなたの服をまさぐって
下腹部に手を当てたら
ほんのすこし体重をかけて
教えてあげる
ここがあなたの言葉のお墓だよ
わたしが植え付けたの
ユリのお花の球根のような
形をしているのよ
近所の面白いワルが、お仕事に勤しんでいるって。重要な店をやっているようなのですが、そのワルまで大きな仕事を抱えているようで、どうしても1名、力が欲しいという話しが流れていた。確かその方のお父様が八面六臂であとの力の育成をしていらっしゃるらしい。小社、当社、弊社で言うのなら、当社かな。まるで縁の無い方だけど、明日はえぇーっと、土曜日、お嬢は仕事は休みでも、店の受付のお仕事関連、これから暫く間をどう弥縫策を打つのか。どうやらその会社様も、歯車がうまく回りそうだ。お迎えです。
休憩が済んだらデモンストレーション頑張って。
明るくなってからでもやって下さらないと。
僕のこの原稿は、かなり偏って視点から描かれているということを、僕は自覚している。また、誤謬に基づく記述もあるだろう。ただ、これまで日本のポップ・ミュージックに関しては、音楽に関する視点からのみ語られ、周辺的な文化やスタジオやバックステージのスタッフを含めた考察というのは、余りされてこなかったように感じる。そうした事情に関して、僕が特別に詳しいわけでもなく、けれども未踏の大地に鍬を打ち下ろしていくことで、何かを残していけたらと願っている。
僕自身は1950年代の音楽状況をリアル・タイムで経験していない。けれど、その時代についても語ろうとしている。
虚言癖の爺とそしられてもしょうがない。
淡々と事実が時間軸に沿って映し出される
録る側の演出的な意図はなるべく省かれているように感じる
まあ確かに、それがドキュメンタリーというものかも知れない
けれどもドキュメンタリー映画とて、観客が物語を見やすいように最低限の誘導があるはずだ
無編集で全部放り投げるわけではない
その境目がどの辺なのかなというのが、自分がドキュメンタリーを観る時の一つの指針だ
僕が好きな作家さんがいる。まだ若い方なのだけれど、創作の世界というのは単純なもので、描き手の年齢も肩書きも関係はない。僕にとって「好い」と思える作品を描く創作者が、僕にとっては価値のある作家なのである。その作家さんを見ていると感じることがある。ある種の魚が泳ぎ続けることを止めると呼吸ができなくなるように、もしも誰かから描くことを止められてしまったら、息が詰まり死んでしまいかねないのだろうな、と。
...
なんだか、一生の間に何回もくり返し付き合わされる話題というものが存在しているようだ。
たとえば、「ウルトラマンは、どうして最初からスペシウム光線を使わないのか」といったシロモノである。言ってみれば、テレビ番組のルーティンのお約束ごとなのであるが、この話題を持ち出してくる方は、どうしてだか自分が大発見をしたような勢いで声を大にする。
正直、「その話題はもう、何度目かの付き合いなんだよ」と言いたくなるのだが。
PART 3 ユタカとトシキ
一 ユタカとトシキ(1)
トシキと出会う以前の
ユタカの物語
少し曇った朝だった。
間も無く晴れ渡るであろう空模様。
天気予報はつつがなく、
未来の展望を明らかにする。
少しだけ、愚かしいことをしてみたい、
そんな朝でもあったのだ。
時の流れで忘れてしまう、
そんな程度の愚かなことを。
ゆめゆめ思うな、その愚かさを
自分が永遠に持ち続ける、と。
皆したり顔で賢くなった。
皆当たり前のように賢くなった。
間も無く晴れ渡る空の下で、
展望豊かな未来の前で。
必要があって、自分の詩を生成AIに朗読用に英訳してもらった。サイトを開き、軽い挨拶と説明のあとで、日本語で書いたものをぽいっと投げると、一瞬で英訳してくれる。英語は得意ではないのだけど、そもそも複雑ではない詩だったのもあり、すっきりと読みやすい、過不足ない英訳のように思えた。ざっと音読してみると、二ヶ所だけ読みづらい箇所があり、それを伝えると今度は、「ネイティブでなくても発音がしやすい全訳」を返してくれた。なんて気が利くのだ。数日のあいだ細かい箇所をやりとりして、段々と良いものになっていく手応えがあった。あぁ、これはまさに、AIと仕事をしている。最後の方など「良い朗読になりますように!」と労ってくれたりもして、わたしは普段ひとりで詩を書いたりイベントの企画をしているので、これが刺さった。
駅前に
信じる人が
立っていた
信じるものがある人は
どうして皆
うすい銀いろにひかってみえるのだろうと
不思議に思う
信じるものがある人の
一種 思いつめたようにかたくななその色を
私は
とてもきれいだと思った
興味無い、食べられないのだから、あと道に迷ったうえに店に到着出来ない
クラクション(以下、本品)は、他者への直接使用を前提としておりません
以下の対象への使用が推奨されます
・風
・信号
・曇りガラス
・無人のバス停
・煙突から漏れる黒猫の尻尾
・夜空から落下し、胃袋に溜まったウイスキーで膨れる月
・土星の環、あるいはそれに似た冷凍ベーグル
・その穴に似たブラックホール(※吸音性良好)
子どもの頃、「三匹の仔豚 ブー・フー・ウー」というテレビ番組を、よく見ていた。(タイトルの表記は、違ったかもしれない。
幼い頃だったので、内容はほとんど覚えていない。けれど、ただ一回だけ、強く印象に残った回があった。
PART 2 トシキ
一 トシキ
幼かった時分から
何度、父親に叩きつけられたか
それが トシキの人生の第一歩
成長するにつれ
制圧できなくなる息子を持て余し
ますます父親は荒ぶれて
やがて家を飛び出し そうして
トシキは母に疎まれるようになった
お前さえいなければ
お前さえいなければ と
母は何度も言葉にした