過去の記事

詩と他の文章の違いを湯原くんに問われた時
ばこばこ改行しまくればいいw
と言って笑わせてしまったことがあるけれど
この論理はエンターキーを押す時にりずむが産まれるためにあながち間違えでは無いのだが
先日、建築現場の休憩時間に
詩と日記の違いを問われ
それはほぼ日記のような文章を「蟻鱒鳶ル売り鱒」に自分が書いていることもあると思うが

詩と日記の違いを自分は即答できなかった
分からなかったからではなく、そんなことを言語化する発想がなかった
それからその命題をことばにしようとする働きが
一日に2分くらいは自分の脳内でふつふつとしてはしずまった

例えて言えば、ですよ?
例えてないのかもしれないけど。

NIKEのエアジョーダン1というスニーカーがあるのですが。
私はマニアと言われても仕方無い人間ですので、靴底で、そのデザインで、わかってしまうんです。

池袋北口、行ってみてください、若い中国人がエアジョーダン1を履き、みんなDiorを着てる。日本語学校の生徒。
仮に全てが偽物だとしても流通しているルートを僕は知らないし、僕の知ってる不思議な人たちも知らない。

「どこで買ったの?」

池袋の北口ってもう日本語の会話なんて聞こえないし、どいつもこいつもチャイナなの。

「乗っ取られた」
要はハイジャックよ

築地、築地もそう
ハイジャック、乗っ取られた
海鮮丼を売ってる連中はほぼ全員、チャイナだ。おそらくこれはシステムで経営のそれを丸々売買しているようだ。

...

「子ども作っちゃえばいいじゃないですか〜」付き合って長い恋人が結婚に踏み出さないとこぼしたわたしに、Aキちゃんはあっけらかんと言った。絵に描いたような平成の社員食堂だった。会社員時代、大阪のオフィス街船場の自社ビル最上階にある社員食堂での昼休み、後輩のAキちゃんとたまにご飯を食べることがあった。バリバリのギャルで、濃いメイクや絶妙に本音を出すコミュニケーション術を駆使してどこでもカーストの上にのしあがるであろうタイプの女の子で、生粋の陰キャのわたしには眩しい存在だった。作るいうてもどうやって。「ひにんせんかったらええやないですか!」いやぁそれそんなうまいこといくの?昼間の社食であんまり露骨なワードを出さないで、とまごついていたら、遅れてやってきたM本さんが席に付きながら言った。「え?た...

最後に

四半世紀ばかり前、詩の朗読の舞台集団T-theaterを僕は立ち上げた。前にまとめたように、当時は「詩の朗読」というと、公民館の一室を借りて研究会の一環として地味に行われることが多かった。ただ、1970年前後のオーラル派の詩人たちの活動を知っていた僕は、僕なりの「詩の朗読」をしてみたいと思っていた。横のつながりをサポートするような媒体がなかった時代。同時発生的に発生してきている流れに触れることはなかった。暗中模索で歩いてきた気がする。
創作という行為は、極めて個人的なものである。ある意味、周囲との交流を拒んだ異常者の行為とも言えるかもしれない。そうした現実と向かい合いながら、集団で何かの表現活動を行うというのは、どのような意味があるのかと考えてきた。

...

母がこの三月で仕事を辞めるという。今年でちょうど七十歳。五人兄妹の長女であり、また、あまり仕事熱心でない祖父を父にもった母が看板塗りをして金を貰ったのは、まだ小学四年生の時だった。以来僕が生まれてからの育児休暇以外で働いていなかった時期はなく、ある時は町工場の社員として、スーパーで試食を勧めるマネキンとして、大学で学食を作る学食のおばちゃんとして、五十九年間働き続けた。もう足が痛いのだそうだ。仕事終わりに自転車のペダルを漕ぐことが、もうできないのだそうだ。

駒子のやうな女が居れば、
わたしの人生が豊かになっていたであらう、と思う。
電車に乗って遠くの駅へ向かう。窓の外、山の翳。

お願いしないで

朝んなってから、「間違えた。」とか言ったって

どうにもなんないの

返してって返ってこないの

泣いてるあたしがブスんなったって

置いて行かないで

責任 責任とって

一生責任とって

くやしい。

ヒドい

別にこちとら

そんなに好きじゃなかったの

そっちじゃん

「惚れた」とかって何?

って感じだし

キモいじゃん

もーやめてよ
出て行かないって

夜に電話が、あって
「今から 相談に行って良いですか?」
と、知らない女が言う。
僕は「申し訳ありませんが、予約していただいて、後日・・」と電話を切る
それから出掛けて 友人と酒を飲んだ
帰り電車の窓に 映る
酔い覚めの自分の顔
「今から相談に行って良いですか」
あの低い女の声は
今 僕とそんなに離れていない

交互に寝転んで丁寧にマッサージをし
木造アパート隣人に聞こえるような声でセックスをする
小さなベランダに二人分の洗濯物を干す
多肉とサボテンの世話をする
Amazon Primeで一緒に映画を観て
発泡酒やカベルネソーヴィニヨンを飲みこみ
思いつくままにくっちゃべったり
黙ったり
人生について議論したり
ロックのドキュメンタリーと
未解決事件も二本観た
未解決って宇宙みたいで面白いから
視界を重ねて、同じものをみるということ
もう二人にしか通用しないギャグ
怒るかわりに腋をくすぐる
浜省の物真似をする
それから暫くギターを持って昭和のナツメロを歌った
お皿を洗いながら君はぼくの歌を聴いた。

この詩集の帯の背には「名を与え続けること、」と書かれている。世界という外界は、人間にとっては残酷すぎる時がある。逃げずに眼をつぶらずに、それを受け止めるのは容易いことではない。このひりひりする世界であっても、佐峰は痛む心の自分たちを名付け直そうとしている。自分が自分自身を尊重するため、認識しにくい自他を受け入れるためには、常に名付けを更新し続ける必要があるのだ。
...

令和6年、2024年
年明け早々の石川での地震

屈強な連中に任せて祈るだけ
俺ってのはなんて退屈な男なんだ

このタイミングで思い出したよろしくないお話、聞いて下さい

胡散臭いイベントプロモーター兼サウンドプロデューサー

「311の時、ボランティアで行った子達ってけっこういるけど、津波の被害で海岸線に集まった死体の身元の確認をするのだけど…」

「みんな死体の左手の薬指が無い、って言うんだ」
「お前、これ聞いたこと無いの?」

ねーよ。
どういうこと?

要するに、死体から結婚指輪を回収するために鉄切狭を持って自衛隊より、救助隊よりボランティアより先に被害地域に潜入し、海岸で貴金属である結婚指輪を効率良く入手するために左手の薬指ごと切り落としてコレクションしていた連中がいると。

...

三 感動という問題

1996年の、T-theater結成から、解散前後の単独朗読活動までについて急ぎ足でまとめてきた。
こうした形で朗読のことについて書くきっかけは、今年(2023年)の初めに、十数年ぶりに岡実から会わないかと誘われたことである。岡実は、学生時代の友人たちとともに水曜会という文学関係の集まりを結成し、その仲間とともに1990年代から詩のフォーラムや現代詩フォーラムに参加していた。当然、T-theaterの公演もリアルタイムで見ている。中村橋の浜焼太郎で待ち合わせて、久しぶりに酒を飲みながら話した。そのとき、もうT-theaterはやらないのかということを聞かれた。
...

苦いビールが
若い記憶を
蘇らせる

缶ビールを
回し飲みして
好きな人の
となりで花火を
見上げて

浴衣を着ている
私のそばで
花火より
君がきれいだと

歯が浮く台詞も
花火の下では
素直に受け止められて
照れたりした

真夜中、この建物の中は、
ロマンチックなメリーゴーランドだ
頭の中を空っぽにするまで、
淋しい音楽がめぐっている
昨日迄、昼夜逆転で、
昼間も夜中も、頭が痛くなるまで
眠っていた。
変な夢を見て、やっと
夜中の2時に、目が覚めた。
まずいまずいと思って、
甘い缶コーヒーを買って飲んだ。
ごみを漁るように何か食べて、
薬をのんだら、すっきりした。
良かった~。
そのまま行ったら、体が腐って、
いずれアメーバにでも
なるところだった。
アメーバになって生き残ったら、
こんな街の中で根っこを
拡げるところだった。
自分で言うのも変ですが、
災難だった。








周辺シ12「一語の周辺」

「私たちは、本当の意味で出逢う前に別れてばかりいる」
こう書いたのはいつだったか。言葉こそ交わしていても、街ですれ違うことと変わらない。いやむしろそれよりも、経緯もないのに別れの悲しみだけがただそこにある。繋がりと呼ぶには心許ない、か細い糸をかすめ合うような出逢い。
...

僕は24才のクリスマスイヴの夜、読売新聞の勧誘員をしていた。
僕以外は全員偽名で仕事していた。
1件の契約で8000円で、僕はだいたい1件か、2件の契約が出来る事は滅多になかった。
それでもその日の僕は、クリスマスイヴだから、何処かで誰かからの優しい言葉を期待していた。
「クリスマスなのに大変ですね。頑張り屋さん」みたいな目線からの1件の契約を。
ところが、何処のご家庭も、せっかくの子供とのクリスマスの夜の新聞勧誘なんて、厄介者扱いだ。「警察呼ぶよ」とまで言われる。
全く契約が上手くいかない上に、その夜は雪まで、降って来た。
田中さんたちが「こんなクリスマスに契約なんか出来ない。真面目にコツコツ働いたらバカを見るぜ。昔やったように、祈祷師をやって稼ごうや」と、言い出した。
...

僕は、余り他の詩人との関わりがない。根本的に仲間意識というものが嫌いなのである。
物心がつく頃に近所の水田が宅地開発され、新しく流入してきた住民の子どもたちから仲間はずれにされて育った僕は、誰かとつるむことが苦手なのである。(60年ばかり前は、「子どもの喧嘩に親が顔を出すな」という時代であり、「いじめ」という概念自体がなかった。だからこそ、振るわれる暴力は徹底的であった。新興住宅地の中の公園に遊びに行っただけで、「入ってきた罰だ」と取り囲まれ、すべり台の上まで登らされ、突き落とされたりもした。) T-theaterにしたところで、あくまでも自立した個人の集団で「仲間」ではないと思っていた。実際、大村からは「あくまでも作家としての付き合いだ」と明言されていた。
...

この詩集に魅力は、どこにでもありそうな日常の"普通"が"普通"のテンポで流れていることだ。21世紀の現在でもないし昭和の東京でもなく、読者の誰でもが自分の日常である、と感じられる生活感。例えばアキ・カウリスマキの新作映画ではどこかの都会の片隅が描かれているが、それは自分の遠い知り合いのような気がするくらいの"普通"の生活。
「傘」という短い作品は、"普通"の会社員の生活の断面がさりげなく描かれている。表面的には何も起こらないのだが、その下には、個人個人の見えない情動や社会経済変動や外国の戦争などの振動が伝わってきている。

よるのひるねでは、その後も不定期に朗読会を開催してきた。ただ、初回こそ物珍しさで人が集まったものの、二回目以降は低迷した。特に二回目の朗読会は、他のイベントと日程が重なった上に、台風が訪れるという二重の不運に見舞われた。

トナカイとサンタクロースは国境付近で
デトロイト・ビッグ・ドッグの100を狩る
「今日はそんなに寒くない」参ったな

トナカイは無視した
心のやさしいトナカイだった

サンタクロースはなんとなくやってのけた
仕事はお金を頂くこと
心の温かいサンタクロースだ

空から降ってきたヒゲをつけた男はただのサンタクロース
トナカイは家畜で二月に剥がれる身

国境はもうすぐだ
有刺鉄線の周りには
飢えた野犬がいる

禿げてしまった。秋のあいだずっと苦しい気持ちで居たのでストレスで一時的に頭髪が薄くなってしまったらしい。生来とても多毛な自分がこんな目に遭ったことにさらにショックを受けている。美容師さんは、また生えてきます大丈夫と言ってくれたけれど。

悲しいことがあるとぬいぐるみを愛でる。抱きしめたり、服を着せたり、生きているかのように写真を撮ったりする。幼児退行以外の何物でもなく、人によっては苦笑いされてしまうことだとは分かっているけど、生きていくためにやむなくわたしは自分の中の幼児を安心させる。