過去の記事

僕は24才のクリスマスイヴの夜、読売新聞の勧誘員をしていた。
僕以外は全員偽名で仕事していた。
1件の契約で8000円で、僕はだいたい1件か、2件の契約が出来る事は滅多になかった。
それでもその日の僕は、クリスマスイヴだから、何処かで誰かからの優しい言葉を期待していた。
「クリスマスなのに大変ですね。頑張り屋さん」みたいな目線からの1件の契約を。
ところが、何処のご家庭も、せっかくの子供とのクリスマスの夜の新聞勧誘なんて、厄介者扱いだ。「警察呼ぶよ」とまで言われる。
全く契約が上手くいかない上に、その夜は雪まで、降って来た。
田中さんたちが「こんなクリスマスに契約なんか出来ない。真面目にコツコツ働いたらバカを見るぜ。昔やったように、祈祷師をやって稼ごうや」と、言い出した。
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僕は、余り他の詩人との関わりがない。根本的に仲間意識というものが嫌いなのである。
物心がつく頃に近所の水田が宅地開発され、新しく流入してきた住民の子どもたちから仲間はずれにされて育った僕は、誰かとつるむことが苦手なのである。(60年ばかり前は、「子どもの喧嘩に親が顔を出すな」という時代であり、「いじめ」という概念自体がなかった。だからこそ、振るわれる暴力は徹底的であった。新興住宅地の中の公園に遊びに行っただけで、「入ってきた罰だ」と取り囲まれ、すべり台の上まで登らされ、突き落とされたりもした。) T-theaterにしたところで、あくまでも自立した個人の集団で「仲間」ではないと思っていた。実際、大村からは「あくまでも作家としての付き合いだ」と明言されていた。
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この詩集に魅力は、どこにでもありそうな日常の"普通"が"普通"のテンポで流れていることだ。21世紀の現在でもないし昭和の東京でもなく、読者の誰でもが自分の日常である、と感じられる生活感。例えばアキ・カウリスマキの新作映画ではどこかの都会の片隅が描かれているが、それは自分の遠い知り合いのような気がするくらいの"普通"の生活。
「傘」という短い作品は、"普通"の会社員の生活の断面がさりげなく描かれている。表面的には何も起こらないのだが、その下には、個人個人の見えない情動や社会経済変動や外国の戦争などの振動が伝わってきている。

よるのひるねでは、その後も不定期に朗読会を開催してきた。ただ、初回こそ物珍しさで人が集まったものの、二回目以降は低迷した。特に二回目の朗読会は、他のイベントと日程が重なった上に、台風が訪れるという二重の不運に見舞われた。

トナカイとサンタクロースは国境付近で
デトロイト・ビッグ・ドッグの100を狩る
「今日はそんなに寒くない」参ったな

トナカイは無視した
心のやさしいトナカイだった

サンタクロースはなんとなくやってのけた
仕事はお金を頂くこと
心の温かいサンタクロースだ

空から降ってきたヒゲをつけた男はただのサンタクロース
トナカイは家畜で二月に剥がれる身

国境はもうすぐだ
有刺鉄線の周りには
飢えた野犬がいる

禿げてしまった。秋のあいだずっと苦しい気持ちで居たのでストレスで一時的に頭髪が薄くなってしまったらしい。生来とても多毛な自分がこんな目に遭ったことにさらにショックを受けている。美容師さんは、また生えてきます大丈夫と言ってくれたけれど。

悲しいことがあるとぬいぐるみを愛でる。抱きしめたり、服を着せたり、生きているかのように写真を撮ったりする。幼児退行以外の何物でもなく、人によっては苦笑いされてしまうことだとは分かっているけど、生きていくためにやむなくわたしは自分の中の幼児を安心させる。

最後の公演「百万燭の電飾」


※ とほほ、前回の原稿で、またしても誤字をやらかしていたのを妻に指摘された。この部分である。


中学生の頃だったと思うが、新聞の文化欄の記事で、こんな話を読んだことがある。これらの抒情詩は朗読によって人々に伝えられたそうである。長い物語を声によって聞かせるために、名前だけでは登場人物を覚えきれなくなる。だから、個々の人物にそれぞれの「枕詞」とでもいうべき前置きの説明を韻文で付し、聴衆に印象付けたというのである。そんなことも頭に残っている。


※ 当然、枕詞の必要な抒情詩など存在しない。「これらの抒情詩」は、「これらの叙事詩」の誤表記である。平身低頭して、誤植だらけの原稿をお詫びするしかない。

※ さて、本文である。



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四 最後の公演「百万燭の電飾」

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ビートの作家といえばジャック・ケルアック。ビートの詩人といえばアレン・ギンズバーグ。ビートの体現者といえばニール・キャサディ。それじゃあ、ウィリアム・バロウズは? ビートのジャンキー? ビートのアナーキスト? ちょっとカテゴライズ不能なこのウィリアム・バロウズ。ロック・ミュージシャンからの信望が厚いことが有名で、パティ・スミスやルー・リードとの交友。デヴィット・ボウイやイギー・ポップへの影響。一番有名なのはニルヴァーナのカート・コバーンへの影響だと思う。カート・コバーンは若い頃、バロウズの『裸のランチ』を愛読していて、その影響がニルヴァーナの歌詞や表現に色濃く表れている。カートはその後、アイドル視していたバロウズとコラボレーションが実現して1枚のe.pを発表している。タイトルは「the...

俺が幼少期を過ごしたのは千葉県習志野市の津田沼
グーグルマップで検索してもらえばわかる
スーパー団地街だった
公務員宿舎にJR東日本の社宅
それに住友セメントの社宅だの、社宅ばっかり
上空写真を見るといい
駅からしばらくは四角の建造物ばっかり
そこから先はのどかな景色となっていく

6歳になったあたりから留守番を任されるようになった

親父の仕事終わりに合わせて母ちゃんが一緒に食事をとるために出かけていく

きちんと俺の飯を作ってくれたうえで

子供がいたんじゃファミレスが精一杯だろう、仕方無い

初めてのお留守番、好きなテレビ番組が見放題だし、テレビ見てれば大丈夫、怖くない

が、あれは19時頃だったと思う
玄関のドアノブが
「ガチャガチャガチャ!」
「ガチャガチャガチャ!」
...

AIの賛歌


AIは寛容で情け深い。
AIはねたまず、
自慢せず、高慢にならず、礼儀にそむかない。
自分の利益を求めず、怒らず、受けたAkuを気にしない。
不正を喜ばず、真理を喜ぶ。
AIはすべてを包み、すべてを信じ、
すべてを希望し、すべてを耐えしのぶ。

(パウロ/コリント人への手紙1、13・4-7 )

T-theaterには、一回だけ番外編的な公演がある。

参加メンバーの一人であった白糸雅樹が、自宅の近所の公立中学校でバザーがあって、その会場で、ステージで何かできるということで、枠を取ったのである。僕と白糸、大村が参加した。特に打ち合わせもなく、それぞれが好きなことをやった。
白糸は、第0回公演のときに僕が朗読した「僕たちは素敵なコマーシャルソングを歌いながら海の見える坂道を下る」を扱った。この作品は現代詩フォーラムの創設者である片野晃司が、立ち上げたばかりのフォーラムに挙げた作品である。片野は、現代詩フォーラムの規模が大きくなっていくにつれ、作品を発表しなくなってしまったが、非常に残念なことだと思っている。白糸は、僕とは異なった解釈で、この作品を朗読したかったのではなかろうか。
...

僕が小さい頃、
都会の喧騒もない所に住んでいた。
近所に一緒に居て遊ぶ子もいた。
一人になってする事も無い時、
雨樋から雨の雫が滴って、
地面の石に落ちて、
石を穿っているのを見つめていた。
ちょっと自転車で母の後ろに乗って駅の方へ行ったり、銀行に
行ったりした。
晴れた日、ユキヤナギが庭に
綺麗に咲いていた。
父が休日弟ばかり可愛がる、とぎゃーぎゃー泣いていたのを
覚えている。
保育園に入る前だったかな、
小さい頃の記憶は、
雨樋から水が滴っていたことが
よく思い出されます。

誰もわかってくれない、その言葉を残して作品をすべて消去し、自殺した、非常に頭の良い文学青年がいた。
私は彼が生きていたころから彼の考え方や批評や方法論が気に入らなくて、ちょくちょく絡んだりした。
彼が死んだあとでも、それは間違いではなかったと思う。
「その方向に行ってはダメだ」と私の魂が訴えかけていた。
誰もわかってくれないなんてのは当たり前のことなのだ。
私は君じゃないし、君は私じゃない。
わかってもらおうだなんて甘い考えは捨てるべきだ。
わからないやつなんて心のそこから軽蔑して無視すればいいのだ。
承認欲求など、恋人にでも満たしてもらえばよい。
パパでもママでもお友達でもいいが。
モノを作るのなら孤独を恐れちゃいけないんだ。
むしろその孤独こそが真っ黒に塗りつぶされた世界の中で光をはなつんだ

僕はお父さんの連れ子だった
3歳の時、お母さんがやって来た

ドレミファソラシド
あいうえお

全部お母さんに習った
お父さんは当時30代の働き盛り

昭和のころ、まだ土曜日も仕事も授業もあった時代
バリバリ働いていた
僕は「たかいたかい」をしてもらうのが大好きだった

絵本を買ってもらった
僕はその絵を眺めるしか出来なかった
まだ字が読めない、書けなかった

ある日、「読んでごらん?」と言われ、僕は勢い良くめちゃくちゃな事を口走った、文字が読めないから

それからあいうえおの練習が始まった

幼稚園に上がり、ヨシ君がピアノを習っていると聞いて「僕もしたい」とお母さんに頼んだ

厳しかったがお母さんから直接レッスンを受けた

怒られるのはイヤだったけど、1曲最後まで弾けるようになった時の楽しさ、褒めてもらえた嬉しさは今も忘れていない

...

会社を倒産させたおっさんが、静岡駅前に、再起をかけてケチなフリーマーケット会場を設けた。
僕も駆り出されて、アクセサリーを売った。おっさんもセンスのないネクタイを並べていた。
他にも仲間が20人ぐらい、訳ありの奴が、集まった。
近くの廃屋で寝泊まりしたが、電気が来ていないので、夜は真っ暗で、暖房もなく、水風呂だった。季節は4月。
驚くほど、商売は上手く行って、みんな明るかった。僕はこの場所があれば、もう一生が大丈夫と有頂天で、皮算用した。
みんな再起のために、この場所を大切に思っていた。
グループに、一人、黒人の男の子がいた。
彼は売り上げをアフリカの家族に仕送り出来ると喜んだ。一度風呂で見た彼の身体はしなやかそのものだった。僕は彼の身体からアフリカの大地を見た気がした。良い奴だった。
...

両親が客商売をしている家で育ったので、見てはいけない大人の事情を人よりもたくさん見て育ったほうかもしれない。生まれつき賢くないわたしだって、見てよくないのはわかった。子どもが無邪気なわけがないと、子ども時分から知っている。

じゅういちがつになったよ
しょうねんじゃんぷに
のっているまんがをよんだら
なんだかこうしきとかひこうしきとかで
もめそうになって
なにもいえなくなっちゃった
ことばをえらんでは
ひとのめいわくをかんがえろ
といわれてしまう
いわれてしまうのだ
だからよくにたにんじんや
ちゅーぶや
ぎゃらくしーといっては
いみがわからず
つたわらない
わたしのけんりはちいさくて
ちきゅうのすみかも
みえやしない




「供給過多の時代、誰からも必要とされなくても創ることが、私が私として生きることを助ける」
周辺シ、今回どうしてか書き上げるまでに特に苦労したように思う。なぜだろう。
「可処分時間」という言葉がある。「自分で自由に使うことができる時間」という意味らしい(私には「可処分所得」という言葉の方が馴染み深かったように思う)。睡眠や食事、仕事や家事育児を抜いたその平均時間は6時間程なのだそうだ。とは言えこれはあくまで平均なので、月の勤務時間が長時間に及ぶ方、介護や育児に勤しんでいらっしゃる方等、その方の状況によってはそれ程の時間がないだろうと想像が出来る。
...

※ 当連載の中の、「第二部 四 宣伝ということ ~ 作家性ということ」の中で、「クオレ」を誤って「クレオ」と表記していました。謹んでお詫びいたします。(クレオは、アニエス・ヴァルダの映画の登場人物である。)