「△」湯原昌泰

2024年06月29日

山に入るようになったのは
今年で40歳になったこともあり
自然とは何か、不自然とは何かと知りたくなったからだが
その山の中にあって
僕の存在はあまりにも不自然であり
木々はあまりに自然であり
風のそよぐ風景の中に溶け込めない僕は
滝のような汗を垂らし
この汗の中にこそ不浄はあるのだ
この小便の中にこそ穢れはあるのだと
ただならぬ面持ちで喘いでいるが
ふと
では熊は自然なのか
スズメバチは自然なのか
鹿は
猪はと考えると
どれもこれも尋常ではない。
すべて生き物は異様である。

ではさて
人間にとって服を着るということ
風呂に入るということ
電車に乗るということは
どれも自然な行為だろう。
つまり
視点が変わればすべては自然であるということだが
以前新宿三丁目駅の大トイレに入った時
どうやら前に入った人が
そこでカレーを食ったらしく
捨てられた容器とともに
カレーの匂いに包まれながら用を足したことがあった。
あれはなんなの
自然なの
何を考えて生きてんのと
今でもわからないけれど
何か抜き差しならぬ事情があったことはわかる。
わかるが、
お前の自然のせいで
俺は地獄のようだったよ。

世界で少子化が進んでいるのは
地球を渦巻く生き物の総量バランスが崩れているからだと思うが
そうとは捉えない真面目な歴代総理大臣たちは
夜な夜な国会議事堂地下に集まり
わかってくれ、赦してくれと涙を垂らしながら
コンドームに針で穴をあける作業に勤しんでいる。
自由とはすべて壁を打ち破ることであり
喜びとは常に限界を突き破った先にある
さておき
もっと適当に働けよ日本人
なに完璧な物を作ってんだよ
閣下は日本の技術力を怨みながら
僕は山頂でコーヒーを飲みながら
何という植物だろうか
刀のように鋭い葉を見て
絶対に他人を理解しようとしないお前は美しいと
深い稜線を眺めながら
カップラーメンを食いながら






湯原昌泰