「きみはジュネを抱えて」#3 我妻許史

2022年04月07日

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ふと、会社のことが頭をよぎる。みんなどうしているんだろう? 独り身のぼくにはうまく想像できないけれど、小さい子どもがいる家庭は大変だろう。だってこの状況をどう説明すればいい? 

ぼくは会社用の鞄を開けて手帳とクリアファイルを取り出す。ファイルの中にはぼくが起案したプロジェクトの企画書が入っていた。現状分析、ブランディング、収支計画、それらの文字は電車内の広告のように冷たく遠かった。手帳を確認すると本来なら今日は大分へ出張に行っているはずだったらしい。ぼくにとってはけっこう大きな案件だったはずだ。かなり先の予定だった気がしたんだけれど、いつの間にか時間が経っていた。ぼくの手帳にはさらに先の予定まで書かれていた。最後に出社した三か月前から年末まで。約八か月のおおまかなスケジュールが組まれていたということになる。手帳でこれだから、会社のPCを開けばもっと細かくスケジューリングされているはずだ。

ぼくは手帳を閉じて鞄に入れる。なんだか「これを真剣にやっていたと思うと少し不思議な気がした。これらはもう過去だった。そして未来は白紙だ。

ぼくは念のために充電を満タンにしてあるスマートフォンを取り上げて画面を見る。スマートフォンは未だに圏外で、ネットワークは不通。テレビの電源を入れても砂嵐すらなく黒い画像が冷たく映し出されるだけだ。今では恐怖も驚きもない。この状態を当たり前のように受け入れてる自分がいる。

窓を開けると大粒の雨がアスファルトを叩いていた。濡れたアスファルトの匂いと、夜の夏の熱気が鼻孔をつく。天候はぼくたちに関係なく勝手気ままに活動している。ぼくたちがこんなことをしている間にも季節はめぐり、風は吹き、雨は大地に降り注ぐ。

ぼくは人生について考える。ビール一缶分の酔いがぼくをセンチメンタルにさせていた。ぼくは今まで精一杯生きてきたのだろうか? 答えは否。「無難にそれなり」というのが答えになりそうだ。情熱をもって取り組んできたことといえば、趣味のレコード収集ぐらいで、あとは流されるままに進学、そして就職をした。アルバイトばかりだったけど、それなりに楽しい学生時代だったし、スムーズに就職もできた。ラクな仕事ではないけれど、辞めようと思うほどではない。三十を過ぎて責任のある仕事を任されるようになってきたし、部下たちにも慕われているほうだと思う。上司からの評価だって悪くない。仕事を振られたら、嫌な顏をせずに引き受けるし、残業や休日出勤だって文句を言わない。「休日といってもやることなんてないですから......

そんなことを言って、ぼくは仕事を引き受ける。日和見主義で空気を読む性格のぼくは敵を作らない。会社の多数はぼくに好感を持っていると思う。でも、敵という存在はいないけれど、味方と呼べるような存在もいないと思う。必死でぼくを擁護してくれるような、ぼくのために血を流してくれるような人はぼくにはいない。ぼくは人と深く関わらない。できるだけライトに接する。夢や欲望も希薄なほうだ。「何が何でも」という気持ちになったことはほとんどない。人と意見がぶつかれば、必ずぼくが折れるし、情熱を持って自己を擁護している人を見ると、皮肉じゃなく尊敬してしまう。

学生時代、友人の発案で死ぬまでにしたいリストを作ろう、と言われ、ぼくは十個も書けなかった。多分、ボブ・ディランに会いたいとか、そんなことを書いたと思うんだけど、実際に会うことになっても嬉しさより、困惑が勝ると思うし、ディランは、エッフェル塔やアンコール・ワットとは違って人格を持った一人の人間なんだから、会いたいと願うのは間違った考えだという気がした。ボブ・ディランに会いたいと思われたい、そんな人間になりたい、だったらいいのかもしれないけれど、それでは「死ぬまでにしたいこと」という趣旨とは外れてしまうし、そんな存在になれないことはわかっている。友人はすらすらとリストを書いていった気がするんだけど、ぼくはこういうことが苦手だった。とはいえ、気まずくなるのは嫌だったから、「グリニッジ・ヴィレッジに行きたい」とか、「死海でバカンス」なんてことを書いた気がする。だけど、どうしても死ぬまでにしたいか? と聞かれたら、そうでもないのだろう。

誰かと話したい気がした。別に大した話じゃなくてもいい。ぼくはぼくの話したいことを話し、誰かの話したい話を聞きたかった。でも、その誰かはぼくにはいなかったし、この状況では現実的に無理だった。ぼくは友だちのことを考えた。学生時代の友だちが何人か頭に浮かび、会社のよく飲みに行く同期が頭に浮かんだ。交際していた恋人の顔も浮かんだ。そしてアルバイト先で同僚だった千春の顔が浮かんだ。

ぼくはタバコが吸いたかった。喫煙の欲求はこのところほとんど感じなかったんだけれど、今は無性に吸いたかった。明日の一食を飛ばしてもいいから、一本のタバコがほしかった。ぼくは立ち上がり、ペットボトルのミネラルウォーターを飲む。そして、空想のタバコを取り出して、空想の火をつける。そして空想の毒物で肺を満たして天井に息を吹きつける。この動作を何度か繰り返すと、欲求は徐々におさまっていった。心臓が鼓動を打っていた。静かな部屋の中で、自分の心臓の音がよく聴こえた。

学生時代、渋谷のフレンチカフェでアルバイトをしていたぼくは、千春とシフトが被ることが多かった。といってもフリーターだった千春は、年中シフトに入っていたから当然といえば当然かもしれない。学生が中心の職場だったから、千春は浮いていた。いや、もし千春が学生だったとしても浮いていたと思う。化粧は最低限、髪の毛は少年のように短く、私服では冬でもビーチサンダルを履いていた。決して人当たりが悪いわけではなかったけれど、学生チームと仲良くなることを避けているようなところがあった。

千春はバイトの休憩中によく小難しそうな本を読んでいた。本を読んでいるときの千春は、様になっているというか、しっくりくる感じがした。その姿にはキース・リチャーズとフェンダー・テレキャスターのような一体感、親密さがあった。

ぼくは千春と休憩が一緒になると、読書の邪魔をしないように静かにしていることが多かった。狭い休憩室でお互い無言でいても不思議と気まずさは感じず、千春が放つ親密さに含まれているような気がして心地よかった。

ある休み時間に千春は、制服の上にカーディガンを羽織って、古い本を抱えるようにして読んでいた。千春はいつも通りぼくなんか存在しないかのように本を読んでいたんだけれど、彼女の読んでいた本の作者の文字が目に入って思わず話しかけた。

「ねえ、それってジャン・ジュネ?」
「ジュネを知ってるの?」
千春は「あんたなんかが知ってるなんて意外」という顔を隠さずにぼくに言った。
「デヴィット・ボウイがジュネのことを題材に曲を書いているんだ。『ジーン・ジニー』っていう曲なんだけど」
千春は本から視線を外して、切れ長の目をぼくに向けた。
「それと、パティ・スミスの初ライヴはジュネに捧げられたはずだから。それでジュネという名前だけは知ってるんだ」
ぼくがそう言うと、千春はふうんと頷いて「本は読むの?」と訊いた。
「正直、全然読まない。音楽を聴くことが好きなんだ」
「演奏することに興味は?」
「いや、どうだろう。そこまでないかもしれない」
そこでぼくたちの話は終わった。だけど、この話がきっかけで、千春は少しだけぼくに心を許し始めたのは間違いない。次にシフトが一緒になったときに彼女は「これなら短いし読めると思う」と言って、ぼくにアルベール・カミュの『異邦人』を貸してくれた。ぼくは千春に認められたような気がして嬉しかった

つづく






我妻許史