「こういうのわかる自分て凄くないか症候群」伊藤OK忠昭

2022年06月26日

気持ちは、とてもわかるんです。
燃えないゴミの日にゴミ収集所で同じくゴミを捨てにきた人に「ボルヘスのパラケルススの薔薇を読んで、盲目の闇のなかへセンシティブバードする精神と個人主義とアナーキズムに熱い共感を、、、」などと話しても「はぁ?」となるばかりか「変わった人だと悪評を沸てられかねない」のですから。

昔、「ポジティブパンク(現在死語)」というムーブメントがあった。
本当にそんなものがあったのかすら疑わしいムーブメントだった。
それは海外の音楽産業が造り仕込んだものだった。
流れとしてはベルベッツ・ストゥージズ・以降のヴァージンプルーンズやバウハウス・コクトーツインズあたりの4AD系やジョイディヴィッジョン・キリングジョークなどのポストパンク勢エコ&バニ・マークアーモンド・キュアーといった流れの中で派生したものだったと思う。

いわゆる初期パンク(ストラングラーズ・ラモーンズ・クラッシュ・シャム69・アナーキー等)以降はハードコア(カオティックディスコード・デッドケネディーズ・コンフリクト、リップクリーム等)にいくかポジティブパンク(エイリアンセックスフィエンド・サディサッヅ・ソドム等)にいくかのどちらかだったように思う。
そこにナゴム系(有頂天・ばちかぶり等)も絡み尚且テクノ勢(クラフトワーク・DEVO・P MODEL等)も絡み混沌としていた。
ジャパニーズハードコアパンクの雄「ガーゼ」のフグ氏に渋谷「屋根裏」の楽屋で「なんかポジパンみたいな格好してますね」と言ったところ「格好はポジパンのほうがカッコイイんだよ」というチョット面白い返事がかえってきた(笑)

僕はそのどちらのギグにも顔を出していたのだけど(姉といくと入場無料の事が多くて)ライブの帰りには必ず飲み会になる。
例えば新宿ロフトでの場合は餃子の王将やしょん横になだれこむのが定番でした。

そんな打ち上げや愛好者同士の飲み会で(これは圧倒的にポジパンファンに多い)作家やら芸術家の名前が次から次へと、まるで「カタログ」のようにでてくるわけです。
やれバタイユがどーのジャンジュネがこーのエゴンシーレがどうしたといった話題に必ずなる。

そんなとき僕はひどく退屈だし
「こういうのわかる自分て凄くないか」
みたいな空気が非常に気色悪いのである。

それに人を疑うのも悪いけど「本当にこの人読んでるのだろうか?」という疑問を懐いてしまうハナシのフシなのだ。
ちなみに僕はバタイユなんか難しくて、あれから35年も経っているがマダムエドワルダしか読了した事がない。

さらに皆さん「個性をモロ出しにする」
「自分て、こんなに変わっているのです」という、これまた気色の悪いムードになるわけです。
僕など、ここ10年というもの常に普通である事を人生のテーマとし、「今、自分は普通であるか?と惜しみ無い自問自答」を積み重ねてきた者に云わせると個性というのはワザワザ出したり寄をてらうものでなく仕方もなく滲みでてしまうものを「個性」というのだと思ってます。

まわりが皆ミュージシャンだらけなのに音楽の話しなど全然無くて、何故か旅や虫の話しに熱中していたり、まわりが皆、写真屋なのに写真の話しなんかやっぱり無くて何故かウルトラマンやゴジラの話しをしてたりみたいな空気が僕は好きだな。










 伊藤OK忠昭