「そのかけがえのなさに名前はつかないまま」石渡紀美

2022年01月15日

そのかけがえのなさに名前はつかずじまいだった

その日のごはんは
しらすと、韓国海苔と、あぶらげを半分に切って中にねぎとかつおぶしを入れてちょっとしょうゆをたらしたのをトースターで軽くあぶったのがおかず
冷蔵庫にあったもので手早くつくったら
子どもは喜んであぶらげのは六つも食べた

あしたのあさごはんはぱんがいいな
子どもがつぶやく
さいきんぱんたべてないじゃん
だけどなんでぱんでもあさごはんっていうの?
あさごぱんじゃん、
みたいな
そんな他愛のないおしゃべりに
生返事をしながら、
今夜中にもう一回洗濯機まわさなきゃって考えていた

干されることのない洗濯物

日は、昇ったら沈むのに
生きることに誰の許可がいるのだろう
 と思っていた

生きづらさは過呼吸に似ている
おぼれるはずのない場所でおぼれる人のようにも
 と思っていた

子どもが生まれるまで百年後も明日もなかった

「大きくなったね」

大きくならない子どもはいない
いなくなった子どもをのぞいて

いなくなった子どもは歳をとらない

生きていていいのかという問いは愚問だ
結局は逆に突きつけられることになる
どうだお前はそれでも生きるのか、という問いを

「大きくなったね」

なぜ自分が生き残ったのか
なぜ彼らの家は失われたのか
なぜ彼らの子どもは死んで自分の子どもは生きているのか

愚かな問いと知って
問わずにいられない問いがある
それがひととひとをつなげることもあるのなら
おそらく愚問にも役割はあるのだ

そもそもお前は賢く生きたかったのか

なにも考えず
日が暮れ始めたら
自分と家族の胃袋のことを考えて台所に立て
今夜は冷えるから
からだのあたたまるものにしよう
みそ汁の具は小松菜と人参とあぶらげにしよう
彩りがとてもきれいだから

つぼみはふくらんできて
明日には角のこぶしがひらきそう
例年より早かろうが遅かろうが
花は勝手だ
咲きたいときに咲く
咲けるときを逃さず咲くだけだ

その花を一緒に愛でる人を家族と呼んでもいいし
呼ばなくてもいい
当たり前にあったものが失われるように
家族のあり方も変わっていく

必要なのは名前なのだろうか、といつも思う
名づけられるものと
名づけられる前のものとのあわいにあって
ただ流れを見送ること
それがかけがえのなさ、そのもの






プリシラレーベルから刊行される石渡紀美の第5詩集『ハロー、ネイバーズ』(プリシラレーベル刊) 。
挿画・荒木田慧。「春の詩」「シーユーネクストタイム!」など21編収録。現在電子版のみ販売中。