「アリの話」 03 大塚ヒロユキ

2024年12月27日

小さな痛みがアリの意識を呼び覚ます。
拡散された苦痛がアリの裸体をむさぼりだす。皮膚を焼きつける灼熱の陽光、手足が燃えているような感覚。耳鳴り、渇いた喉、頭痛、顎がちぎれそうなほど痛い。
朦朧とした意識の中で、アリは吊橋に張られたロープの産毛に噛みついてぶら下がっていることに気づく。
ロープの上に這いあがるアリは、自分の身体が徐々にマッシュルームによる呪縛から解放されていくのを感じる。
静かに息を吐き、呼吸をととのえる。空は目が眩むほどに晴れ渡っている。アリは暑さをしのぐためにロープの裏側に回り込む。
ちょっとした日陰なのに、そこは冷んやりとした空気に包まれている。逆さまになったアリの頭上には、むき出しの裸岩、巨大な弓形の岩山、峡谷が大きな屋根のようにそびえている。
アリにとっての重力は飼い馴らされた獣のように無力である。足元には真っ青な大気の海が広がっている。
アリは頭上を流れていく川のせせらぎに耳を澄ませ、そのままの体勢でしばらく身体を休めることにする。風はなく、空気は澄んでいる。まだ正午少し前といったところだろう。
アリは触角で足場を確認しながら、左足を前に踏み出してみる。徐々にではあるが、身体の痛みは納まりつつある。
首をぐるりと回す。少しずつ正常な思考を取り戻すアリは、逆さまの体勢のまま手足の傷を確認する。
後方には以前に暮らしていた世界が小さくなりながらもまだはっきりと見える。
戻るのなら今だ、という声が一瞬、脳裏をよぎる。
アリは顔を起こす。そして小さな足を一歩ずつ、前方へ踏み出していく。






大塚ヒロユキ