「アリの話」04 大塚ヒロユキ

2025年01月03日

露骨なほどに裸にされた深い谷間を見上げるアリは、逆さまの体勢のまま、期待と不安の狭間をくぐり抜けていく。
陽射しは午後になっても衰えることはなく、烈しい炎のむちを足元に打ちつける。アリはかろうじて火の粉をかわし、ロープに敷かれた一本道、アリの子一匹通れるほどの隙間を歩いていく。それは陰影の最も濃い部分、無重力の虹の橋。
遠くで呼笛が鳴り響く。鋭いくちばしをもつ瑠璃色の怪鳥が喉を震わせる。
「この限りある我が歌声を、無駄に終わらせたりはしない」
危ういほどに澄んだ目をした恋人は、鳴き方さえも思い出せないまま、湖の対岸へと旅立っていく。その恋人を想うかのように、瑠璃色の怪鳥は喉を震わせてアリアを歌う。
旋律を慈しむような時の流れ。終わることのない時を見据えるアリは、自分が過去と未来をつなぐ奇跡的な接点に立っていることを知る。
足元には雄壮な大気の海が広がっている。踏み板に開けられた釘穴から、まるく切り取られた青空が見える。小さな空の真ん中には白い月が浮かんでいる。
白昼に白い肌をさらけだす月を、アリは顎を引くようにして見下ろしている。
そしてアリは吊り橋の中心で詩を瞑想する。

青空に浮かぶ白い月が
石造りの宮殿を覗き込む
柱の陰では素肌を光に照らされ
水浴びをする娘たち
空を突き刺す塔の上では
小さな影が優しい秘密を打ち明けている

甘い香りの突風が木の葉の中に空虚な月をのぞかせる 
神秘の森の奥に潜む盲目の巨大魚は
白昼に眠る子供たちの夢を飲み込んでしまう
湖に浮かぶ白い月にそそのかされて 

宮殿の中庭では
蒼白い顔をした男たちの歓喜の声が響きわたる
絵の具のついた筆を、空に投げつけるんだ!
偉大なる芸術家の盲点に向かってな

自惚れた惑星から開け放たれた窓
残酷なまでに晴れわたる空
月は漂いつづける
色褪せ、熟知し、猛烈な悲哀から
逃げ出すことも出来ずに 






大塚ヒロユキ