「アリの話」06 大塚ヒロユキ

2025年01月20日

アリは以前、軍隊に所属していた。
陸軍だったアリは海軍に憧れていた。海を旅してきた者たちの話をいつも真剣に聞いていた。アリはいつか除隊して、世界を旅して回ることを夢見ていた。
アリは軍隊に馴染めなかった。集団生活はそれなりにこなす事はできた。仲間たちとの共同作業も率先して行った。老衰したトノサマバッタを運ぶ任務の指揮官を任されたこともあった。だが時折、無謀な戦闘も行われていた。長期に渡る終わりの見えない戦い。スズメバチの巣を襲い、何百匹もの繭を略奪する作戦には二度と加わりたくなかった。
我が子を守ろうとして怒り狂うスズメバチに、首を噛み切られ、目の前で殺されていった仲間たち。顔のない無残な遺体を運びながら、いつ自分がその立場に置かれてもおかしくない状況下で、胸を撫で下ろす日々。日を増すごとに精神を病んでいく者も増えていった。
 アリはある日、パトロールの帰りにその胸の内を中尉に打ち明けてみた。いつもは兄のように優しかった中尉は、無表情な目をして言った。
「お前はアリなんだ、アリとして生まれてきたんだ。幸せな余生を過ごしたければ、余計なことは考えないほうがいい」
翌日の朝、アリは独房に入れられてしまう。
独房の天井にある小さな格子窓から、夜になると月明かりがさし込んだ。山吹色に輝く半月が見える。
アリは月に問いかける。
月は何もこたえない。
敷物を頭から被って横たわるアリ。半月は日を追うごとに細くなっていく。アリは見張りが変わる時間を、日夜確認する。桃の葉の繊維でできた敷物にくるまり、細い茎で身体の形を作る。アリはその下にこっそり穴を掘り始める。
そして月が姿を消した日、新月の夜明け前、アリも独房から姿を消した。 

地面に落ちている木の葉が微かに動く。土から顔を出すアリ。頭部にある特殊な眼が、闇の濃度を検知する。身体は闇に同化している。周囲に誰もいないことを確認すると、アリは穴から這い上がり、手足についた土を払う。そして前屈みの姿勢で顔を上げ、一目散に走りだす。
「動け、動き続けろ! 目を閉じていてもかまわない、動き続けるんだ」
頭の中に潜む何かがアリをけしかける。
アリは闇の中を走りつづける。
どこまでも(振り向きもせず)どこまでも(自分の乱れた呼吸の音しか聞こえない荒野を)どこまでも(足にまとわりつく淡い影を振り切り)どこまでも(この先にある未来のために)どこまでも、どこまでも走りつづけた。
やがて黄金色に息吹いた向日葵畑に辿り着き、アリはそこで奇跡を見た。
ひとつの大きな向日葵が空へ昇っていく様を。








大塚ヒロユキ