「イエス, アイムカミング(6)」荒木田慧
Lは自撮り棒で宇宙を撮っていた。
センター街のサイゼリヤでテーブル越し、こっそり見せてくれたLのスマホのカメラロールには惑星がいくつも浮かんでいた。Lはほんものだと私は思った。
Lに初めて会ったのは10月の夜の代々木公園だった。自分が描いたのだと言って、Lは柱の壁画を私に見せた。虹をおよぐクジラの絵だった。もうすぐ渋谷に豪邸を買うのだとLは言った。ハーバード大学を卒業したとLは言った。どれもとんでもない嘘だとすぐあとでわかったが、Lの声や語り口はいつも本当のことしか言っていないように私の耳に響いた。
Lは刑務所から出てきたばかりだと人伝てに聞いた。なんの罪で入っていたのかと聞くと、答えは人によって違った。窃盗だと言う人もいれば、薬物の罪をなすりつけられたのだと言う人もいた。Lには半分外国の血が流れていて、それはあるとき戸籍の紙を見せてくれたから間違いない。白い自転車で、車体に付けたスピーカーから音楽を流しながらそこらじゅう走り回って、ときどき花を盗んでいた。開店祝いの花輪から一輪、走りざまに引き抜くのだ。
Lは「ほんもの」だった。でも何のほんものなのかはわからなかった。
Lを私に引き合わせたのはRだった。種類は違うが、Rもまたほんものだった。Rにはところ構わず卒倒する癖があって、初めて会った新宿の駅前でもRは卒倒した。交通事故の後遺症だと人伝てに聞いたが、どんな事故かと聞いてもはっきりしなかった。症状はほかにもあって、Rは記憶が長くもたなかった。「今日来なよ」とRからショートメールが来る。「仕事で無理」と返信しても、10分後にはまたスマホが鳴る。「今日来なよ」
電話も頻繁にかかってくるが、べつに私を特別気に入っているわけではない。Rはほとんど誰に対してもこうなのだった。病的な寂しがりで、老若男女だれかれ構わず無差別に連絡の砲弾を浴びせる。拒絶されようが構わず、相手が倒れるか逃げ出すまでそれは執拗に続く。
Rの親は資産家らしく、働く必要はないようだった。家に帰らずだいたい道で寝ていた。そのせいでしょっちゅう通行人と喧嘩していて、会うたびマンガみたいな絆創膏を額に貼っていた。あるときは白いネットを被って、平和な果物みたいに駅前に座っていた。神経質な指先でタバコを震わせながら、眼鏡の奥で目を細めている。口数は少なく、しゃべっても後遺症とアル中のせいで何を言っているのかわからない。そのRが「渋谷の覇王に会わせるから」と私をLに引き合わせたのだった。
別の夜、私たちは原宿にいた。Lは白い自転車でどこかから現れて、ピンクのバラを一輪、私にくれた。深刻な顔をして、赤いバラは怖いのだとLは言った。私も赤いバラは嫌いだった。
Rに呼び出されたのは焼き鳥屋だったが、Lも私も金がなく、店からRを引っ張り出して、結局は外に座った。植え込みの根元に落ちているタバコを拾い集めて、夜の清潔な空気を吸って吐いた。Rが近くのグループにタバコをねだるとそれは若い美容師たちで、私たち3人の髪をいつか切ると言って名刺をくれた。
終電がなくなると代々木公園を突っ切って渋谷まで歩いた。ハロウィン前で、深夜の渋谷駅はひっそりと寝息を立てていた。スクランブル交差点を3人きりで渡った。看板から高く電光が降りそそいで、アスファルトの白線がしろく反射していた。ハチ公像の前脚のあいだには赤いミニトマトが一つ、何かのしるしみたいにぽつりと置かれていた。待ち合わせの相手が現れなかったのか、像の周りには亡霊みたいにまだいくつか灰色の影が立っていた。
電車が動き出すのを待って、私たちは東武東上線でLのアパートへ向かった。Lは数日中にどこかから金が入るらしく、借りを返すからそれまで自分の部屋にいてほしいと懇願した。私とRはおとなしくそれに従った。月曜日だったが、ほかに行くようなところもないのだ。
Lの部屋の壁には、片側にキリスト像の写真が、反対側に神社の鳥居の写真が貼ってあった。その真ん中の天井近くにはバリ島かどこかのお面が掛けられていた。ほとんど物がなく、日雇いの仕事に行くためのヘルメットが目を引いた。
敷きっぱなしの薄い布団の上で、Lは六法全書を枕にしていた。職務質問された際に自分を守るため、読んでいるらしい。手に取ると、表紙にはどこかの街の名前が印字してあった。図書館から六法全書を盗んだらどんな罪に問われるのだろう、これを読めばわかるのかもしれない。
「Lは手癖が悪いから財布など取られないように気をつけろ」
昨夜駅前から電話をしたとき、恋人はそう私に忠告した。しかし取られるようなもののない私は、何ひとつ心配などないような気がした。