「ストロングで愚かな私の肉体を祝福する」萩原富士夫
2024年03月13日
格闘技や武術にある程度の興味はあるが、痛いのやだし、心が弱いので道を外れそうだからそっちには行かなかった。
ダンスといえば無手勝流、テキトーな身体です。それより肉体労働について考えるのが私の身体観の軸。それも職人の熟練した技ではなく、ひたすら土嚢を運搬する雑工レベル。つまり私の生業。
だから古武術の驚異的な技や、コンテンポラリーダンスが開示する新しい身体、地域の歴史文化や共同体に根ざした伝統芸能の深みには敬意を払うけど、方向が違うんだ。防塵マスクを外して飲む水の美味さから始めたい。(酒はまた別の話)
だってダンサーや武術家達の超絶技巧を褒めそやし、神楽や獅子踊りが行われている地域に憧れても、ルンペンプロリタリアートの身体や生活環境が良くなる訳でもない。逆に惨めになるだけ。でも山谷ブルースじゃない。無作為で無防備な身体を肯定したい。労働賛歌ではなく、愚鈍な肉を祝福したい。
じゃあどうする?粉塵まみれ汗まみれの疲弊した肉体をどうすりゃいいんだ?農耕のように大地に根差した命なんて言えないし。
建設現場のゲートを出た途端に最寄りのコンビニに駆け込みストロングチューハイをあおるこの愚かな体をどう肯定すればいい?
自分で祝福といったものの実はさっぱりわからない。