「スピン」大島健夫
2023年06月02日
赤信号を見つける
それに向かってアクセルを踏み込む
人間の肉を轢く感触とともに交差点を走り抜ける
見開いていた目を閉じると、瞼の裏に太陽が見える
太陽の黒点の中で、膝を丸めた子供がiphone を握っている
その子供は、「とても暗いところで待っているよ」とツイートしている
スピードを上げると、車は空に浮かび始める
カーラジオからは女の声が、聴いたことのない歌のリフレインをうたう
「明日、私はあなたのついた嘘になる」
「明日、あなたはありったけの大声で叫ぶ」
シフトレバーに触れた時、それは獣の骨に変っている
骨には血と毛がこびりついている
指でこすりとって口に入れると、窓の外を竹トンボが飛び始める
百個、千個、大変な数の竹トンボが
車を追い越して、闇の中へと飛んでゆく
百個、千個のその翼が回る音は、百人、千人の女たちの裸の背中から滴り落ちる水のよう
窓から手を伸ばして指が触れた時、竹トンボは松明の火のように熱く
剃刀の刃のように鋭い
車が上昇するとともに、ラジオから流れる歌は小さくなって消えていく
足をアクセルから放し、シートバックに深く身を沈める
目の前にかざした自分の掌は、くらげのように透明だ
突然ラジオが甦り、あの女が歌う
「今夜、私はあなたの夢に現れる」
「見たくないのなら眠らないで」
僕を乗せた車はくるくる回っている
同じ場所をくるくると回り続ける
僕はラジオの女と声を合わせて歌う
「昨夜、私はあなたに気づいていた」
「私は黙っていただけ、ただ黙っていただけ」