「ディストピアと生活」はっとりあつし

2021年09月29日

「ディストピアと生活」

 もうどうしたってやらなければいけない仕事のために土日に会社PCを持ち帰り、全くさわらずにアマプラでドキュメンタルを観ていた。自分も笑わないようにがんばって、ぼんやりと過ごしていた。

 もう10数年前になるが、大学に8年いて出る頃にはひきこもっていた。社会が恐ろしく、何かがうしなわれていくことが悲しすぎて、なにもできずにネットゲームでguild leaderだった。当時のことはよく思い出せないが、彼女と同棲していて、猫もひろった。何かを書いていた。猫は3年くらいまえに死んでしまった。

 その後バイトや契約社員、30すぎて常勤になった。社会常識はなにも身についておらず、必死だった。お疲れ様です。お世話になります。徹夜したりがんばった。よろしくお願いします。色々なことがあった。あんまり仕事したくないなと思えるようになったころ、どうやら僕は社会にとけこんでいた。白髪がだいぶ増えて、僕はなにも書かなくなっていた。

 結婚していない。子どももいない。ロックスターにも、詩人にも、作家にもなっていない。ゲームをする。ビールを飲む。漫画を読む。本はあまり読まない。昨日のチューハイのレモンにコバエがとまっている。

 僕はうしなわれていくものを、いとおしいと思うようになった。遠くの街で立ち寄った、くさくてぼろい中華屋の裏口から高層ビルが見えて、じいさんの大将が目の前でたんを吐いた。だいたいしょっぱすぎて、味覚がぼけているのがわかる。多分また来る。そうしてるうちに、いつか閉店の張り紙を見るだろう。

 半月ほど前にミキさんから何か書かないかと言われて、書きたいですと言った。数年前の自分なら断っていたと思う。でも書けませんと言うと、ミキさんはうれしそうにそれをテーマにしようと言った。書けるようになりたいので、嫌ですと言うと、ミキさんは残念そうだった。その後、ディストピアか生活というテーマはどうだろうと連絡が来たので、両方にします、と返した。そしてとりあえずなにも書かなかった。

 私たちはなに一つ、思ったようにならなかった。思ったようにならないだろう、ということは、思った通りになった。そんなことを受け入れたり、ごまかしたりしているうちに僕はなにも書かなくなった。書き留めるようなこともなかった。

 ディストピアというのはユートピアの対義語で、全てが終わったあとのポスト・アポカリプスとは本来別物らしいが、日本ではよく混同・誤用されるらしい。そうなのか。混同してたよ。混同ついでに引き続き誤用すると、ここは全てが終わった世界だ。全ての人が、なにも思ったようにならなかった。

 でも俺、思うんだけど、全部終わったような気がして、俺もいっしょにうしなわれていこうってなった時、俺はようやく、ロックスターとか、詩人とかじゃなく、自分のようなものになった気がしたんだ。

 うしなわれていくものは、すべて美しい。そして、すべてはうしなわれていく。この美しい世界に圧倒されて、おしながされて、言葉はなく、俺はようやく世界の一部になることができた。深夜、自転車で川崎の海に浮かぶ工場を眺めて、言葉はなくて、俺はようやく、夜といっしょになることができた。

 でも、なんか言おうかな、俺、自分の感じたことを捕まえようかなって、この原稿を書いててちょっとだけ思ってしまった。でもそれ大変なんだよ。たまに泣いちゃったり、そわそわしたり、夜寝られなかったり、頭がへんになったりするから。でもな。

 俺の名前ははっとりあつし。むかし、ひきこもりの部屋で生まれた、スーパーヒーローだ。
って言って、電気を消して寝た。






















はっとりあつし