「ファミコンの思い出」花本武
ファミコンが登場しだしたときというのは、自分が小学校の1年とか2年のときだった。が、うちはMSXだった。ゲームするためのパソコンみたいなもので、キーボードがあって、カセットを挿すところが二つある。3つ上の姉が親に買ってもらってきた。
ドラクエ1はMSX版でやった。やってみたけど、いまひとつ楽しみ方がわからないから、姉がやってるのをうしろから見物していた。傍観だ。
その後、3つ下の弟が親を動かして、ファミコンが導入された。弟は器用でいろんなゲームを攻略していった。それも傍観していた。傍観していてもそれなりに愉しくて満足していた。
小3とか4になるころファミコンは爆発的に普及して、こどもらを熱狂させていた。雑誌コロコロコミックが情報源だった。発売日15日が毎月待ちきれなかった。誌面ではカリスマ的なメンター、高橋名人が躍動していた。一秒間に16回ボタンを押せる高橋名人は凄い、16連射かっこいい、と尊敬していた期間はそんなに長くなかった。
が、高橋名人の絶頂期にハドソンが生み出したガジェット、「シュウォッチ」にはものすごく憧れた。名刺大くらいの黄色いボディに蜂のマーク、小さな液晶画面とAとBのボタン。「シュウォッチ」は連射、連打を修得することに特化している。そのストイックなところが好ましい。なんでも出来るのは便利だが、それしかできない、こそが贅沢じゃないか。
でも買うことも買ってもらうこともなかった。友人が必死の形相で指先を震わせるのを傍観していた。親切な友人が訓練の成果を示してくれる、と言うので手の甲をさしだした。連打してもらうと、くすぐったかったし、そのときの友人の顔がおもしろいのも相まってウケた。
連打のカルチャーはその後雲散霧消したようにおもう。なんだか定規をビヨンビヨンと弾いて、ボタンに当てるとすごい連射になる、とか。金持ちのこどもの家にあそびにいったら「ホリコマンダー」というコントローラーがあって、ボタンを長押しすれば、そのまま16連射とか20連射できちゃう。なんてのもあった。
極めつけに高橋名人が逮捕された。罪状はバネを仕込んだコントローラーで16連射を偽装し、こどもたちを欺いたこと。が、それはどうやらフェイクニュースだったようだ。いづれにしてもあの高橋名人がネガティブキャンペーンの餌食になったのは、衝撃だった。
中学生のころには、携帯端末「ゲームボーイ」でテトリスに熱中した。スーパーファミコンも出てきた。いろいろと複雑な様相を来して、こっちの人生も複雑になっていき、ファミコン的なるものから次第に遠ざかった。
他人がやってるのを傍観していた膨大な時間は、何だったのか。べつに何でもない。何かである必要もなかろう。どんなものからでも学ぶ姿勢は大事かもしれない。私はファミコンから特に何も学ばなかった。人生の血肉にもなってないし、無駄だった。無駄な時間の集積。もっとマシな使い方があった。とはおもうけど、いまも無駄なことばっかり愉しそうにやってんだから、そんなもんでしょう。