「プロスピの思い出」 もり

2022年05月06日

2004年。

不登校生活3年目。
15歳の僕は、PlayStation用のゲームソフト
「プロ野球スピリッツ(プロスピ)」と出会った。

キャラクターが2頭身の「パワフルプロ野球(パワプロ)」とはちがい、リアルな頭身で、実在のプロ野球選手を使って試合ができることにやけに興奮した。

それまでは家のふすまに向かって、プラスチックのボールを投げ、返ってきたものをプラスチックのバットで打つ「ひとり野球」をしながら、架空のトーナメントを戦っていた。

しかし、せまい家の中で広大なスタジアムのバッターボックスを脳内に描きつづけることへの限界を感じはじめていたので、プロスピの登場は救いの一手だった。

日中テレビを独占できることをいいことに、僕はプロスピに夢中になった。
押し入れの、ふすまを開けた上段に置いてある14インチのテレビ画面にかじりつき、直立したままコントローラーを握る。
接触の悪い 赤・白・黄色のコードには、ばあちゃんからお土産でもらった謎の小さな鐘をぶら下げるとちょうどよい重さで画面が安定することを試行錯誤の果てに発見した。

最初は実在のプロ野球選手・チームで試合をしていた。
しかしすぐに飽きた。
なので次は、オリジナルの選手を1チーム分作成し、ペナントモードで138試合を戦うことにした。

ただ、一日に何試合もやるとペナントはすぐに終わってしまう。
やることがなくなると生活にまた虚無が襲ってくることは15歳でもうっすら気づいていたので、そこはルールを設け、一日一試合とした。
あとなぜそういうシステムになったのかわからないが一回の表が終わると腕立て×10、裏が終わると×10、二回表が終わると腹筋×10・・・
のように、筋トレもはさんでいた。

ゲーム内で、オリジナル選手の外見や投球打撃フォームは決められたものの、
細かいバックボーンは不明なため、すべての選手に脳内で歴史を作った。
出身地、性格、育った家庭、出身高、甲子園出場経験、恋人の有無 etc...

いつしか僕はスポーツ新聞を作るようになった。

試合展開はゲームに沿うが、その他のストーリーは妄想で補い、漫画「ドカベン」の絵を参考にしながら、コピー用紙にびっしりと、文字と絵を並べた。

そして一日一試合をやり、終わったあとで発行部数一部の新聞作り、ひとりでさもそれを初めて読むかのように読む、という日々が続いた。
あの日々がどのようにして終わりを迎えたのかは覚えていない。


昨年、約15年ぶりにプロスピの最新作を買ってプレイした。ゲームだった。

もう新聞は作らなかった。
作れなかった。

これからブックオフに売りに行こうと思っている。