「自由に楽しく、東京ポエケット」 ヤリタミサコ
【もっとスポークンワードを!】
私は1995年にアレン・ギンズバーグの翻訳(フィリップ・グラスのCDの翻訳)を担当したことから、雑誌『アメリカンブックジャム』副編集長だった佐藤由美子と知り合い、1997年に高田馬場ベンズカフェで佐藤が始めたスポークンワードイベントに参加していた。ユニークな出演者たちの現代詩壇に影響されない自由さに、心動かされた。ちょうどアレン・ギンズバーグが亡くなった直後で、アメリカのヒップホップも知られるようになっていた。このイベントでは、一人芝居、和製ラップ、トーキングブルース、既成の歌詞や小説の朗読、自作詩の朗読、など多様な出演者がいて、FM放送でポエトリーリーディングをオンエアしていた、カオリン・タウミや室矢憲治らとも出会った。
私と川江一二三は80年代から朗読イベントを時々開催し、詩とマイムを組み合わせた川江、音声詩をパフォーマンスするヤリタ、自分のスタイルでやってきた。吉原幸子や白石かずこの音楽や舞踏とのセッション朗読ライブに魅了されてきた私たちは、彼女たち以外の詩人の何の工夫もない棒読みの朗読には不満だった。そして出会ったスポークンワードの面白さをもっと多くの人たちに知ってほしいと思った。
子音が連続するアルファベット言語は自然にリズムの変化があるが、日本語は母音の長さが一定なので、他人の言葉として棒読みすると、眠くなるようなお経みたいになる。が、発話者が自分の内部の音として自然なテンポに従えば、ブレスやリズムや音の高低が発生する。日本語の詩をもっと音楽的にしたい!と私は考えた。
【1999年12月12日第1回開催と決めてから】
商業詩誌以外の詩に出会いたい、スポークンワードのような自由で楽しい詩を感じたい、という思いで、川江が準備に奔走し、1999年12月12日に江戸東京博物館で開催と決まった。そして、その年の8月の歴程のセミナーに参加した私は、伊武トーマ、和合亮一、長沢忍、野村喜和夫ら、自分と近い感覚を持つと思う詩人たち(私が勝手にそう思い込んでいるだけ?)に、東京ポエケットの宣伝チラシを配った。自分の感覚では、「こういう企画を待ってました!」と歓迎されるはずと思っていたが、もらった側の反応は、「???」だった。アヴァンギャルドは世間よりも前を走るので、すぐに受け入れてもらえないのが宿命か、と感じた。
2001年からは死紺亭柳竹が運営メンバーに加わり、短歌・俳句・詩・小説・エッセイ・声などジャンルに囚われずに何でもアリで、「詩を遊ぶ」というスタンスで開催してきた。リーディングゲストも、サウンドポエトリー音楽家として世界で活躍する足立智美、2014年横浜トリエンナーレの公式アーティストである釜ヶ崎芸術大学主催者の上田假奈代、ライブアーティストとして活躍するchoriら、多様なアーティストたちに出演してもらった。和合亮一夫妻や、杉本真維子、萩原健次郎、歌人の伊津野重美、歌人の魚村晋太郎、桑原滝弥、平田俊子、川口晴美、野村喜和夫、北爪満喜、柴田千晶、新井高子、広瀬大志、TOLTA、橘上、カニエ・ナハ、暁方ミセイ、文月悠光、えこし会、石渡紀美、三木悠莉、ジュテーム北村、大島健夫、服部剛、URAOCB、川島むー、腐乱ちゃんと恨乱ちゃん、黒川武彦など、リーディングは多様で充実していた。これがきっかけで次のライブ出演や同人誌への参加など、つながりが増えていった。
【ポエケット開催20年】
開催を継続する中で、トラブルは少しだけ発生した。少数の自己中心的な人による迷惑行為が発生したり、参加者の意見の行き違いが後日までお互いの心を痛めることになったり、コミュニケーション不足によって誤解が生じたりしたが、この20年間では、出会って話した喜びと感謝が断然大きい。より多く販売したいとか、時間や規模を大きくしてほしいとか、全国規模で展開してほしいなどの期待もよせられたが、川江と私はあくまで自分たちの手が届く範囲の「東京」ポエケットであると説明してきた。東京以外では、寺西幹仁らの「詩マケ(詩マーケット)」、平居謙らの「ぽえざる(ぽえむ・ばざーる)」や、夏野雨らの「福岡ぽえいち」、新井隆人らの「前橋ポエトリーフェスティバル」など交流イベントもあり、販売目的では文学フリマも全国展開してきたし、インターネット上の活動を補完するようなイベントは、今後も継続するだろう。2020年からコロナ禍によって対面での交流がむずかしい2年半を過ごし、画面越しではない直接のコミュニケーションの重要さは再認識されているはずだ。ポエケットも、ネット上だけで意見を交換している人たちが初めて顔を合わせる場になったり、オフ会的な位置づけとしている同人誌もある。
この20年間に、中学生だった参加者がママになり詩人として活躍するようになり、結婚したカップルが子どもを連れてポエケットに来てくれるようになり、別れたカップルもあり、東京から地方赴任を経てまた東京に戻ってきたサラリーマン詩人がいたり、などなど。詩人たちの子どもがブースの留守番をしている風景には、ちょっと歴史を感じる。また、ある有名作詞家が来場してたくさんの同人誌を購入してくれたことや、ある美術家が立ち寄ってくれて連詩に言葉を残してくれたことも、印象的な思い出だ。また、渡辺玄英、浦歌無子、及川俊哉ら、地方在住の詩人たちを紹介できたことも成果のひとつだと思う。
こちらは意識していないが、出展者の世代がタイミングよく更新しているようだ。第1回から連続出展してくれた先輩詩人は今では詩を書かなくなっていたり、仲間たちの詩集を出版してくれていた詩人もサヨナラしていったり、去る人もいる。その一方で、毎年新たに興味を持ってくれる人も多いし、私の友人・知人である詩人の教え子が新たに出展するなどもある。ポエケットと参加者の背景には、インターネットの拡大とアナログの良さとの両方があるのだろう。
2020年と2021年はコロナ禍で開催できなかった東京ポエケットだが、2022年も会場である江戸東京博物館が長期工事のため使用できないという悪条件が重なってしまった。6月中旬現在、まだ他の会場を確保できず、困っている次第。なんとか開催したいものだ。なお、リスペクトを持って文中の敬称は省略したのでご了承いただきたい。
関連資料:『詩と思想』土曜美術社、2015年3月号(ヤリタ執筆)、2016年11月号(ヤリタインタビュー)、2020年12月号(川江執筆)