「叙事詩「海の時代へと」(連載第三回)」奥主榮
PART 3 ユタカとトシキ
一 ユタカとトシキ(1)
トシキと出会う以前の
ユタカの物語
落下傘の雨が降り注ぐ街で
自分の心を殺したユタカが体を売る
ただその日をやり過ごすために
人形のような自分を相手にゆだねる
生きていることに価値があるのか
ユタカにはどうでも良い
ただ一日を 意味もなく生き延びる
泊まる場所もなく一週間街を歩いたことがあった
汗と垢だらけになった体を 貪るように抱いた男がいた
「好い匂いだ」と口にしながら
翌朝には金もくれずに部屋を追い出された
「飯を喰わしただろう」
「お前も楽しんだんだろう」
怒鳴り散らす男に言い返すすべを
ユタカは持たなかった
そんな時期にユタカを
一番長く部屋に居させてくれたのは
有名な医大の学生だった
二週の間 ユタカの身の上話を聞き
その不幸に同情することがオカズだったらしく
涙を流しながら ユタカのからだを楽しみまくった
そうして 唐突に「親が明日上京してくるから」と
ユタカを部屋から追い出した
暖かい思いやりのこもった
「ごめんね」という一言と一緒に
二〇一八年 八月 十一日
二 ユタカとトシキ(2)
街に蒲公英の綿毛が舞い散り
青白い水が誰の心にも満たされていく夜
トシキは道端にうずくまるユタカを見かけた
この世界の汚物のようになりながら
それでも 目の前のすべてを睨み据えることを
捨てようとしない 一匹の鼠
そんな眼差しをもった一人の人間に
どうして自分が惹かれたのだか
伝える術をトシキは持たなかった
繁華街の路上の吐瀉物
善良な市民たちが
優雅な立ち居振る舞いで置き去りにする
ペットの糞便
ユタカの姿は そんなもんに似ていた
誰もが一瞬の間だけ目に止め
次の瞬間には無かったものとして
忘れ去ろうとするような存在
けれどトシキは連れて帰った
ユタカをその夜の宿へ
住民票やら何やら もう怪しいトシキ
稼げるだけ稼いでその金で確保した場所
身分の怪しい あるいは未成年の彼ら
行政は正義の名の下にそんな彼らを追い詰める
シティ・ホテルとビジネス・ホテルの中間を狙う
そんな宿泊業 もう時代遅れになったから
一人でも多くの客を泊めたいそんな場所で
トシキはユタカに風呂に入るように言った
自分でも厭だろうという 惨めな姿でいる女の子が
たまらなく辛かった でも
優しくふるまうことができない
「汚ねぇなぁ 抱く気にもなれねぇよ 風呂 入れよ」としか
口に出せなかった
たかがそんな言葉で傷つくのなら
いくらでも傷つけ と思った
自分でも気がついていなかったが
トシキはユタカに本気になっていた
けれど そんな気持ちになっていることを
どう口にしたら良いのかわからなかった
翌日からは「稼ぎ」次第
カラオケ屋のオールから
公共施設の公衆便所まで
寝られる場所はくるくる変わったが
ユタカもトシキもそれを辛いというような
そんな二人ではなかった けれど
ときおりトシキが言い出す
俺の大切な仲間とも 楽しいことをしろよ と
それがユタカの苦痛と分かっているようなのに
トシキは言い出す
仲間を信じていないトシキは
そんな形で世界とつながろうとして
自分を追い詰めていく
二〇一八年 八月 十二日
三 分かり合えないこと
分かり合えないこと
分かち合えない糧
トシキは 何も語ろうとしないユタカにいらだつ
語ることができないことを分からない
語ることで失ってしまったもの
語らずにいて失ってしまったもの
ユタカに名前をくれた人 そんな
遠い昔の誰かを トシキは知らない
言葉を失ったユタカを
ただ、無様な存在なのだと片付けようとする
同じ痛みを感じていたらと思いながら
そこから一歩を踏み出せない そんな
臆病さは 彼の責任ではない
トシキは ユタカに何をしたら良いのか
全く理解できていない ただ求める
その場限りの思いつきをもとめる
「お前 これしろよ」
「お前 これやれよ」
それだけがトシキのコミュニケーションでしかない
ユタカは相変わらず廃棄物のままであり
トシキは自分自身をもてあましている
出会わなければ良かったかもしれない
ユタカとトシキ
それでも、二人のくらしは 少しばかり
満足なものになっていった
二〇一八年 八月 十二日
二〇二〇年 五月 三日修正
四 ふたり
狭い部屋の中で ふたりは
まるで沼の底に沈んだ獣のよう
這い上がろうとして
お互いを傷つけ合う
ふたりはときに罵り合う
相手をまるで自分が生きるのに
邪魔なもののように否定する
ひどく相手に対して腹を立てる
相手を傷つけることができず
自分たちの部屋にあるものを叩き壊す
捨て台詞を残して部屋を飛び出す
そうして 相手が悲しむことを外でくり返す
傍から見れば滑稽なだけだ
しょうもない諍いを繰り返し
時には同じ泊り場所を利用する連中が
イチャモンを付けて来たりする
誰とも争いのタネは絶えない
諍いのタネが溢れ出していく
窓という窓から溢れ出していく
青白い水が満ち溢れる
狭い路地を流れていく
その流れはまだ行き場所を見つけられない
ゆらゆらと水面が膨れ上がり 流れていく
二〇一八年 八月 十九日
五 いきること
いきることの意味が もう見いだせない
わかり合えるから ふたりでいきていることが
とても価値があると思えた けれど
それは何だったのだろう そこに何があったのかと
いきることの意味が もう見いだせない
何のために自分が生まれて その意味の
価値を探してきた けれど
それは何だったのだろう そこに何があったのかと
いや、その意味が見いだせなかったのは
生まれてきた瞬間から 誰からも必要とされず
まるで邪魔物のように扱われてきて だから
何かを大切にする術など知らず 何かを大切に
したいと思ったとしても どうしたら良いのかと
ユタカとトシキ 出会わなければ良かった二人
ユタカとトシキ 出会うほかはなかった二人
あるいは、分かり合っていたからこそ けして
出会うことで幸福にはなれなかった二人
そんな二人がただ 世界に
ケダモノのように爪をたてる
そんな二人がただ 世界に
自分たちの居場所を求める
安心できる場所など
どこにもない
そうして傷つけあう
そうして滅ぼし合う
出会うことがなかったほうが
そんな二人が それでも半島の先へと
ひたむきに走り続けようとする
二〇二〇年 五月 五日
六 きず
ユタカに体を売らせることで
トシキは傷ついている けれど
そのことに気がついていない
ただ いら立ち 自分がさせた行為で
トシキを痛めつける まるで
善良な審判者のように
トシキは気づいていない 自分が
彼自身を追い詰めたあらゆる悪徳
例えば一見善良そうな 近所の連中のようになって
そう成り果てていることに
それは ある意味 トシキの願望
自分は誤っていない そんな立場にいるのだと
自分を誤らせているのは 生活を共にしている
ユタカ だ と トシキはいつか
そう思おうとしている そう信じこむことで
自分を救おうとしている
救済という概念の愚劣さが
倫理的な思考停止がトシキを支配する
その強迫観念に従わないものは悪だ
誤りそのものであるユタカが
自分に災いをもたらしている
そうした意識の中で
トシキはユタカに決断を迫る
お前の存在そのものが悪であったと
断罪されるべきものであったと
二〇二〇年 五月 五日
七 やさしさ
あるとき一人の
同じようなくらしをしている女が
ユタカに尋ねた
どうしてトシキみたいなヤツと
別れてしまわないのか、と
やさしいから とユタカは答えた
相手の女は呆れたような顔をして
それから諦めたようなため息をついた
ユタカは自分でも不思議だった
トシキにやさしくされたことなどなかった
どうしてやさしいと思ったのであろうか
夥しい綿毛が ユタカの心の中を舞い乱れる
青白い水に満たされた世界で
心の中の綿毛は水を吸い込むこともない
ただ 激しく舞い乱れる
滅菌された青白い水 その放つ
強い消毒作用のにおい 鼻につく
けれど、誰もそこに異議を唱えたりしない
美しいものを好む心に
追いたてられて鼠は不穏な心を震わせ
鼠狩りの始まる世の中で ユタカは
どうして自分はトシキと別れないのかと
どうしてやさしいと思ったのかと
そんなことを考え始める
二〇二〇年 五月 五日
八 にんげん
街に 夥しい数の
ユタカとトシキが現れる
裏道を駆けまわる鼠の群が
にんげんになろうとしている
にんげんとは何かを
考えようとしている
街に落下傘の雨が降りしきる
舞い落ちる落下傘は地表からの熱に
炎を出して燃え上がり始める
街を蒲公英の綿毛が覆い尽くしていく
ユタカは考え始める
どうして自分はトシキを
誰よりもやさしいと思うのか と
トシキは考え始める
どうして自分はユタカに
ひどいことばかりするのかと
街に夥しい数の
人間 のようなものが現れる
そいつらは我が物顔に
誰かを謗り 踏みにじり 弾劾する
鼠のいない街にしか住みたくないと
口々に金切り声をあげる
人間のようなものは もう
自分がにんげんであると
そう 思いこんでいるから
にんげんとは何であるかなどと
考えることはけしてない
青白い水が街にあふれ始める
殺戮が始まろうとしている
二〇二〇年 五月 六日
九 殺戮(3)
誰が言い出したのかは
まったく分からない ただ
善良な人間たちの口から口へと
噂が伝えられる 噂が語られる
鼠が街に住みついた
得体の知れないものは
目障りだ 理解できない
棲家を奪わなければ
安心して生きていけない
鼠が街にいる 何を考えているのか
知ることもできない 見るのも厭だ
鼠の棲家を失くさなければならない
鼠を殺す薬を撒かなければならない
鼠たちを追いたて 街から追い出さねば
そうでなければ 人間の生活が脅かされる
青白い水が家々から溢れ出し
鼠たちの殺戮が善良な意志の下に
始まろうとしている
にんげんになろうとしている鼠が
殺戮されていこうとしている
二〇二〇年 五月 六日
十 鼠狩り
街に暖かい風が吹きはじめる頃に
鼠狩りが始まった 誰からともなく
鼠を狩れ 根絶やしにしろと
口にし始めた あいつらが厄災を
もたらすのだと そう声をそろえ
何も知らぬ、善良さという悪意で
鼠狩りを求め始めた けして
自分の手は汚さない 誰かの
手を血に染めるような そんな
鼠狩りを 幸福な毎日を守るためにと
所望した まるで王侯貴族のように
為政者でも権力者でもない
自分は人間であると勘違いした
暴徒の群に 衆愚の群に
一人ひとりが名前を持った存在を
街の人々は「鼠」とひとくくりに呼んだ
良識ある人々は一人ひとりの顔を
見分けようとはしなかった
鼠は狩られるべきだと 誰かに
求め始めた 求められたものは
その期待に応えなければと
そう思った
街から 鼠の居場所が奪われていく
街から 鼠が一掃されようとしている
名前を奪われたままの一人ひとりが
にんげんになろうとしていた一人ひとりが
名前を奪われたまま ただ狩られていく
誰も面白半分とは思っていない
名目はまっとうそうに見えるものだ
生活、安心、秩序、平穏、健康、家族
けれど、そこにあるのは正義を根拠にした斥力
なじめない誰かを排除しようとしていく
暖かい風の中ではぐくまれる思いが
殺戮を求める 世論を形成し始める
二〇二〇年 五月 七日
十一 半島へと
鼠狩りの最中
街に落下傘の雨が降り始める
蒲公英の綿毛も降り注ぐ
季節は 新緑が色を深めていく頃
すべてが 束の間の色合い
保護という名目の下に
ユタカとトシキは狩りだされる
それぞれが違う居場所へと
分割されていく 区分けされていく
にんげんになろうとした鼠が
その意志を否定されていく
魂の虐殺 精神の安楽死
にんげんであろうとする心が
土足で踏みにじられていく
希望を奪われていく
半島へと、風が吹き荒れ始める
行き止まりの半島しか行き場が
蒲公英の綿毛が 季節を裏切り始める
降りしきる落下傘が 風向きを裏切り始める
始まってしまった鼠狩りを前に
そこにそぐえなかったものどもが
あらがおうとする にんげんに
なろうとし始める 二本の足で立ち
けれど その意志は、秩序の前には無力で
ただ記号を付けられ、それを名前とされ
区分されていく 虐殺が行われる
名前を奪われたモノが、もう一度
名前を奪われようとしている そして
抵抗しようとしている
ユタカとトシキは、一緒にいようとする
けれど、「制度」の前でそれは許されない
逃走を始め そして狩りたてられる
ユタカは、トシキと一緒であることを
許されない
トシキは、ユタカと一緒であることを
許されない
その瞬間に ユタカはようやくさとる
トシキがやさしいと思えたのは
どれだけひどいことをしようと
ユタカのことを、一人の
一人のにんげんとして見てくれていたからだと
ユタカとは手の届かない
そんな場所に追いやられる理由を聞かせられながら
トシキはさとる どうしてユタカにひどいことを
自分でもしたくないことをしてきたのかを さとる
ユタカだけは ただ一人 この世界で
自分を 一人のにんげんとして受け止めてくれたからだと
にんげんになろうとした鼠を
人間と称する連中は否定した
にんげんになろうとした鼠たちは
けして人間にはなるまいと決意した
鼠の群は、にんげんになろうと思った
ここからは、ユタカとトシキの物語ではない
無数の鼠たちの物語が始まる
名前を奪われたまま、それでも
自分が にんげんであろうとしている
そんな鼠たちの物語が始まる
そうして、ここからはまた
新しい別の物語が始まっていく
夥しいユタカとトシキが織りなす
夥しい鼠たちの物語へと
ユタカとトシキ 出会うことがなければ
にんげんになる夢を見ることもなかったふたり
だから 出会わなければ良かったのか
本当に そうであったのか
二〇二〇年 五月 八日
PART 3 ユタカとトシキ 完結