「周辺シ 7」クヮン・アイ・ユウ
久々に擦り傷を作った。これを書いている今、ようやく傷口の一部に薄い膜が張って来た。そのすぐ下では今も水分を含んでいるのが感じられる。痛みがある。昨夜にはまだ表面の全てがジュクジュクとしていたのに、人間の身体はすごいなと思う。子どもの頃にはこんな風に一つ一つの傷とじっくり向き合うことはなくて、次から次に新しい傷を作っていた。だから、いつ膜が張ったのかなんてことは、ただの一つだって覚えていない。
四日前の朝、一緒に走り出したものと思い振り向いたら走っていたのは私だけで、飼い犬のソフトは公園灯のにおいの確認に夢中だった。瞬間これはマズイと思って、持っていた伸縮リードを握る力を緩めた。するとバランスを崩して左肘から地面に着地、そのまま左膝、右膝と順に強打することとなった。ソフトは驚いたまましかし逃げずに、その場でこちらの状況を見つめてくれていた。彼はどうか。怪我はなさそうだ。ああ良かった。本当に良かった。俺は馬鹿だ。左肘の傷が比較的深く、傷口が乾燥し切るまでにはもう少し時間が要りそうだ。痛みはまぁ大したことはないのだが、通常通りにパソコンを使っていると、絆創膏を貼っていても机を血で汚してしまう。いつもよりパソコンを手前に寄せて、机に肘を付けないように作業している。
実は今回、怪我をしてすぐに思っていたことがある。ああこれ小学生だった頃によく感じていた痛みだということ。そして痛みの中にはいつの間にか忘れてしまう痛みもあるんだなということ。こんなに懐かしい痛みなのに、あんなに何度も感じた痛みなのに、俺は、すっかり忘れてしまっていた。
シャワーを浴びている時に脳内なのか心内なのか定かではないが、そこに溜まった何かがドロリと流れ出る感覚があり、突然書き表したいと強く望むものを見つける。手放してはいけない。一刻も早く風呂場を出て、メモをしなければ。これはその時の話。
膜ということで思い出すことがある。心の傷にも薄い膜があるのだなと感じたこと。今日は一日休みだったのだが、予定していたよりも家事等やらなければならないことにうまく心身が働かず、夕方から急いで動き出すこととなった。「(夕食に)野菜が少なくてごめん。」、「夕飯(を食べるのが)遅くなってごめん。」、「本当は○時には○○をするはずだったのだけれど。」等と、出来なかった理由を家族に述べては謝罪ばかりしていた。実は今日は母から連絡があり、俺はそれに返事をしたりしなかったりした。(メールなので少し変な話だが)俺は笑顔で話す自分の姿を良いとは思っていない。だから時間が経つと苛立ちを覚えてしまう。どうしようもなく何もかもが嫌になってしまう。言い訳をして謝るのは、こういう時には本当はこれくらいしておくものだという強固な思い込みのようなものが働いたからだと思う。顔色をうかがって、先回りして、何か適切なことをしなければならないというコントロールし切れないものを、俺は今も抱えている。その時、ああこの薄い膜の下にはまだ水分を含んだものがあるのだということを知らされる。悲しみと共に。
ニュースで子どもが死んだと聞く。まだ確かではないが、虐待の連鎖かも知れないという一説に触れた。詩友が前に言っていた。「虐待を受けた者が虐待をしないことは、運命を変えることだ」と。確かそんな趣旨だったと思う。俺は、運命を変えられたのだろうか。わからない。ただ、生ある限り人生は続く。俺は、相変わらず「行けるところまで行く」の精神で、今を生きていくことに努めてゆきたいと思う。
大学を卒業してから十二年以上の歳月が経過した。三七歳、人生の陰。仮に清廉潔白な者だけが石を投げられるとして、私がこの数々の生き恥に全て決着をつけられたとして、その手で何をすべきなのか、またすべきでないのか。そのことだけは少しわかったように思う。
今、私には幾つかの借金がある。その大半は学費なのだが、最近、Aのお金についてはようやく返済の目処が立った。実はこの地点に来るまでは、考えることすらとても出来なかったBという借金の存在があり、これは私の人生の陰として残り続けている。目を背けるほどに夢でうなされ、目覚めても心を重くする。陽の光を受けて胸を張る人々の存在が眩しく、自分はなんてくだらない、情けない恥ずかしい生き物なのだろうと思う。
どうしようもないことから逃げ続けた私に幸運があるとすれば、どうあれ、まだ現状をゆるして待っていてくれる人の存在があることだと思う。会いに行かなければならない人に会いに行き、きちんと責任を果たしたいと思う。私がもしこの先も生きて行くのなら、私が今取り組んでいる表現活動以外に、何かまだ新しいことを始めようとするのなら、先にやらなければならないことがあると思う。私には今表現活動でやってみたい夢があるので、それに取り組む為にも人生の陰に触れてゆきたいと思う。それすらしない私が、一体この先でどんな言葉を紡ぐというのか、そんな風に冷めた瞳を知っている。誰に知られずとも誰に非難されずとも、私にだけはわかるその陰の存在、私はそこから逃げてはならないとわかっていたのに、今日まで逃げて来た。私は運命を変えたい。こうして言葉に頼らなければ何一つ出来ない弱さを認めて、いつか「人様の震えながら出す一歩が好きだ」と語った自らの言葉を今度は自身に向けて、やるべきことをやって行きたい。
私が次に新しいことに取り組む時に、少しでも誰かに応援してもらえるよう、精進します。