「晴天の詩学7ー「現代詩とは何かー答える」シーズン2 圧倒的な安楽」平居謙
これは詩以外のものも並行して書いている人にならすぐにピンとくることだろう。そして思うのだが、詩以外のもの―書類とか、説明書とか、案内文とか批評とか―を決して書かない人というのもむしろあまりいない。すると必然、多くの人にとってよく分かる話ということになる。詩と詩以外の文章を書くこととの安楽さというのはどうしてこうも、圧倒的に違うんだろう!
2
論文の類の面白さは、自分自身のアイデアで以て構想をねり、構成を組み立ててゆくところにある。適切な題材を集めどこでどう、それを証拠として提出するかを探偵のように謀り裁判長のように冷徹に不要なものを切り落としてゆく。論文を書いてゆくことはアイデア自慢のようなところがある。えへん、どうだこの切り口。これをこういう風に論じた人は誰もいないはずだ。そんな自信たっぷりの行動は、まあたとえていれば、生きる力を手に入れるようなもんだ。論文を書くことはごつごつとした行為だ。
3
書類を書くことはできればしたくない。それは生の必要最小限のところから自分を引っ張り上げてゼロに近づけるというだけの行為で、しかもたちの悪いことに、それをちゃんと立派に仕上げなければ生きてゆくことさえできないのだ。にもかかわらず、立派な書類だと誰かが表彰されたということを僕は知らないし、そもそも書いて当たり前という悲しさだ。もう一度いうが、書類を書くこと言うことは、人としてちゃんとやらなければならないものだが、やったからと言って何も生み出すことのない徒労としての悲しい行為に過ぎない。
4
ところが詩は違う。詩は特別なんだ。詩を書いていると、空が晴れ渡ってくる。だんだんと山に近い、端っこのほうが金色のオレンジみたいな太陽として親しくなってきて、薄青色だと思ってた〈空〉というものの色が全く違うんだということがすぐに分かり始める。たとえ雨の日であっても、心が晴れ始めるのだ。晴天の詩学だ!
5
大学を卒業したての頃。まだ週に2回だけ仕事に行ってあとは詩を作る。そんな生活をしていたころがあった。けん命に推敲し、いいやこうじゃない、こっちの連を削らねば。これとこれとを合体させれば?!そして思ったさ。こういうことが一生できたらな!
6
おれは今、その時と同じことをやっている。もちろん、職業上の詩人ではないから、詩では食ってゆけない。書類を書いたり、説明文を作ったり、論文で裁判長の気分を味わったりする。けれどもいったん詩に向かうや、安楽の時間が始まってゆく。それはえもいわれぬ不思議な時間で、それを作ってる時が眠っている時のように、夢に包まれている。今この文章を書いていても、早く詩を作りたいと気持ちばかりが焦っている。
7
本稿の毎回の主題はー詩とは何か?答える!ということである。いつも遠回しにはなるが、そういう気分によって作り上げられるものをわれわれは詩と呼ぶのだということは改めて確認しておかねばならないことの第一である。