「月」究極Q太郎

2021年11月04日

秋津駅。
商店街へ続く道の上、西の空に
マンホールの蓋が、わずかにずれたという三日月。
鎌形のほそい光の隙間が
レモン果汁のようにほとびて耀き、
稍(やや)という微妙に
膨らんでいる。
それを仰いだとき、かすかな針が振れる。
日頃、こわばった
粘土のような水面は、
騒ぐことのない、静かな境地というよりも
ただの無感動であるが、
そのとき細波が、軋みのように
かすかに走る。
重畳たるデジャヴに揉まれ、ひたすら鞣(なめ)され
すみずみまでのべ広がった
その平衡を「死ぬ」と呼ぶのであるが、
そのために働くエージェントは、
けっして悪気はないのだろう。
そうしてとうとうふれあいもせで
逝ってしまうことのなんという容易さか。
今生の中で、袖すりあうも
理解はしなかった、ということは
永久にそうだということだ。
「東京市民よ! 市民諸君よ!」
二階の窓から通行人に向かって
大演説する女がいる。
それは仰いだひとにいたずらな熱狂とだけ
覚えられ、呆れられ、忘れさられるだろう。
彼女が丹精をこめた切り絵が
額縁に飾られる。
それを見て讃えるひとらは
彼女がありありとそんなふうにいたら
背いて見ないふりをしなかったか。
それを世迷言と聞いて
痛切なメッセージと受け止めなかったのではないか。
彼女の誤解がとかれる日が
訪れる見込みはない。

か細く絞られた、三日月の光、その滴が
カラカラに嗄れた、ふり仰ぐ人の 
咽喉に落ちる。