「未分の季節」我妻許史

2022年06月15日

  小学校の三年か四年かそのあたり、年齢でいうと八歳か九歳かそのあたり、俺たちの世界に男女の境界はなかった。いや、あったんだろうけど、俺の中には存在しなかった。俺は子どもで、自分は「子どもたち」というカテゴリーに所属していると思っていた。
  そんな認識だったから、俺はなんとかくんに対しても、なんとか子さんに対しても同じようなスタンスで接していた。
  サッカーでは男女関係なく身体ごとぶつかっていったし、身体に触れるのも、触れられるのも、それに対して何も思うことはなく暗くなるまで泥だらけになって遊んでいた。

  ある体育の授業で、男子は校庭に出て自習ということになった。女子は教室に残って別な授業を受けるらしい。俺たちは「なんか変だぞ」という空気を感じたものの、校庭を自由に使える魅力に圧倒されて、女子たちのことはすっかり忘れ、夢中になってボールを蹴った。

  教室に戻ると、なんとなく普通と違った空気を感じた。女子たちが俺たちに向ける視線がどこかおかしい。隣の席の優子(仮名)も普段と様子が違う。やけにおとなしいというか、そわそわしている。いつもなら「よう」と言って肩を組んだり、タックルをしたりするような間柄の優子が俺に絡んでこない。それどころか目すら合わせようとしない。
 教室を見渡すと、優子だけじゃなく、女子たち全員がどことなく「普通じゃない」気配を纏っていた。彼女たちが話す言葉は普通だったけれど、空気中に「普通にしなくちゃ」という思念が舞っているように感じた。
 普段は無神経な俺でも「これは何かあった」と感じてしまい、優子に対して軽口が叩けない。
     今なら、あのとき女子たちの視線が捉えていたのが「男」という性だったということはわかるんだけど、そのときの俺はまだ「子どもたち」に属していたから、状況を把握することができなかった。
  俺が「性」について考えるときに真っ先に浮かぶのがこの日の教室の光景で、俺が「男」になったのは多分この瞬間だった。それは女子たちの視線によって唐突に起こった。
  その日を境にして俺は優子にタックルしたり、されたりすることもなくなり、声変わり、成長痛を経て、唇の上あたりに産毛が生え出した頃には女子と男子は別なものという認識が定着していった。
  気づくと俺は完全に「子どもたち」というカテゴリーから押し出されて「男」というなんとも退屈なカテゴリーに移行していた。

  今は「男」が内包する「おっさん」になってだらしなく酒を飲みたいとも思うし、「ガキ」になって無責任なことをしてみたいとも思う。「少年」の目でもう一度見てみたい風景もある。苦悩する「青年」に憧れることもある。でも一番の願いは未分類の「子どもたち」が顕れて、陽が暮れるまで遊ぶこと。未成育のリンゴをもぎ取って遠くまで放り投げること。







我妻許史