「秋月祐一とけんごの短歌ワークショップ〜はじめての短歌〜 第四回」秋月祐一
けんごさん、こんにちは。秋月祐一です。
【原作】覗き穴の向こうの雨粒を
扉を開けて見ることもなく
↓
【推敲案】覗き穴の向こうの雨粒感じてる扉を開けて見ることもなく
という推敲案を気に入っていただけて、うれしく思います。
両者の比較のなかで、けんごさんがお書きの、
>「感じてる」が入った事で
>感じてる人が歌の中に登場した!
という気づきがすばらしいです。
岡井隆さんという現代短歌を代表する歌人が、
こんなことを言っています。
短歌における<私性>というのは、
作品の背後に一人の人の――
そう、ただ一人だけの人の顔が見えるということです。
(岡井隆『現代短歌入門』)
「私性」は「しせい」とか「わたくしせい」と読む短歌の専門用語ですが、
要は、一首の背後にたったひとりの顔が見えるものが短歌である、
と岡井さんは定義したわけです。
そのことに、けんごさんはたった一首を書いただけで気づいておられる。
じつにするどいと思います。
もう一点の、けんごさんの気づき、
>推敲された方は時間と場面が切り取られていて
>その時の感じを聞かされている
>って感じが
>その時を見ているに変わったと思いました。
というのも、短歌の重要なポイントです。
短歌という三十一文字の短い詩型は、
一瞬の情景や感情を切りとるのが得意なのです。
上記のことをふまえた上で、
けんごさんの投稿作品を見ていきましょう。
【原作】色鉛筆はじめて使ったその時に世界が全部描けると思った
子どもの頃、はじめて色鉛筆を使ったときの感動を、
素直に表現できている歌だと思います。
*
いきなり推敲に入る前に、色鉛筆を題材にした短歌を見てみましょうか。
【例歌1】
草わかば色鉛筆の赤き粉のちるがいとしく寝て削るなり
(北原白秋『桐の花』)
草のみどりと、色鉛筆の赤の、色の対比があざやかですね。
【例歌2】
白黒写真で色えんぴつを撮つてみる赤はなぜだか赤だとわかる
(秋月祐一『この巻尺ぜんぶ伸ばしてみようよと深夜の路上に連れてかれてく』)
ルビ 白黒写真=モノクロ
こちらは、ぼくの歌ですが、
白黒写真を撮るというトリッキーな手法でもって、
逆に赤鉛筆を印象づけようとしています。
*
さて、あらためて、けんごさんの作品です。
【原作】色鉛筆はじめて使ったその時に世界が全部描けると思った
>作品の中の時間が長いので
>もっとその瞬間を切り取りたい!
とのリクエストをいただいてるので、
そのご意向に沿って、推敲していきましょう。
「作品の中の時間が長い」というのは、
「その時に」や「思った」などの語がそう感じさせるかもしれません。これを削って、
【推敲過程1】色鉛筆はじめて使った(5音)世界が全部描けると(3音)
「色鉛筆」は「の」を補って、
「色鉛筆の」とした方がつながりがよくなります。
【推敲過程2】色鉛筆のはじめて使った(5音)世界が全部描けると(3音)
最後の3音を前に持ってきて「これで世界が全部描けると」
【推敲過程3】色鉛筆のはじめて使った(5音)これで世界が全部描けると
真ん中の5音のところに「色たちよ」と入れてみます。
【推敲過程4】色鉛筆のはじめて使った色たちよこれで世界が全部描けると
「はじめて使った」は7音であるべきところが8音になっているので、
ちょっともたついた感じがしませんか?
【推敲過程5】色鉛筆のはじめて使う色たちよこれで世界が全部描けると
ここで原作と改作案を比較してみましょう。
【原 作】色鉛筆はじめて使ったその時に世界が全部描けると思った
【改作案1】色鉛筆のはじめて使う色たちよこれで世界が全部描けると
歌の滞空時間はだいぶ短くなったのではないでしょうか。
*
これで完成としてもよいのですが、
「色たちよ」という言葉が具体性に欠けるきらいがあります。
そこで、たとえば、色鉛筆の具体的な色の名を入れてみる手もあります。
ここまで改作してしまうと、推敲の域を超えてしまうので、参考例といたしますが、
【参考例】色鉛筆の緑はなぜかビリジアンこれで地球を描いてみようか
けんごさん、いかがでしょうか?