「絶望していろ、バーカ 感想」エキノコックス
2023年06月21日
モリマサ公氏の詩集『絶望していろ、バーカ』は頼もしい存在だ。そして優しい。中でも詩集の題になっている「絶望していろ、バーカ」という作品は優しい。
「必要以上に絶望すること」によってねつ造されていく「傷」の存在。とっても安全な痛み。
「絶望していろ、バーカ」
思春期は必要以上に傷ついてしまうものだ。そこへ「絶望していろ、バーカ」と言い放つ。これは決してバカにしている訳ではなく、そうやって絶望してろ(絶望しててもいいんだよ)というニュアンスだろう。絶望している時に「絶望しないで」と言われるより「絶望しててもいいんだよ」と言われる方がよっぽど救われる。
「レター」は
今泣いとける奴らは泣いておけ。
今泣いといても許される奴らは泣け。
いくらでもさいごまでちゃんと泣け。
こう言い切ってくれる。
どんな人のなかにも「辛い自分」がいる。そんな「辛い自分」の存在を認めてくれる。
「わたしたちはそれをスポークンワーズと呼びます」
きみという名のタイムラインとか過去のブログに刻まれまくりながら
-中略-
わたしたちに名前なんかなかった!
それをスポークンワーズと呼びます!
わたしたちに名前なんかなかった!
それをスポークンワーズと呼びます!
何者でもない自分という存在を認めてくれる言葉たちだ。高校生の時にこの詩集を知りたかった。
これらの詩群はSNSへの投稿の延長線にあるような感覚を覚えた。10代と同じ目線に立ってくれる言葉たちだ。でも、この詩集はどんな世代にとってもかけがえのない存在になるはずだ。やりきれないことがあって「絶望」することがあるとこの詩集を読むといい。眠れない夜を越えるときの味方になってくれる言葉たちと、きっと出会える。