「英語で言うとね」 中川ヒロシ
「英語で言うとね」
水泳をするために入ったヤンキー校で、
中間試験が終わって、僕は456人中448番だった。
留年すると母に悪いので、市の図書館で勉強した。
席に座ると、「白くてナヨっとした奴」と
言われてそうな奴が、「黒いね。日焼けしてるね。
これ、英語で言うとね・・」と言って僕の隣に座った。
そいつは幸雄君といって、それから何回も図書館で会った。
いつも英語の勉強をしていた。
幸雄君は会うたびに僕の身体を見て何か言う。
今日も「中川君の胸板がいいわ。タイプじゃないけどね」
と言って、僕が何か言い返そうとすると、
「これ、英語で言うとね、英語で言うとね・・」
と僕に分からない英語を話した。
ある日、幸雄君が僕を「トイレに一緒に行こ」と誘った。
トイレで僕が隣に立つと、僕の胸に手を置き、
もう片方の手で僕のそこに軽く触れた。
僕が驚くと、幸雄君は耳元で「英語で言うとね・・」
と熱い息で囁いた。僕はそれをフランス語のように聴いた。
それから幸雄君は何度も僕をトイレの個室に誘うようになった。
B(ややC)のことをした。
その度に幸雄君は僕に100円くれて、
「あんたもしっかりやりなさい」と言った。
その100円が貯まって3000円になったので、
ローリングストーンズの新譜を買った。
『エモーショナル レスキュー』
今の自分にピッタリだ。
自分の部屋で10回聴いて、その後、母に聴かせた。
「俺の声がミックジャガーを上回る瞬間を聴いてくれ」
と言って母の前で歌った。母は哀しい顔で
「そういうことを言うようになったら、
人はだいたいおしまいやわ」と言った。
僕は「もっと良く聴いてくれ。これは大切な進路の話やぞ」
と言った。
幸雄君とはその後も図書館で密会を重ねたが、
僕のを触りながら、あからさまにため息をついたりして、
飽きてきたようだった。幸雄君が僕をタイプじゃない
のはわかっていたので「幸雄君はどんな子がタイプなん?
別に気にせんよ」と言った。
幸雄君は「白くてポチャっとしたイギリスの
男の子みたいな子。誰か紹介して。わかるやろ、
こういうの、できる子」僕はそれなら幼馴染の
亀井君がいいと思った。僕は幸雄君に
亀井君を紹介して500円貰った。
翌週、図書館で幸雄君と亀井君と僕の3人でいた。
幸雄君は、亀井君がトイレで席を立つと
「タイプやわ。あの子」と言って、
亀井君の飲んでいたジュースのストローを
ポケットに大事そうにしまって、
自分も亀井君のいるトイレに入っていった。
それから10年が過ぎ、
僕はバンドマンとして渋谷のライブハウスにいた。
バンドブームは終盤にさしかかっていた。
とっくに自分のテンションは下がっている。
リハーサルの後、それを無理に上げるために、
僕は咳止めの錠剤を大量に流し込む。
食後1回3錠のそれを、今日は84錠飲んだ。
胃が重い。
でも本番前に何か食べとかなきゃ、と思って
ラーメン屋に入ってメニューを見た。
その時、あの幸雄君がTVで話していた。
「留学する目的は、日本の民話を英訳して、
イギリスの子供たちに伝えてあげることなんです。
可愛いですよ、子供たち」
「英語で言うとね」と言っていた幸雄君を
思い出しながら、「夢って叶うんだなぁ」と思った。
油まみれのTVは、次のニュースを流していた。
僕は咳止めでハイになった頭で、
「俺にはミックジャガーより優れたところがある」
ラーメンをすすりながら、そう念じてみた。
今、僕は幸雄君の家の近くで暮らしている。
お互い連絡は取らない。