「落日」ヒラノ

2023年09月05日
「うん」肯定の意味

「うん」否定の意味
「うん」意味の無い返事

俺の所属するバンド、「ビューティフルシット」
俺はボーカル
よくある音楽性の違いだとかとは違い、単純に人間関係の煩わしさが激しくなり過ぎ、バンドの崩壊秒読みだった
先輩だ、後輩だ、友人だ、地元の何とかが入り乱れて誰も収拾できなくなってしまっていた

そんな時に俺をスカウトしてくれたメジャーのバンド「グリル」
グリルはテレビの地上波の夜のスポーツ番組のイントロにも使われるほどの実力派バンドで、ツインボーカルにしたいという事で声をかけてくれた
バンドの人間関係で、こんな荒んだ精神状態の時にありがたい、ツインボーカルにも興味が有り加入を決めた
葛藤は無かった
そしてビューティフルシットの連中を嘲笑った
「お前らなんかにゃ誰も興味は無ぇ!」

グリルのメンバー構成はボーカル、ヤナセ君、ベースのタカシ君、そしてドラムのパセリ君とギターのハナシマ君

グリルというバンドは足立区の小学校から中学校の同級生で結成されていて、非常に密な連携のある俺が理想とするカッコいい連中だった
ホーミーってそういう事かと感激した

新潟辺りから東京に来て、ラインの交換に忙しいビューティフルシットの連中とは質が違う

俺はその日、ビューティフルシットのメンバー全員のフェイスブックとツイッターをブロックした

グリルの最初のミーティングで決まった俺が加入しての新曲は、今の政府批判と世界情勢
ミーティングの状況は、
「うん」
「うん」
「うん」
「うん」
ほぼはっきりとした会話は無かったが幼馴染みゆえの以心伝心なのか「うん」の連続の中、決まったタイトルは『落日』で宿題スタイルで各自作成作業を自宅に持ち帰えった
俺はといえばよく理解しないまま、「うん」としか言えなかった

歌詞を書き終え何度も確認し、ミスの無いように自宅で録音した仮り録りを聴きつつ、風呂にトイレに自転車で何度も歌った

そうして迎えた録音当日

まずはパセリ君のドラムの録音から
「うん、うん、うん、うん」
リズムを取る

そのパセリ君の録音の上に被せる形でベースのタカシ君が
「うん、うん、うん、うん」頭を振りながら音を重ねていく

さらにそれに被せる形でギターのハナシマ君が、録音していく

ほぼ一発録りだった、多少の変更点はあれどもミスは無かったと思うし、何より勢いが凄かった

そしてボーカルのヤナセ君
ブースに入りヘッドホンを着け3人が録音した物を聴きながら声をのせる

「うん、うん、うん、うん」
ヤナセ君は曲が始まってもずっと「うん、うん、うん、うん」しか言わない
「リハーサルなのかな?」そう思っていたら満足気な顔をしてヤナセ君は録音ブースから出て来た
「うん!」

「うん、じゃあ次はお前な!」

そう言われ俺は録音ブースに送り出された

書いてきた歌詞をありったけの力でマイクにぶつけた

物価高、政策批判、ウクライナ情勢、展開に追いつけず浮遊する俺ら自身

3回録り直したが満足出来る物が録れた

「じゃ、完成だね!配信日はいつにしよっか?」と、ヤナセ君

おい、ウソだろ?あんた「うん」しか録音してねーじゃねーか

あ!そういう事?俺がインディーズ出身だからヤナセ君にナメられたって事でしょ
ふざけるなよ、こんな仕打ちはやり過ぎだろ?俺が歌詞を書くまでの苦労、覚えるまでの時間、どうしてくれるんだよ?
完全にヤラれた、許せない!許せない!許せない!許せるわけがない!
あいつらナメけ過ぎてる!

帰宅してグリルのメンバー全員のフェイスブックとツイッターをブロックした



そうして俺は一人ぼっちになった

一人ぼっちになった



スケジュールなんか無いし、当然誰からもラインは来ない、正直にさみしい

さみしい?なんで?
あんなにバカされてもさみしい?
でも、俺の周りには誰もいない誰もいない、彼女とも仲直り出来ていない
マジで誰もいない

いない、誰も

待てよ?人と人が出逢った時にすでにさみしいの種が植えられてしまうとしたら?
俺は今、さみしいが9輪咲いている

もう、俺一人が抱えれる重さじゃない花束になっている
鉛の塊みたい、こんなの抱えきれない
「死にたい」とか言いそうになってる

いないんだよ、いない、誰も!
両腕とももげて、膝から落ちて、何もかもこぼしそうだ

そしてバンドのボーカルという肩書もメンバーあっての事で、メジャーデビュー出来るという事で舞い上がっていた自分があまりにも情けない
自分のアイデンティティは実は他者に支えられていたという事実と屈辱

どうしたらいいの?
これが鬱ってやつ?

深夜、膝を抱えて眺めるツイッター、友人のいない自称クリエイター

タイムラインに流れて来た事務所からの「グリル」の新曲配信情報

思わずクリックしてしまった、縁を切ったつもりだったのに
250円でダウンロードした
聴いてみたら音源はあの日の録音そのままだった

ヤナセ君のボーカルは「うん、うん」としか言っておらず、俺はと言えばひたすら吠えていた

こんなのってある?前衛的過ぎるだろ?タイトルを改めて確認した
『落日』だろ?

俺が精魂込めて練って吐いた言葉、歌った、タイトルは

『ううん』

ちょっと、なにそれ?





ヒラノ