「血を吐いて死んだ市議会議員候補・まどか光洋」青木龍一郎
部屋のチャイムが鳴る。
ドアを開けると痩せ細った男が
「ちょ待てよ(キムタク風に)」と書かれたプラカードを首からぶら下げて立っていた。
俺は、落ち着き払った表情でこう言い放った。
「こんにちは。」
口を大きく動かし、ゆっくりとハッキリと発音するとなんだか気持ちがいい。
挨拶とはそういうものだ。
ガリガリの男は少し微笑んでこう返した。
「はい、こんにちは。」
そこから1分ほどの沈黙が流れた。
俺たちは無言で見つめ合っていた。
「まどか光洋」と書かれた選挙カーがやってきた。
俺たちの目の前で止まると、ウィンドウがゆっくり開き、
40代後半くらいの男が俺たちを真剣な表情で見つめていた。
こいつが、まどか光洋(こうよう)だ。
光洋は、まるで怪談話をするかのような低いトーンでじっとりとこう言った。
「俺は確信している。マニフェストなんて何ひとつ無いのに、この選挙に勝つことを。
この街の住人たちが俺を求めている。そこに意味は無い」
その瞬間、後ろから錯乱したチンパンジーが運転した大型トラックが
猛スピードで走ってきて、選挙カーに追突した。
光洋は死んだ。血を吐いて。痙攣しながら。
飛び散った窓ガラスの破片が腕に刺さった通行人の女性が、それを自分で抜きながら
「なんでいつも変われないんだろう...。今日だけは絶対に変われると思ったのに...」
と言っていた。
この街の住人たちは、まどか光洋を求めていなかった。
そして少しだけ右目が歪んでいた。
この街の消防車はすべてダミーだった。
サイレンではなくホワイトノイズを鳴らし、同じ区画をグルグルと回っている。
まどか光洋は生前、一度だけ悪いことをした。
原宿駅前で爆笑しながら大声で話していたベトナム人観光客を鬱陶しく感じ
その中の1人である7歳の少年の腹を
「笑いすぎっしょ!」
と言いながら思いきり殴りつけたのだ。
少年は「ぐっが」と声を出しながらアスファルトに倒れ込んだ。
(「Good Girl」と言ったのではないかという説もあるが
腹を殴られて咄嗟に「Good Girl」と言うのは意味がわからないため、
その可能性はかなり低いとされている)
少年は、何が起きたのかわからないような表情で、肩を揺らしながら激しく呼吸した。
光洋はそんな少年を見下ろしながら
「カッコいい歳の取り方ってこういうことだから!」と言い放ち
COMPLEX「BE MY BABY」のイントロを口ずさみながら駅の構内へと消えていった。
ビーマイベイビ...
ビーマイベイビ...
ビーマイベイビ...
まどか光洋のこの行為は、彼の選挙事務所で定番の面白エピソードになった。
「うるさい外国人観光客をワンパンで黙らせた光洋」
というキャッチフレーズで選挙に出るのはどうかという話になったが、
最終的に「日本最狂の"クリぼっち"おじさん」というキャッチフレーズになった。
そんな、まどか光洋はもういない。
まどか光洋は街が生んだ幻想だった。
まどか光洋は間違うんだ。幻想だった。
その日の夜、俺は日本一人気だという生け花教室「心を枯らすな」に電話をした。
俺「おたくに通えば、最高の花を生けられるそうだが」
心を枯らすな代表「そりゃそうだろ......。半端な自信でこんな仰々しい名前をつける奴がどこにいるか逆に教えてほしいんだが」
俺「その口の利き方も自信がゆえ、ということか?」
心を枯らすな代表「そこまでわかってるのならわざわざ聞くことではないだろ」
俺「俺も通っていいのか?」
心を枯らすな代表「結局お前をずっと待ってたんだろうな」
川が流れて
谷ができるように
君は涙や汗を流して
シワを作った
キザな言い方をすれば
君は綺麗になる運命だった