「言葉を信じていない」三浦果実
医者と病気と病院を信じていない。小学生の時に病院で医師と看護師と母親に押さえつけられ号泣するなか治療を受けたことがトラウマになっている私は病を一切信じるつもりがない。当時どういう病だったのか、怪我だったのか、思い出したくないから書かない。私は病に罹ったとは絶対に思わないようにしている。近年の◯◯◯症候群だとかあるいは精神病の類い、または発達障害などという医師と病院の人らの仕分けコンベアには絶対に乗らない。虫歯だったらペンチを使って自分で歯を抜くし、風邪やなんやらで発熱してもバハリンで済ませる。昔はバハリンしかなかったけれども近年ではもっと効く市販薬があるから助かる。不眠?鬱?カウンセラー?なんなら最悪、マリファナでどうにかなるだろう。
ワイアードでは信じられないくらい、患ってる人と、たくさん知り合いになる。医師を頼り病院通いを数十年という人がざらにいる。どうすればそうなるのだろう。ごめんなさい、本当に心底、私には想像がつかない。早くに家族を失った私にとっては毎日の仕事、毎日、朝にはちゃんと起きて仕事に行くということ、毎月のお給料を貰うということ、辛くてしんどくてもバカにされへたれようと笑顔になれなくてもひきつりながらでも、誰一人親しく出来る人がいなくても、助けてくれる人がいなくても、毎月のお給料を貰うこと。それがすべてだった。運が良かったのだろう。路頭に迷うというやつ、それは一度も経験せずにこられた。一度も病院に行くことがなかったように。
タフということでもない。気持ちが強いか否かでも心根の優しさや冷酷さ、サイコパス気質なんかでもない。強いて言うなれば、環境。人は自己を変えること鍛えることは困難だけれども、身を置く環境なら簡単に変えることが出来てしまう。要はカーテンを開ければいいのだ。思念を断つ。言葉を断ちすべてを断ち切ればいい。黙る。私が手に入れたこの世で最強の武器は黙っていること。
憎悪が私にはある
突然に
その憎悪は私を発狂させてくる
どうしようもなく
抑えきれない憎悪が
湧き上がってくる
死にたいとのたまうやつ
依存してるやつ
死ねばいい
とっとと早く死ねばいい
そういう背景がある私は、言葉を信じていないと、時にのたまう。わかるだろうか。いや、わからないだろう。だって、言葉を信じないということの定義付けを私にも出来ないから。
詩の愛好家さんたちが薄っぺらく饒舌に、言葉を信じて(笑)分かち合ってるそれには、近づかないようにしている。殺してしまうかもしれないので。