「詩と緊縛」三浦たまの

2021年10月22日

「詩と緊縛」

ちいさいころ
時代劇や特撮番組で
お姫さまや可愛い女の子がさらわれて
縄でぐるぐる巻きにされていた

うらやましかった
でもわたしはお姫さまでも可愛い子でもなかったから

縛ってくれるひとはいなかった
ずっとずっと縛られたかったけど
大人になっても恋人たちはそれを嫌がった

楽しくない。と。
じぶんが楽しくないから縛らないよと。

それから縛るひともいたけど
自分勝手で人の話きかなくて
まあ、ばかやろうばかりで

かなりな歳になって
ようやく
すてきな縄のひとに出会えた

女の子だったけど
やさしくて
やさしく酷いことしてくれる
縄と彼女のぬくもり

でも彼女は結婚して
ショーの相手でしかないわたしは
放りだされた感じがして

でもその気持ちに折り合いがついたころ
気がついたら縄を手にしていた。

はじめはただ、
パフォーマンスをしたいだけだった。
ショーをしたいだけだった。

でもショーの稽古をするなかで、
縄ってひとりでできるもんじゃないんだって。




受け手さんあってこそ。

受け手さんの呼吸、体温、そしてきもち。

とても大切だなあって。

そして彼女のぬくもりを思い出した。

とても切なくなったけど。

でも。


わたしのぬくもり

受け手さんのぬくもり

すべてを感じ、感じて欲しい。










縄でひとつになることを

縄でひとつになれることを

感じてほしい

そう思って

あらたにひとに縄をかけはじめた

縄は呼吸でありリズムであり

とてもそれは詩的なことで。

ことばも縄も

ひとにぬくもりを感じてもらうことで

いろいろな切なさが襲うけど

わたしは、

縄をかけるひとになった。


















三浦たまの