「Mihiro’s Cafe」稀月 真皓

2021年11月27日

「Mihiro's Cafe」

あら いらっしゃい 久しぶりじゃない
変わってないわねぇ
今日はどうしたの?
あー、あの頃のお話が聞きたいの?
まったく誰も今の私には興味ないんだから
いいのよ、昔話は癒しよね
悔しいから 
ちょいちょい自慢話もぶっこんでやるわよ

ほんと、私はツイてたと思うわ
私は3代目なのよ 
あそこのオープンマイクの主催者としては

立ち上げたのはね、アメリカンブックジャムという
洋書愛読者向けの雑誌の編集さんなの
で、そのあとコウキさんという方が
継がれたんだけど彼が後継者になぜか私を
指名してくれたのよね
ま、ちょっと英語ができたのと 
舐められない程度に生意気だったのが
よかったのかしら

私自身はさ、12歳のころから詩を書いて
人に見せたり 賞や同人誌に投稿したりして 
くすぶってた
20歳くらいの時かな カナダ人の同僚に
カナダにはポエトリーリーディングってのがあって
やんやの大騒ぎで盛り上がるんだ、ときいていた
いいなあって思ったものよ

そしたら、NHKテレビでちょうど見かけたの
リーマンショックで職を失ったサラリーマンが
夜な夜な詩を読む癒しの場として
紹介されてたわけよ、
Ben's caféでのオープンマイクが!
まー、ホントに
暗くてつらい場所だったらヤだなあと思いながらも
とりあえず行ったよね
行ってみたらテレビで見たのとは
全然雰囲気が違って 明るくて(笑)
同年代のコもいたし 声かけてくれたし
人前で詩を「やる」快感も覚えたし ハマったわ

もともと、あのお店はスペシャルだった
高田馬場なんて東京の片隅 
しかも駅から少し歩いた裏通り
カーショップのガレージ跡みたいなとこよ

ひとなつっこいBenさんの人柄
文化交流の場としてのカフェに対する彼の愛情
日本人には大味で甘すぎる、
これぞアメリカっていう味のスウィーツ
在日外国人、それもホワイトカラーの
知的な大人のたまり場だった
早稲田をはじめ周りには学校が多いから
頭の柔らかい学生もたくさんいたしね
まだ日本では珍しかったバリスタ・マシンがあって
カフェラテやエスプレッソも美味しかったわ
フードもハイクオリティでねぇ 
やだ、よだれ出そう

ん、オープンマイクを引き継いだ当時はね、
月に一回 第三日曜日の6時から人が集まれば
10時ごろまで飲んだり食べたりしながら 
詩を読んで 聞いて 休憩時間におしゃべりして
お客さんも日本人6;外国人4くらいだったかな
それが メディアにオープンマイクがどんどん
取り上げられると
どうしても外国人のお客さんが来づらくなって
で、第四日曜日は外国人の主催者がオープンマイクはじめたのよ

メディアは不思議ねえ 
ひとつが取り上げるとそのほかも
連鎖的に取材に来るの 
Benさんはお店の宣伝になるので基本断らないし
やっぱりさっき言ったNHKが
火付け役だったのかしらねぇ
2000年頃はまだスマホが普及してなくて
Facebookなんかもやっと英語圏で広がり始めたころ
まだまだメディアの力が強かった
丁寧に、真面目に取材してくれるとこもあったけど
バラエティはやらせもあったし
こっちもノったけどね
はなからこういう記事にしよう
と決めてかかってくるのもいたし
それでもおかげさまで
オープンマイクの参加者は増えたわ
地方や海外から来てくれたり
保護者同伴で小学生が来たり
詩だけじゃなくて ラッパーや俳優、 声優の卵、落語や浪曲もギターの弾き語りも 
いろんな人、いろんな芸達者が来たわ
面白かったぁ
もちろん 人が集まれば トラブルはつきもので
酔っ払いの喧嘩とか おやじのセクハラとか 色恋沙汰とか
私に難癖つけてくるとか 私のMC毒舌で傷つけちゃうとか
主催者なんてやってると頼りにされるのかな
悩み相談されちゃうのもよくあった
え?その辺の話詳しく聞きたい? えー、ゴシップ好きな感じ?
やあよ、収拾つかなくなるもの、また今度ね

でね、やっぱり他でもオープンマイクとか 
詩のイベントとかが増えるわけ
完全にブームだったと思う 
小規模なブームでしたけど
で、ポエトリーにはまってるコアなメンツとは
あっちでもこっちでも会うんだもん、
自然と 勝手に 仲間意識 芽生えるよね
その人たちは 今もポエトリー界隈で活躍してる
さいとういんこさん、桑原滝弥さん、服部剛さん、石渡紀美さん、村田活彦さん、馬野ミキさん、青木研治さん、新納新之助さん、蛇口さん、ジュテーム北村さん...
それにドリアン助川さんと俵万智さんが
チャリティ・イベント催したこともあった。

まー、ほんっと 私もあっちこっち顔出してた 
一日に二か所行くとかさ
先駆者で知名度もある、
メッカ的な場所で主催者してたから
結構名前を知られててちょっと有名人気分でね、
調子乗ってたなぁ
出演依頼もらえたら片っ端から出てたしね
谷川俊太郎さん、浦沢直樹さん(漫画家さんだけど音楽もやるのよ)、森山直太朗さん、
遠藤ミチロウさんとか、ロバート・ハリスさんとかイベントご一緒させてもらったり、
とにかく面白くてしょうがなかった

あの頃、私渋谷で働いてたから 
仕事終わりにイベント行って
そのまま朝まで仲間と語って
徹夜で翌日出勤、営業の外回りサボって
山手線一周寝てる、とかやらかしてた
仕事自体もかなりブラックで 
終電まで働くのもザラだったし
それなりに仕事も楽しんでいたけどね

あ、Ben's Caféに戻そっか
第四日曜日のオープンマイクの主催者が
都合悪くなって辞めちゃうってなったとき
Benさんに第四日曜もまとめて主催してくれって
言われちゃって
悩んだ挙句引き継いだけど 
土日の8回しか毎月休みないのに
そのうち毎月2日はオープンマイクの主催って なかなかよ
よくやったわ、私も

ここだけの話、実はお店的にはオープンマイクの
日は売り上げよくなかったんだって
客数多いのに 客単価低くて
リーディング聞いてる間は注文しづらいっていうのもあっただろうけど
なんもオーダーしないで詩だけ読んで帰る人とかいたし
さすがに飲食店に来てんだからそれはナシでしょ、って注意したけど
通常営業したほうが稼げるのに
オープンマイク続けたっていうのは
カフェを文化の発信地にしたい、という
Benさんの心意気のなせることだったなと感謝
で、月に二回おんなじことやっても
つまんないからさ
第四日曜日はPrize, Price the Wordsと題して 
おひねり形式にしたんだよね
各参加者のパフォーマンスごとにおひねりを集めて金額が一番高かった人が一位
翌月のゲスト枠でリーディングできるって仕組み
そりゃ賛否両論あったんだけど 貫いた
あぁ、これには御徒町凧さんも出てくれたな

そんなこんなでどっぷりポエトリーリーディングにはまってた私もさ、
結婚して神奈川県の座間に引越すのをきっかけに
第三日曜日の主催を
服部剛さんに引き継いでもらった。
いや、それまでも横浜暮らしだったから
一時間半くらいかけて高田馬場通ってたんだけどね。
それからしばらくして、第一子の妊娠を機に
第四日曜日の主催も辞めたの。

その後ね、3.11の震災で地震と
放射能汚染の恐怖から
常連の在日外国人がどんどん日本を離れちゃってBen's Caféは閉店 惜しまれるわ。

22歳から30歳まで あれは確かに私の青春だった
不思議な感覚なんだけど たまに渋谷とか歩くと
今の私の生活が嘘みたいな感じするの
神奈川の真ん中あたりで 子ども二人抱えて 
家事とパートっていう生活をもう10年してるけど
ちょっと乖離しちゃうんだよね

あーーーー 話疲れたっ のど渇いたっ
ジン・トニック飲みたい、
ボンベイ・サファイアで!
イタリアンソーダのミント飲みたい!
それからブルーベリー&レアチーズのベーグルと
ダブル・エスプレッソ!
ってこれBen's Caféでの私の定番メニューだわね。

もう満足? まだ聞き足りない??
欲しがりさんねぇ
今度はインタビュアー連れてきてよ
私のモノローグはもういいでしょ。
近いうちにまた来なさいよ?
ボトル入れて帰る?


 ※本モノローグの主人公は稀月真皓の実際のキャラとは異なります








稀月真皓