ロッカーズの星は今夜も瞬いている  ― 詩人・MUDDY“stone”AXEL覚書―  服部剛

2022年07月01日

 1960年代のアメリカ文化であるビート・ジェネレーションの詩人達は、後の映画・音楽・ファッション・アートの世界に影響を及ぼし、その後もアメリカでポエトリーリーディングは各地で行われた。日本では'97年にアメリカの文学を伝える雑誌『アメリカン・ブックジャム』の主宰によるポエトリーリーディングが都内の高田馬場・Ben's Caféで幕を開け、以後ポエトリーの源流のような場所になってゆく。

 東日本大震災の影響で、僕が『ぽえとりー劇場』という名前で主宰していた'11年5月にBen's Caféが閉店した後も、脈々とポエトリーリーディングのイベントは続き、現在も様々なオープンマイクやスラムのイベント等、ライブハウスからの動画配信を含め、盛り上がりを見せている。詩人たちが朗読する肉声が消えること無く今も続いていることを思う時、問題の多い令和の時代にも、否、だからこそ「言葉は生きている」と、感じる。 

 僕が初めて高田馬場のBen's Cafeでオープンマイクの朗読会に参加したのは'98年だった。当時を想い返す時、忘れてはならない夭折の詩人がいる。 

 MUDDY"stone"AXEL、またの名はカオリン・タウミ・・・彼は2000年の夏、病に倒れこの世を去った。当時古い詩友のTからの電話で彼の死を知った僕は、数日後追悼詩を書き、彼がしばしば朗読した南青山のOjas Loungeというクラブで朗読会がある夜、ファックスでその追悼詩を送り、店長の妻であり、彼と親しかった詩友のMに代読してもらった。 

  その破天荒な男は 
  ある晩、僕等の目の前に現れた 

  目に映るあらゆるものに逆らい
  虚空に拳を殴りつけ 
  いつも目に見えない何かの影に怯えながら
  心の弱さと戦う彼は 
  何を求めていたのだろう 

  土曜の夜の場末のBarで 
  マイクを手にした
  彼の口が羅列する機関銃の言葉 
  誰の手も届かない心の懐(ふところ)に
  疾風は吹き抜けて 
  月夜の狼になって吠える声に 
  深夜の酔いどれ達はふり向いた 

  一瞬の静寂(しじま)の後に 
  彼は何度も呟く  

  ( I gotta I gotta I gotta・・・ ) 

  ( アイガ アッタ・・・ ) 

  寂しいクラクションを鳴らしては 
  誰かのリアクションを求めた彼は 
  窮屈な呼吸を繰り返す 
  日々の束縛から解き放たれて 
  一瞬の光を残して流星の如く 
  夜空に消えた 

  あのロッカーズの星になった彼は
  今も夜空の何処かで
  笑っているだろう

 この追悼詩から、詩人・MUDDY stone AXELのイメージを想像できると思うが、生前の彼の姿を想い出すならば、深夜のOjas Loungeのカウンターで孤独にグラスを傾けている詩人の姿である。そして、深夜の六本木の暗いクラブの明かりの下で恋人と手を繋ぎ、はしゃいで踊っていた彼の床に伸びる楽しげな影は、僕の閉じた瞼の裏で、今も踊り続けている。 

 『REDEMPTION SONGS』という彼の詩集を開くと、2編目に「ほんとうに ちいさなこどものためのゴスペル」という平仮名(一部片仮名)で書かれた詩があり、最後の3連を引用すると、彼の姿が浮かんで来る。 

   かなしいきもちはどこからくるのか 
   いかりやにくしみのしんげんちは
   いったいどこなのか
   ほんとはだれもがしっているはず 

   だから もうすこしのあいだ
   こうやって 
   ぼくのむくむくのこぶしを 
   やさしくりょうてでつつんでいて・・・ 

   てぶくろみたいできもちいいんだ 

 この詩は彼の息子のことを書いたのか、彼自身の気持を書いたのか分からないが、生き辛い日々に葛藤しながら、矛盾する世の中から消えない「いかりやにくしみのしんげんち」という衝動と「ぼくのむくむくのこぶしを やさしくりょうてでつつんでいて・・・」という繊細なハートの両面が、彼の魂に宿っていたのであろう。「スリープウォーカーブルース」という詩には、彼が過ごした一人きりの夜の心象風景がよく表れている。 

   この先一体どうすればいいのだろう 
   一人の夜には涙さえ照れ笑いして空回り
   でも夜は
   へこたれた奴らにさえ優しい 
   力尽きた跡に訪れる深い静寂はそっと教えるだろう 
   あがないのチャンスはまだ残されているということを 
   空っぽの頭に降りてくる喜びや慈しみ
   それは刹那に花開く幻の青い心 

 詩人とは、常識的な価値観とは異なる〝何か〟を求める故に、不器用に世を渡る人が多いと思う。だが、世間から外れた場所に息を潜めているからこそ、「優しい夜の静寂」に耳を澄ますこともできるのだろう。心身共にボロボロになってゆく日々の夜の底で、彼は一握りの希望を掴もうと伸ばした手のひらの先に、幻の青い花を見ていた。幻の青い花は、詩人に沈黙の声を囁き、彼は自身の詩の言葉で世の罪や人間としての自分にも宿っている罪が贖(あがな)われることを願った。 

 彼が生前残した唯一の詩集『REDEMPTION SONGS(贖いの詩たち)』という題には、詩人としての最後の望みが託されているのではなかろうか。また、『アメリカン・ブックジャム』の臨時号に掲載されている「SAINT OF ME」という散文詩の中には、彼のメッセージが遺されている。 

   愚かさの犠牲になって死ぬくらいなら
   ぼくはロックンロールのために死にたいよ 
   だって、ロックンロールが僕を 
   生かしてくれているんだから 

     * 

   おまえたちはこの先、それぞれの場所で 
   パレードを続けるだろう 

   おまえの頭の上にはいつだって 
   ロッカーズの星が光っている 

   それだけは時々思い出してくれてもいいぞ 
   だって、お前達の誰かが
   苦境に立たされた時 
   たとえば、知らない十字路で 
   行き先を見失った時なんかに 
   俺達のロッカーズの星を思い出して 
   絶望を切り抜けてくれたりしたら 

   俺はやっぱり嬉しいから・・・ 

 MUDDY"stone"AXELが世を去って5年位経った頃、詩友Iが久しぶりにポエトリーのイベントを渋谷の店で行うと聞き、僕も駆けつけて朗読に参加した。以前は若い詩人達で月に1度、深夜まで朗読していた想い出の場所であるOjas Loungeはすでに無くなり、渋谷に移転していたのだった。朗読の時間が始まる前に、I は彼の写真を見せてくれた。

 街頭の下に腰を下ろした優しい横顔・・・それは生前の激しい気性の彼が普段見せなかったもう一つの顔であり、一遍の詩の中で、繊細な心で呟いている彼の素顔であった。  

 僕が最後に彼と会ったのは、世を去る1ヶ月前だった。Ojas Loungeの隠し部屋のような楽屋でソファーに腰掛けていると彼が姿を現したので、僕が「わかりますか?」と自分を指差すと、「おぉ、はっとりごうか」と思い出してくれて、握手をしたのが最後だった。  

 詩集『REDEMPTION SONGS』は「RAMBLING IN THE RAIN」という詩で終わっている。

   人のやる気を奪う灰色の空の下 容赦なく雨が降ってやがる
   俺はまったくずぶ濡れで 雨宿りの場所をさがしてんのさ 

   雨がこれ以上激しくなる前に安全な場所に隠れたいんだ
   そこでもう一度 びしょびしょの服を乾かせたら俺だって
   複雑な仕組みやいわれない伝統や
   うざったい美学なんかに惑わされないで
   夜明け前の空に
   ささやかな星を光らせることだって
   できるかもしれないんだ

   明日晴れたら大笑いさ 
   太陽の下で大の字んなって寝るのさ
   でも今は まだそんな未来はお預けさ
   とりあえず 俺は雨宿りの場所をさがしてんのさ  

 夜空の流星のように、一瞬の閃光を残して消えた詩人・MUDDY"stone"AXEL 。闘いの連続だった人生を終えてから20年の年月が流れた今も、彼は時々雨宿りの場所を探すように、詩人達が集う夜に顔を出しているかもしれない。 


  * 文中の詩は以下から引用しています。 
  ・「REDEMPTION SONGS」(光琳社)
  ・「AMERICAN BOOK JAM 」(BACK UP PUBLISHING)










服部 剛