寺西幹仁 インタビューノート
2021年10月17日
寺西さんが亡くなる前日に二人で酒を飲みながら、なぜか流れで詩人:寺西幹仁のインタビューになった時のメモです。
自分の字も汚いですがそのまま掲載させてもらおうかと思てます。
寺西さんが亡くなられる前日に二人で酒を飲みながら、なぜか詩人:寺西幹仁インタビューの流れになった時のメモです。
自分の字も汚いですがそのまま掲載させてもらおうかと思います。
これは鳥取から大阪へ出て、本屋で今生きている、現存する詩人の詩集が買えるようになった、ということだと思います。
Amazonでぽちって本を買えることが出来る今では考えられないですよねえ。
このインタビューはここで終わっている。
自分も酔っていたし、帰りの時間もある
「寺西さん、インタビュー後半はまたにしましょう!」
と俺が言った時、寺西さんの瞳孔が開いた
翌日は確か高円寺の無力無善寺で「寺西幹仁くんを送る会」を自分が主催し
100円ショップで買ったプラスチックの桜を古溝真一郎君と店内にデコレーションした気がする
会場は人で溢れた というわけではなかったが
この会の為に、関西から足を伸ばしてこられる方もおられた
だが寺西さんは来られなかった
酔っ払って寝てるんじゃないですか わははw という というムードに無理やり同調しながら
いやな予感はしていた
次の日、自分は湯島へ行けなかった
湯島まで行く交通費がなかった
「認めたくなかった」ということもある
その次の日、自分は湯島へ向かった
管理人さんに事情を話して重い扉を開けてもらった
一緒に飲んだお酒がそのままテーブルの上にあった
僕にはもう一つ開けないといけない寝室の扉があった
とりこを見つけてあげなくてはならない
話し手:寺西幹仁/聞き手:馬野ミキ