「わが地名論 第10回 アメリカという主題(下)」平居謙

2025年10月06日

「わが地名論」連載にあたって
詩の中に地名を書くこと。その意味を探ること。これは僕自身の詩集に関わりながら展開する「わが地名論」。この連載を通して〈地名とは何か〉〈詩とは何か〉を考えてゆく。 



前回は「星とNINJA」という詩の中のアメリカについて書きました。実はもう一篇、アメリカの出てくる詩があります。「故郷」という詩です。この詩の中には〈古都〉という言葉も出てきます。


      故郷(-黒の断面)
 遥かなるカリフォーニアムーンライト
 の
 下で育って
 陽が昇るころ僕は生まれた
 移民ギゾーの記憶群
 大いなる悲しみは
 灼熱の喜び
 にもかかはらず
 僕は悲しい

  MAGAZINESに光る乳房たちはぬれぬれて美しい
 が
 それは皆 疑似蜜柑の断面にすぎない
 すべてむなしく
 僕もまた天然からは程遠い
 すべりおちる古都のメタリックオレンジ
 ゆくへ知らぬ恋
 の
 センチメント
 の
 地名の
 さわぐよ
 絶対にスイングすることのない
 ブリキ色の夜
 すべての喜びのやうに
 すべての悲しみのやうに
 いつみてもかげらない陽だまりのやうに
 僕は今 比喩をいきぬかねばならぬ
 遥かなるカリフォーニアムーンライト
 の
 下で育って
 陽がしずむところに
 僕はさまよう



本文をキーボードで打ち込んでみて、全く嘘っぱちなことばかり書いているなと可笑しく思います。読者にはこれは分かりません。本当の事と言えば、〈陽が昇るころ僕は生まれた〉ことと、柑橘系の果物や乳房が好き、ということくらいです。朝の5時半くらいに僕を産んだとよく母は言っていましたし、蜜柑にも目がありません。



詩は基本的にフィクションです。講座なんかで話すときには「詩の中で語られることを本当のことだ、と思いこんじゃあ大変なことになりますよ」などと僕は常々講座生に行っています。どうしてそんなこと強調して言うのか。不思議に思っていましたが、それはこの「故郷」みたいな詩を書いてきたからですね。フィクション性の高い詩がある一方で、自分の生活のことをありのままに書く人も多い。むしろその方が多いかもしれません。



この作品はそんな〈常識〉を逆手に取って、カリフォルニアで生まれ育ったとか、〈移民ギゾーの記憶群〉とか、何かそれらしいことをいろいろと書いています。ありのままを書く人が多いということは、他人のものも事実だと信じる人が多いだろうと思って書いているんですね。でもほんとはみんな嘘っぱちです。明るい太陽のイメージのカリフォルニアを書き手としての自分のイメージにしようとしたのかもしれません。この詩集には、「太陽仮面ソラールを呼べ!」「わたくしの太陽ジュース」など〈太陽〉輝くイメージを盛り込んだ作品が他にもありますが、みなどこかカリフォルニアオレンジの果汁が飛び散る爽やかなイメージを夢見てのものに他ならないのです。



しかし詩は、如何に嘘っぱちなことが並べられていたとしても同時にその向こうがわに真実を隠しているものです。したがって詩を読む醍醐味は、フィクションのその向こう側に作者自身の生活や渇望のようなものが見え隠れしているのを微かに感じ取ことにあります。作者以外の読者には見えにくい部分ですし、詳細は伏せられているから分かりようがない。何かをこの詩は言おうとしているな、作品の中で形にならない言葉たちが盛んに出口を探して蠢いているなと分かるものがある。それが誰にも伝わらない詩はまだ熟していないのかも知れません。



「故郷」に関しては、詩集に収めて以来、きっちりと読み返したことがありませんでした。しかし、改めて読むと、副題の〈黒の断面〉であるとか〈大いなる悲しみ〉〈天然からは程遠い〉〈すべりおちる〉〈ゆくへ知らぬ恋〉など否定的な言葉が耳に残ります。読者としてはそれくらいしか分からないのではないかと思います。しかし本稿では作者の特権?として僕だけが知り得ることを書いてみましょう。この詩集を出す数年前から、僕は〈ゆくへ知らぬ恋〉に悩んでいました。恋は誰にとってもゆくへ知らぬものであることが多い。しかし当事者は自分だけに降りかかった大災難のように思うのですね。特にうまく事が進まなかった場合などは。〈すべりおちる〉のがどこからかと言えばそれは〈古都〉からであります。〈古都〉はいうまでもなく第0詩集の舞台となっている京都にほかならず、そこから滑り落ちるというのです。〈京都〉は総体的には学生時代に持っていた純粋さのイメージです。もちろんこれは詩の構造としては成立していないので一般読者には伝わりにくいかもしれません。〈黒の断面〉もどこか罪悪感をイメージします。〈天然からは程遠い〉というのは純粋さを虚飾で彩る武装へのジレンマかもしれません。そういえば今思いついたのですが〈移民ギゾー〉の音は、偽造、偽装などに通じるものがあります。



ある地平から次の高みに昇るとき、何かを捨ててゆかねばならないこともあります。僕が望んだ〈メルヘンでない詩〉〈ウエットでない詩〉に至るためには、生き方としての純情そのものを抛棄する必要があったのかもしれません。〈古都〉にはあって、カリフォリニアにはないもの。カリフォルニア生まれを偽装しながら、僕は遥かなる〈古都〉の純真を実は求めていたのかもしれなかったのです。 




平居謙