「チンドン屋になった、10年前の話」 栗原モナコ
2016年9月、初めてプロのチンドン屋の仕事に出た。
それまでの私はサークルでチンドン屋の真似事をやってはいたものの、チンドン屋が好きでYouTubeを見たり、プロのチンドン屋の現場情報をSNSなどで収集してはこっそり覗きに行ったり写真を撮ったり録音したりしているただのオタク大学生だった。いつかはそれなりに努力して入った大学の名前を利用してそこそこ名のある一般企業に就職するだろうとか思っていた。
事前情報をゲットした現場に行っては遠巻きながらも明らかに不審な様子で仕事についてまわる私に気づいて「学生さんだよね」と声をかけてくれたのはタカダさんだった。居酒屋の宣伝の日で、そこまで派手な様子ではない着物に完璧な日本髪を結ったミホさんが近づいてきてパウチされたジャガイモをくれた。あれから10年以上経ち、チラシやポケットティッシュやうちわなどたくさんの配布物を街中で撒いてきたが、パウチされたジャガイモを撒く経験はまだしていない。
約1年後、タカダさんに声をかけられて私は雑司ヶ谷の小さなお祭りに来ていた。
この日のために地毛で日本髪を結う練習をしてきた。チンドン屋のお姐さんたちは髪や着物の支度を全て家で終わらせてから現場に来るなんてその頃はまだ知らなくて、全ての支度を現場の控室についてからやり始めた。よく間に合ったな、当時の私。
その日のメンバーはタカダさんにきむらさん、前日にスマホを壊してi pod touchでWi-Fiを拾える場所でしか連絡が取れない私。休憩時間に手持ち無沙汰と緊張でテーブルを見つめながら時々お茶を飲むしかない私のことをきむらさんが「若いのにあまりスマホ見たりしないんだね」と褒めて(?)くれた。その日のきむらさんはお祭りの名前にちなんで添田唖蝉坊の演歌を吹いていたのを覚えている。借りてきた猫のように音も体も何もかも小さくなっている私に「もっと大きな音で叩いて良い」と言ってくれた。
その後、私が大学を卒業して就職せずそのままチンドン屋になったと聞いた時には「だったらもっと厳しくしておくんだった」と言っていたそうだった。
