「わが地名論 第11回 〈タクティクス〉とは何か」平居謙
「わが地名論」連載にあたって
詩の中に地名を書くこと。その意味を探ること。これは僕自身の詩集に関わりながら展開する「わが地名論」。この連載を通して〈地名とは何か〉〈詩とは何か〉を考えてゆく
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地名について考えながら、その先に詩とは何かを考えて来たこの連載も、始めてから早くも一年が経とうとしています。今回は第一詩集『行け行けタクティクス』(1990年 白地社刊)の表題作を読んでみようと思います。
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この詩は、大学院生だったころに書きました。この詩の中には池袋という地名が出てきます。
行け行けタクティクス
(1)
ブリキのやうなタクティクス
僕たちのまはりには
ぱのらまの遠景が隣立している
相当にメンタルの部分
と
フィフィZックスの領域
が
交 錯
す
る
そんな季節にはあがることのない
悲しみの雨が降った
(2)
●腐爛せる太陽●直下
の
池袋円形脱毛公園
既視現象がハトマメのやうに
ころがっている
(3)
僕は女を買ひました
ナメクジと
共生する
共有する
精神
行け
行け
行け
行け
タクティクス
恋人との会話も既視現象に始終している
僕たちの空は青く
僕たちはいつもくもり (全文)
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池袋円形脱毛公園というのは僕の命名です。同心円形にタイルが貼り付けてあって、なんだか円形脱毛症みたいに見えたのでそう名付けました。今ネットで調べると西口公園というのですね。1997年に石田衣良『池袋ウエストゲートパーク』の大ヒットによってよく知られるようになった場所ですが、僕はその10年以上前にこの場所に注目していたのでした。そしてヒットするには石田みたいにカッコよく名前を付けないといけないのだな、と後に思いました。もっとも反省などこれっぽっちもしませんでしたが。
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「腐爛せる太陽」というのは、日本にダダイズムが紹介された万朝報の記事の中に載っていたダダイスト詩人のトリスタン・ツラアの「ダダ1918年宣言書」の中の言葉ですね。上の「3」で、命名の方向について書きましたが、空虚感を出すためには、ウエストゲートパークなんて格好付けた名前より、円形脱毛公園でなければならなかった。誰かがハトに投げてやった豆が、空しく転がっているといった風情です。高く聳えるビルは、大正時代からすでに都会の空虚感の喩であり続けてきました。当時から、聳えるビル街の中を行き交う人はブリキのようにぺらぺらの存在感しかなかったのです。しかも、そういう表現すらいまや〈パノラマ〉のように、模型化されてしまっています。二重の軽さの中に現代人の魂は浮遊せざるをえないのです。上がることのない悲しみの雨は、今も降り続けている。そんな思いを描きました。
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セクション(3)の冒頭〈僕は女を買ひました〉に関して確か「陽」の合評会で、同人のおばさん(・・・・)に「平居さん、そんな生き方してちゃ駄目よ」と諭されたことを記憶しています。僕は、「それは詩の中の話でしょう!」と反論したかったが、個人にそれを反論する代わりに、そういう直接的な読み方しかできない日本の文化度の低さをいつか変革してやろうと心に誓いました。こんなにみんな、詩を読む力がないのか。それならこの国の文化は絶望的に近いものだ。そう思ったかどうかは忘れましたが、きっとそんなふうに冷静に考える力はその時にはなかったように思います。何しろ、このころの僕は恋に生き惑うぺらぺらの青年に過ぎなかったからです。
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自分と異なる人格を作り出すことで、私小説的な書法ではない、より広い設定を成し、その中で一層普遍的な真実を抉り出すというのはまとも(・・・)な(・)文学的行為の基本中の基本です。それが分かっていない人には詩人を名乗る資格なんてない。小説家だって同じでしょう。でも意外と分かっていない人が多い。そのことを僕は長く詩人たちと付き合ってきて、実感したことの一つです。
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演技と言ったら嘘になる。フェイクと言えば軽すぎる。世界を言葉にすり替えることによって辛うじて成立する書法とそれによって現出する虚世界をタクティクスと名付けて、僕は自分自身の詩的活動を本格的に始めたのでした。
